2017年08月27日

『江戸はすごい』を読んで...

8月3日の記事に書いた堀口茉純さんの著作を他にも読みました。

『江戸はすごい』(PHP新書)です...

江戸はスゴイ (PHP新書) -
江戸はスゴイ (PHP新書) -

ひとことで言うと、
武士のために造られた江戸の町で、当時、世界最高レベルのインフラの恩恵を享受しながら生活を営み、時に文化の担い手になったのが江戸の庶民だったのです。
 なんです。


引用を続けますと...
一七世紀半ばにして、江戸には神田上水と玉川上水の総延長を合わせて一五〇キロ弱という、当時、世界最大級の上水道が完成した。


裏長屋暮らしには大きなメリットもあった。生きていくのに、お金がかからなったのである。たとえば、町の維持運営にかかる町入用、現代風にいうと税金の負担がなかった。町入用は、基本的に小間割り(町屋敷の表間口一間を単位にする課税方式)だったので、正式な町人である地主、家持層が負担して、町政にかかわる発言権や町役人の選挙権、被選挙権を得ていた。裏長屋の住人は、こういった公民権を持たない代わりに、無税で暮らせたのだ。


上の人を立てさえすれば、下々の人間は恵まれた都市インフラを享受しながらのんびりと気長に暮らせたのが江戸だったというわけです。

また、安価な娯楽もたくさん...

花見や月見、そして潮干狩り...

芝、高輪、品川、佃、深川、中川沖に早朝から船でくりだし、正午までステイ。引き潮になって海底が陸地になったところで船を下り、牡蠣や蛤を拾い、砂のなかに隠れたヒラメや浅瀬に残っている小魚を獲って、それを肴に宴会をするのだ。羨ましい!


公害のない当時は東京湾が海の幸の宝庫で、変な規制とか利権もなく、海はみんなのものという感じだったから、魚介類が取り放題で、それをすぐ調理して味わえた...

いやぁ、著者も言ってるように、うらやましい限りです。

治安維持に関しても、幕府は軍事政権ですから違法行為に厳しくて、それでよく治まっていたとか...

小塚原刑場と鈴ヶ森刑場は、それぞれ千住宿と品川宿の出入り口にあったし、板橋、内藤新宿にも臨時の仕置き場が設けられることがあった。つまり、江戸に出入りする人々は、強制的に犯罪者の処刑の様子や、磔や打ち首になってさらされた遺骸を目にすることになるのである。Oh……。女性などは迂回することも多かったらしい。


交通量の多い場所で、「江戸で犯罪を犯せばこうなる」と見せしめることで、犯罪抑止に一定の効果があったと考えられている。地方から、常に大量の人口が出入りしていた江戸にとって、仕置き場も重要な都市システムの一部だったのだ。


”人権”や”18禁”といったフレーズがやかましい現代では考えられないことですが、真っ当に生きる人にとっては問題ないのかもしれません。

江戸時代に戻りたいとは思いませんが、参考になる点も多くあるように思いました。







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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