2017年08月17日

『スターウォーズの精神史』を読んで...

『スターウォーズの精神史』という本を読みました。

スター・ウォーズの精神史 (フィギュール彩) -
スター・ウォーズの精神史 (フィギュール彩) -

エピソード1〜3をアナキンの三部作、4〜6をルークの三部作として、この計6作について分析した内容となっております。

スターウォーズ・シリーズは単なるSFではなく、監督であり脚本家でもあるジョージ・ルーカスの生い立ちやアメリカの社会問題などが盛り込まれていると言います。

ジョージ・ルーカスはカリフォルニア州生まれですが、この州自体が、東部からのゴールドラッシュでやってきた米国民たち、移民である中国系や日系、巨大資本や大企業そして東部マスコミの制約から逃れようとしてやってきた映画人たち、さらに古くは、アラスカから南下してきたロシア人やメキシコ領だったときのラテン系の人たち、といったように種々雑多な人種から成り立っている...

これがあの、スターウォーズ・シリーズの中の雑多な生命種に反映されていると言います...

また、アメリカの田舎とそこに住む若者の実態が物語に反映されているとも。

例によって、引用してみます...

この映画を文化人類的な「イニシエーション」で説明しやすいのも、ルークが悩んだように大学への進学(「帝国アカデミー」)か、戦争へ参加する(「反乱軍」)以外に、故郷から出ていく可能性が見えない若者が、アメリカの田舎町にたくさんいるせいだ。


日本でも進学や就職以外に地元を離れる契機がない田舎町がたくさんある。戦争への動員がその後の運命を変えたというのも、明治以来多くの人が経験してきた。


また、帝国=悪,共和国(銀河共和国)=善,という図式には、アメリカ独立の歴史が反映されているとも。

「スター・ウォーズ」がエピソードを関連づける背後に置いたのは、独立戦争のときの大英帝国と共和国アメリカの関係である。


ヘブライ人=ユダヤ人を抑圧し弾圧するのは、旧約聖書ではエジプト帝国だし、新約聖書ではローマ帝国だった。こうした帝国との関係において翻弄される集団を導くのが、モーセやキリストのようにヒーローとなり、その物語こそが民族を救済する叙事詩とみなされるのだ。


カーシュナーは意図的に「アメリカ英語」を話す側を善玉にして、悪玉は「イギリス英語」を話すように配役をした。唯一の例外がダース・ベイダーとなるのだが、「もとは善玉だったからね」と苦しい言い訳をしている(『注釈版シナリオ』)。この声の配分のせいで、アメリカの観客は、タイトルの「帝国」を無意識にイギリス帝国に重ね、さらに植民地からの独立の物語を想起することになる。ダース・ベイダーが「お前の父は私だ」と告げる声が、アメリカ合衆国という共和国の出自を告げる声となって響いてくる。


なるほど、ですね...

そして、自分の力でおのれの運命を切り拓く「セルフメイド・マン」という、いかにもアメリカらしい価値観がアメリカ人の心性をくすぐったのだとも。

ルークの伯父のオーウェンは農民といっても、土地を所有し「家族農業」をする小規模な「独立自営農民」である。イギリスの封建制度のなかで生まれた言葉だが、これは見逃せない。独立自営農民は、独立戦争を支えたジェファーソン流民主主義やアメリカの「共和国」の理念と深く結びついている。ジェファーソンによれば、政治参加するには農地や農場を持つことが前提だった。


ルークのなかに「独立自営農民」の価値観が入っていることが大切なのだ。ルークはジェダイの騎士の血筋だとしても、独立自営農民を背景においたことで、ヒーロー物語として、単に英雄神話のパターンに基づく設定だけではないリアリティを与える。


そして、現在におけるアメリカの悩みの核心をもついているみたいです。

試されているのは、「銀河系=共和国」という一元化の理念をどこまで維持できるかの限界への挑戦である。「スター・ウォーズ・サーガ」が全編を通じて問いかけているのは、旧世界のしがらみを捨てた理念として新しく生まれた「アメリカ」だったはずの国が、そのアメリカ自身の内部から悪や帝国への意志が生まれてくる矛盾をどう始末すべきなのかである。


『スター・ウォーズ』が、勧善懲悪のように見えて若者に支持されたのも、現実のアメリカや世界の政治状況が泥沼化して、誰が敵で味方なのか判別できなくなっていたせいである。


人間の代替物としてドロイドとクローンの兵士が登場したのも、一九八〇年代からの差別を社会において撤廃していく動きのなかで、「政治的に正しく」差異を描くには、人間以外の存在が必要となったせいである。


本来はイギリスという帝国の横暴(「代表なくして課税なし」に表わされる)から逃れるために独立したアメリカが、二度の世界大戦と冷戦に勝利して逆に”帝国化”していく皮肉、そして、ベトナム戦争やイラク戦争では無辜の一般市民に危害を加える皮肉、一方で、黒人差別や性の差別の解消と、それに伴う言葉狩りなどによる表現の自由の制約の現われ、などが映画の各所にリアルに出ているんですねぇ...

いやいや、勉強になりますね。

そして、非常に面白い...

その他、著者は、キリスト教とのつながり、シェイクスピアとのつながり、オズの魔法使いとのつながり、など、いろんな題材と結びつけて論じてくれていて楽しめます。

おススメの一冊です...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☁| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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