2017年09月05日

倉都康行著『金融v.s国家』の感想(後編)

昨日の記事からの続きとなります...

2日目の今日は、”マネー”,”資本”,そして、日本の金融の未来についてまとめたいと思います。


まずは、”マネー”...

ジョン・ローは「貨幣の価値とは財と交換されることではなく、財の交換を媒介することにおいて現れる」とその本質を喝破した。これが現代に至る「信用にもとづくお金」の原点でもある。日銀券は日本銀行の信用にもとづいている、というのは教科書流の説明であり、現実にはそのお金で「スーパーで買い物ができる」「ガス料金が払える」と皆が信じているから流通しているのである。


国家財政のひっ迫とともに、日本円は大暴落するのではないかとか、米ドルも大暴落するのではないかとか、ネットや各種書籍ではそういう情報がときにあるかもしれませんが、そうじゃない...

結局は、人と人との合意によって、お金はお金であるのだと...

そういうことなんですね...

そもそも遠隔地貿易の際に利用されたのは為替手形であった。


通貨は、それを利用することで利便性が得られるという期待感によって選好される。そしてその結果が期待どおりであれば、さらにその利用意欲が高まる。


基軸通貨というのは、まず経済的な利便性の問題であった。


将来的にどの通貨で決済しようがそれほど問題ではなくなるだろう。新興国が資本不足でドルを求めるという時代でもない。彼らは逆に、ドルをもてあましているのが現状だ。


結局、通貨(決済用マネー)というものは、”信用”と”利便性”が基盤となっているということですね。

上に引用したように、中世ヨーロッパでは貨幣の量がそもそも少なく、為替手形を通貨代わりに使用し、その差額を市場で決済したというのが実態でした。

そこで求められている役割は利便性です...

もし日本やアメリカが国家財政の大赤字から破たんしても、円や米ドルの数字を記した為替手形が通貨の代わりに流通するように思います。

つまり、通貨を発行する国家の財政状態は直接は関係ないんです...

交換・取引の単位や尺度としての通貨というのが”マネー”の最も重要な機能なんです...


次に、”資本”について...

大半の人は、資金と資本の区別がつかないのではないのかもしれない。たとえば財布に入っている1000札は、資金である。


経済的な意味での資本になるのは、株式や社債、貸金などの形で資本主義のシステムに投じられた瞬間である。喩えていえば、ガソリンスタンドに貯蔵されているガソリンが、その時点ではエネルギーとはいえないのと似ている。


金融の初期段階において、資金が資本に転換される形態は金貸しであり、それがクロスボーダー取引となって国際資本市場が生まれる。


資本主義の「資本」とは何かというと、工場,オフィス,機械,通信機器といった固定資産および運転資本(在庫、短期決済用預金残高など)のことです。

つまり、事業を遂行するために投入されている、”お金が形を変えたもの”。

これが、”資本”...

大学の経済学や会計学などでは習いますが、大半の人はわかっていない...

投資家が持っている預貯金は、今の日本のゼロ金利ならびにそれを受け入れた金融機関が日本国債を買っているという状況のもとでは、単なる資金ですね。

事業に投入されていないから...

ここでは、”資本”という言葉の意味を改めて再認識させてくれます。


最後に、著者は、日本の金融の未来を描いています...

英米型金融は、格付けという一種の偶像崇拝を利用し、リスク資産価格の算定モデルを拡大解釈しながら、自己利益を公益に優先させるという間違いを犯して大打撃を被った。


日本の金融は資本収益率が相対的に低いという見方はたしかに否定できない。だがそれは経済史という重い歴史を背負った事実からの演繹であり、経営努力だけで数年間で改善できるものではないことを、金融史的な視点から捉える必要もある。


いかに市場機能を使って資本調達と資本運用を結びつけるか、いかに眠った資金を資本化するか、いかに効率的な資本運用を行うか、それだけのことである。むしろ資本主義に倫理観や社会観が問われ始めたなかで、そうした原点に立ち返る、適切な金融制度と金融市場、そして金融経営が求められている。


金融の卑しい面だけをことさら強調して批判するのは、経済成長の重要な源泉を捨てるに等しい。その風潮を変革するには、民間の力だけでは足りない。国家による適切な金融プロジェクトの計画と実行、そして管理が必要である。


ものづくりと同様にマネー・ビジネスもまた重要な仕事になっている現実を直視しないままでは、日本は永遠に米国と中国との間を漂流する「ものづくりGDPマシーン」の域を脱することはできないのではないだろうか。


金融を国家プロジェクトとして捉え直すことが必要である。


民間と歩調をあわせてアジア金融のインフラを設計するような「国際金融の胴元」へと踏み出すことが必要である。それが軍事力を放棄した日本外交のひとつの在り方だろう。


金融は、市場機能が最も輝く場であるとともに、重要な国家プロジェクトでもある。軍事力の代替手段として、あるいは国際経済の安定的成長手段として、日本の貴重な武器になる潜在性をも秘めている。


昨日の記事に書いた、英米の金融市場を作り上げてきた歴史を踏まえながら、日本独自の金融インフラ構築の青写真を国家と民間が力を合わせて築き上げよ...

これが筆者の結論でした...








posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 投資情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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