2015年08月08日

改めて東芝不祥事から思う「会計の原点」について...(前編)

東芝の会計不祥事が発覚してしばらく経過しましたが、私が心配しているのは、東芝自体よりも、海外投資家が日本企業に向ける視線です。

東芝以外にも、会計不正を隠している日本の上場企業はいないかどうか...

そう考える海外の投資家は一定程度いるのではないか、と心配になります。

アベノミクス開始後、せっかくここまで順調に上がってきた日経平均ですが、ここ最近値動きが冴えません。

その理由は、”夏枯れ相場といわれる8月”という理由だけではなくて、日本企業の体質に疑いがかかっているからというのも少しはあるかもしれません。

そもそも、今の”会計システム”(複式簿記の仕組み)というものは、1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉が明治時代にヨーロッパから輸入したものです。

その際、単なる帳簿への記帳の技法だけを輸入して、その”精神”までは学ばずに今に至っているように思います。

私の学生時代の専攻が会計学ということもあり、ここで会計の原点となる歴史や思想を紹介しておきたいと考えます。

参考となるのは、アーサー・ウルフ著『ウルフ会計史』(法政大学出版局)...

今は絶版となっていまして、私は大学の図書館で借りて読みました。

入手できるものなら、次の書籍...

テン・ハーヴェ著、『会計史』(税務経理協会)

Amazonで、古書なら手に入りそうです。

私は有用だと思った書籍について、要所を抜粋してパソコン保管しています。
あらためて、その抜粋集を読みなおしています。

近代会計システムの萌芽は、中世のヨーロッパであります。

カトリックの修道僧であったルカ・パチョーリという人が、近代簿記の父だとか言われております。

ただし、彼は、ちまたで慣習的に行われていた帳簿記帳の技法を整理してまとめ、その結果を本にして出版しただけのようです。

要するに、簿記の発明者ではないということですね。

しかし、彼の書いた『ズンマ』というその本が、その後教科書みたいに使われたために、彼が簿記の生みの親みたいに扱われたということのようです。

なぜ手本とされたかというと、やはり、聖職者だったことが大きいように思われます。(これは私の想像です)

彼は著作を書く際に、ベネチアやフィレンツェなどの中世イタリアの商業都市国家で行われていた帳簿の記帳技法をそのまま記録したのではなく、
帳簿作成の際の心構えなどを盛り込み、まさに教科書として書いていますから。

実際、彼はベネチアの富裕な商人の子弟の家庭教師をつとめていたりします。

以下、『ウルフ会計史』からの引用です。

『「商人の大きな目的は、彼の資産と負債に関する情報をえることである」このような短い序文に次いで、パチョーリは第二章ですべての商人の目的は合法的かつ相当の利益を得ることにあるから、彼は常に神の御名(meser domene dio)を呼ぶことによって仕事を始め、新しい一組の帳簿を開く際には、つねに神を心に留めなければならないと述べている。』

また、以下は、テン・ハーヴェ著の『会計史』からの引用です。

『……、もし、倒産して帳簿が整理されていないと、商人は刑罰としておそらく死刑となる「詐欺破産者」と見做された。帳簿を使い始める前に、役人がその最初のページと最後のページに署名しなければならなかったし、また各ページは丁数と頭文字が記入されなければならなかった。』

インチキできないように、昔は、会計帳簿の1ページ1ページに印を付けていたみたいですね。

このように会計は、社会や日常生活にキリスト教倫理が強い影響を持っていた中世ヨーロッパで生まれたもの。

だから、会計帳簿というものは、究極的には、”神”に向かって報告するもの、という意識が原点にあったようです。

今でも、たとえば企業の経営者が敬虔なクリスチャンで、
そして、コンピュータシステムから会計帳簿の元となる「紙」が印刷されて出てきた後、
それを綴じて、製本して、最後に責任者がサインするまでの過程の中で、こういう厳しい意識で職務を遂行すれば、会計不正など出てこなくなるかもしれません...

明日は会計の歴史のウンチクとして、もう一冊、取り上げて論じてみたいと思います。





posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 投資哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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