2018年07月19日

『大西郷という虚像』を読んで...

原田伊織著『大西郷という虚像』を読みました。

大西郷という虚像
大西郷という虚像

著者は幕末についての著作が多くある作家さんです。

NHKでちょうど大河ドラマをやっていることもあり、流行りのテーマでありジャンルでもありますね。

西郷という男は、通常、世間に流布しているイメージとは違い、非常にアクの強い、粗暴な男だと著者は主張していて、その傍証を挙げながら、真の人物像に迫っていってます。

以下、引用です。

郡方書役助とは、年貢徴収業務を監督するような役割であるが、この頃の西郷の評判はすこぶる悪い。
……(中略)……
数々の証言が残されているが、それらを列記してみると、
度量が偏狭(度量が狭い)
簡単には人に屈しない(頑迷)
一旦人を憎むとずっと憎み続ける
好き嫌いが激しい
執念深い
好戦的で策略好き
といったもので、要するに人間性に問題があるという見方をされていたようである。


そんな西郷は、藩主斉彬公のお庭番になったことがきっかけで、影の権力を手にし、のし上がっていきます。

御庭方という役職は、制度上の身分は非常に低い。しかし、通常の手続きを踏むことなく藩主斉彬から直々に指示を受け、直接報告することになる。


京都政局を舞台として次第にその名を知られるようになり、他藩の藩主たちも斉彬へのルートを得ようとすれば、先ず西郷と接触しようとするようになる。こうして西郷は、急速に人脈を拡げていったのである。つまり、御庭方として斉彬の「パシリ」を務めたこの時期、この経験がなければ、後の西郷隆盛は存在しなかったのだ。


特に学問的素養もなく、極論すればアクの強さだけで内々の機密を扱う役割を与えられた者が、その存在を広く認知されるとどういうことになるか。当然、思い上がりともいうべき心理が生まれる。もともと粗暴である点を以て全く人望がなかった西郷が、その例外であるはずがない。


その後、主君斉彬は亡くなり、西郷はいったん島流しになりますが、幕末の政局の混迷の中、彼が必要とされ、呼び戻されることになるわけです。

旧藩主である斉彬時代につちかった他藩との人脈が求められたのでした。

が、新藩主の父である島津久光と対立してしまいます。

島から復帰させたのはやはり薩摩・誠忠組と小松帯刀であった。薩英戦争において、アームストロング砲を有する英国艦隊相手に奮戦した薩摩の主力は、誠忠組であった。西郷の弟・西郷従道や従兄弟の大山弥助(巌)たちが必死の防衛戦を繰り広げ、藩内で発言力を増していったのである。


久光と西郷の人間関係に是非論をもち込むとすれば、非は西郷にある。
……(中略)……
西郷は、久光の計画を「浮浪輩の書生論」「畳の上の水練」などと称して、君側にいて何故止めないのかと散々に叱ったのだが、これは実は側近にいっているようで、その実久光に向かっていっているのである。それが解らぬ久光でない。


西郷の活動は、基本的に小松帯刀の指示に従いながら展開されており、第一次長州征伐で参謀を務めたことも西郷単独の力で成立したことではなかったはずである。小松にしてみれば、久光という西郷を忌み嫌う主を抱きながら藩を引っ張っていくには自らがその前線に立つわけにはいかないのだ。西郷をコントロールし、久光をなだめすかして藩をまとめていかなければならない。つまり、小松こそが幕末薩摩の実質的な大黒柱であったといえる。


我が国の歴史上最大の危機ともいうべき動乱の最中に、西郷は遅れて登場してきた。そして、その人望の無さ、策謀好き、独断専行といった本性の故に常に藩内で孤立し、島津久光と憎しみ合いながら、薩摩藩という重い荷物を引っ張っていくことになるのである。


西郷は、長州再征の勅許に反撥したようである。何故なら、長州を再征するということは、第一次征長を収拾した自らの策が否定されたことになるからだ。


独断性の強い西郷という男は、自分の為したことが否定されると激しく反撥する。これはもう本性の問題であって、如何ともし難いことであろう。ここから西郷は、急速に反幕府、討幕に傾いていく。「薩長盟約」という長州との連携を明確にした薩長合意を成立させたのも、この直後のことであった。


万事最後は力、即ち、武力とするのは、それこそ西郷の本性である。



長くなるのでこのへんで割愛しますが、人望篤い人徳者という虚像は、どうも見直す必要がありそうです...









posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 気づき・ヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

ごろごろブルーベリーのスムージは猛暑の特効薬だった...

昨日のお昼ご飯を御徒町駅南口付近で摂ったあと、デザートを食べたいなと思ってここに入りました。

crie_1.jpg

『CAFE de CRIE』さんです...

お店の前に「ごろごろブルーベリースムージー」の宣伝ポスターがあったので、それに惹かれてついふらふらっと入店してしまいました。

ランチに加えての出費ですが、でも、食べてみて納得です。

眼の健康にも良いブルーベリーが丸ごとたっぷり入った冷たーいスイーツは、昨日の猛暑を和らげてくれました。

crie_2.jpg

お値段は、レギュラーサイズだと¥450円です。

でも、2階に昇って、冷房の効いた1人席でくつろぎながら食すると、ゆったりした時間が流れるとともに何ともいい気分でした。

お店に行った時間帯はお昼どきの12時台でしたが、主婦だけでなくサラリーマンやOLさんもおられ、空いているときはガラーンとしていることもある2階席は9割がた埋まっていました。

皆さん、しばしの涼やくつろぎを求めに来てるんだなぁ...

店内の雰囲気はいいし、ちょっとした都会のオアシス感がありました。








カフェ・ド・クリエ 御徒町店カフェ / 仲御徒町駅御徒町駅上野御徒町駅

昼総合点★★★☆☆ 3.3









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2018年07月17日

デシャン監督は名将にして出来た男...

サッカーワールドカップ・ロシア大会が終わりました...

フランスの優勝で幕を閉じましたね。

優勝後のいろんな情報が出るなかで、私が、一番、感銘を受けたのは、デシャン監督のインタビューでした。

コレ(↓)です...




なかでもとくに、「選手たちには”23人の絆”が出来たのだ」と語るムッシュー・デシャンの言葉が胸を打ちました。

その言葉には、チームワークこそ一番大切なもので、しかもそれは目に見えないものだという知恵が込められているように思いました。

「大切なものは目に見えない」と『星の王子さま』のなかで語ったサン=テグジュベリもデシャン監督と同じフランス人ですが、個人主義者でありながら仲間との友愛を大事にするその国民性をも感じました。

選手時代には守備的ミッドフィルダーという、あまり目立たないポジションだったデシャン監督だからこそ、チームワークの大切さや、派手なプレーに捉われない勝つための采配ができたんだろうな...

グリーズマンやエムバペ、ポグバ、ロリスといった選手たちの活躍が目立ちましたが、フランス代表に対する真の貢献者はデシャン監督だろうな...










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