2015年12月26日

『真説・アダムスミス』を読んで...

『真説・アダムスミス』という本を読みました。

真説 アダム・スミス その生涯と思想をたどる -
真説 アダム・スミス その生涯と思想をたどる -

外国人が書いたアダムスミスの簡易な伝記という内容のもので、スミスの人生のあらましや社会観がよくわかります。

現在の世界経済を運営する主流となっているのはアングロサクソンの価値観ですが、その原点と言えるのが18世紀の哲学者アダムスミスなわけです。

アダムスミスというと社会科の教科書にも載っている『国富論』が有名ですが、人間心理を分析した『道徳感情論』もまた名著だと評価されています。

要するに彼は、”経済学者”ではなく、神学・哲学・心理学・政治学といった多面的な切り口から社会を見て、分析して論じ、その論点の中心となったのが結果的に人々の生活に関わる「経済」だったというわけなのです。

だからその思想は、ただ単に経済がうまく回ることだけを主眼とはしていない...

”公益”の増進だとか、”公正”の実現といった点が議論の中心となっている...

つまり、キリスト教精神に基づく社会学者というのが本来の彼の顔なわけです...

しかしこの本では、彼のイメージが少しくつがえりました...

”「見えざる神の手」による市場の調整”がスミスが唱えた思想を端的に言い表してきたとされているため、敬虔な人物かと思っていたのですが、必ずしもそうではなかったようです...

スミスは、カトリックではなく、プロテスタントですし、
中世スコラ哲学ではなく、古代ギリシャ哲学に強く惹かれていたんだそう...

師であるハチソン博士はストア派哲学(古代ギリシャ哲学の有力な一派)を説いていたということですし、無神論者の疑惑のあるヒュームを友人としておりました。

スミス自身は、プラトンやアリストテレスの手法を使って社会や人間心理を分析・考察しました。

このへんのところが、その後、イギリスやアメリカの知識人や政治家に好まれた理由なんだろうな...

要するに、カトリック教会嫌い、理論よりも実践重視、あの世よりも今のこの社会の改良を意図するのが、英米の知識人たちの特徴ですからね...

ともかく、TPPのようなグローバル化・世界貿易推進派の流れにある考え方の原点がスミスであることが、よくわかりました...

その要点となるところを以下に引用してみたいと思います。


人は他人の立場に立って考え、「同感」または「共感」を使って、ほんの一瞬にすぎず、ごくわずかにすぎないとしても、他人の行動の背景にある感情を実感しようと試みる。この同感、共感がスミスの体系の原理になり、軸になっている。


他人の行動や意見を同感によって判断する際には、経験と規則を組み合わせて適切な判断を下すのであり、スミスはこれを「公平な観察者」と呼んでいる。この判断の結果を自分自身に適用して、正しい行動や義務についての感覚を獲得する。いいかえれば、人は他人を見て、道徳的な行動をとる人間としての自分自身についての見方を獲得する。これをキリスト教と呼ぶのであれば、裏返しのキリスト教だといえる。「自分自身を愛するように隣人を愛せ、というのがキリスト教の偉大な法則であるように、隣人を愛する以上に自分を愛してはならない、というのが自然の偉大な戒律である」とスミスは論じている。


スミスはこう書いている。「わたしがほしいものをくれれば、希望するものをあげようという……人間はほとんどの場合、自分が必要とする他人の助けをこの方法で得ている。われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである」。「相互に合意した評価にしたがった金銭的な交換によって、他人の助けを得ること」は、『道徳感情論』では脇役にすぎなかったのだが、ここ(国富論)で哲学の舞台の中心に位置するようになったのである。


『法哲学講義』では、自然価格は、生産者が原材料に支払った価格と、生産者の訓練に要した費用を賄い、本人と家族の生活費を賄う余剰部分の合計だとされていた。


仕組みがうまくはたらき、均衡水準に達することができるようにするには、かなり広大な市場と、市場が機能できるようにするための通貨が必要だが、それだけでは不十分である。生産者がみずからの職業を自由に選べるようになっていなければならない。市場価格と自然価格が一致するのは、「完全な自由があり、職業をいつでも変えられる」という条件があるときだけである。


完全な自由という理想のもとで、主権者(国王か議会)の義務は三点しか残らない。第一は、他国の侵略から自国の社会を守る義務、第二は、厳正な司法制度を確立し、維持する義務、第三は、ある種の公共施設、公共機関を作り、維持する義務であり、民間の個人か少数の個人が行っても採算がとれないものが対象である。主権者がこれらの義務を忠実に果たせば、国民は「みずからの力で、収入と生活必需品を豊富に確保できる」ようになる。


スミスは、市場を互恵の場であるととらえた。人間は、市場を通じて、自分に特別な愛情をもたない人からも世話を受けることができる。市場における交換は、利己心だけでなく、同感の能力を使って成立する。取引を行う人は、取引相手の物を強奪したり相手を騙したりしたときに胸中の公平な観察者が自分に向ける非難を想像する。そして、自分は、そのような非難の対象になりたくないと思うと同時に、取引相手も同じように思っているであろうと考える。すべての取引主体が、このように考えることによって、すなわち「賢人の原理」にしたがうことによって、不正のない交換が成立する。利己心とともに、同感という能力を用いて見知らぬ者どうしが富(=世話)を交換する場、これが市場なのである。



全世界をつなぐ市場、自由主義、良識に裏づけられた個人の判断重視、小さな政府...

こうしたアメリカに多くいるグローバリストたちの主張する論点が、まさに集約されています...

彼らの意見がどこから出てきたのかについて、その起源や理由が明快にわかるのではないかと思いました...





posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(2) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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