2018年09月12日

中川八洋著『国民の憲法改正』を読んで...

中川八洋著『国民の憲法改正』を読みました...

著者は、東大を理系で出た後、アメリカのスタンフォード大学に留学し、帰国後大学教授になったという経歴の持ち主です。

アメリカ、そしてイギリスの「保守主義」について数々の著作を出しておられる論客です。

国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂
国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂

この著作では、日本国憲法の私的な改正案を紹介しつつ、左翼思想に反対しておられます。

とくに、「国民主権」が左翼思想だということには、8月26日27日の記事で紹介した江崎道郎氏の『日本は誰と戦ったのか』の内容と相通じるものがありました。

以下、引用します...

米国は、その憲法制定によって「立憲主義(constitutionalism)」を憲法原理としたから、いかなる権力も制限される。このため、「制限されない権力」の意である「主権」は、当然に憲法違反であり、完全に排撃される。「立憲主義」と「国民主権」は水と油で両立しないから、米国は前者を採用して後者を追放した。


英国には、ブラックストーンの「“法”主権」や、ダイシーの『憲法序説』で日本でも有名になった「国会主権」の概念はあっても、「国民主権」も「人民主権」も存在しないのである。


米国憲法(一七八七年起草、八八年制定)には「人権」の文字も概念もどこにもない。あくまでも英国と同様、「国民の権利」しかない。いや、英国よりもはるかに中世封建時代的であった。なぜなら、「国民の権利」ですら、ハミルトンら「建国の父たち」らは反対であった。


話を米国憲法に戻せば、そこに「国民主権」がはっきりと不在になっているのは、憲法起草者が一致して民衆(demos)というものに「潜在的専制者(potential tyrant)」を透視し警戒したからである。育ちも教養も高い君主ですら「専制君主」になるとおそれるならば、その逆の、育ちも悪く教養もない民衆は主権を与えられれば直ちに“暴君”になるだろうことは、「米国の建国の父たち」にとって自明であった。


日本のように無制限にデモクラシーを礼讃する思想は、米国には僅かも存在しない。大統領が公文書でデモクラシーという言葉を用いるようになったのは―大統領がデモクラシーという言葉を用いて国民からの信頼にマイナスになることがなくなったのは―第一次世界大戦中のウィルソン大統領からであった。


このように、英米の政治体制には「国民主権」というものが存在しないのだ、ということを繰り返し述べます。

そのうえで、日本国憲法が制定された裏側も暴いています...

大東亜戦争とは、スローガン「東亜新秩序」が叫ばれ大東亜会議(一九四三年)が開催されるなど、マクロ的にはレーニンの『帝国主義論』に従ったアジア共産化に至るその中間段階的な解放戦争であった。実際にもこの戦争の推進の中枢にいたのは近衛文麿ら日本の共産主義者であり、ほとんどは文民であった。


ソ連に日本の将校・兵隊を奴隷労働力として差し出すことは、日本側で公然と議論されており、一九四五年七月に講話仲介をスターリンに依頼すべく訪ソする予定の元総理の近衛文麿が準備したその仲介条件案にはそれが明記されている。


一九四五年八月十五日未明に、天皇の終戦の詔書(玉音放送の録音盤)を奪い天皇を監禁しようとした共産主義の赤い将校達がいた。ソ連軍に日本を占領させるのが目的の、ソ連軍が日本に到達するまでの対米戦争を続行するためである。陸軍省軍務課の椎崎二郎中佐と畑中健二少佐らである。


米国社会から排除された“アメリカのはぐれ者”たちの巣窟であったGHQ民政局では、日本国憲法を書くに当たってスターリン憲法やワイマール憲法を参考にしたように、彼らは通常の“米国人”ではなかった。


一九四七年の民法改悪の標的が「家」制度の廃止であることは広く知られているが、それは『共産党宣言』の家族解体イデオロギーを指針としてなされたことを知らない日本人は多い。またそれが、GHQの意向とはまったく無関係であったことも知らない。


当時のGHQは、民法不干渉の方針であった。このことを、民法改悪のリーダー司法省民事局長の奥野健一が次のように語っている。「司令部として絶対に家の制度を廃止しろといったことはない。……従って臨時法制調査会が家の制度の全廃を多数をもって決議したということを聞いたときは、スキャップ(SCAP)としては非常に驚いて、……」


日米に潜在する左寄りの勢力が、太平洋戦争開戦から日本国憲法制定までをリードしたと語っています。

そのうえで著者は、もし日本国憲法を正しく改正するならば、”天皇は元首”,”国防軍の明記”,”平等は法の下の平等に限る”などの考え方に基づき行うべきとします。

明治憲法の第一一条「天皇は陸海軍を統帥す」は、敗戦と同時に軍部の独走を許した諸悪の根源のように糾弾された。しかし、この条項それ自体は、英国、ベルギー、オランダ、デンマーク、スウェーデン等においても、そう定められている。立憲君主国としては当然のものである。


英国における自由の権利はすべて、@英国民で、A国王(女王)の臣民で、B祖先より相続したから、という三条件を満たしているが故に享受できる権利だと定められている。


権利章典とは、「英国臣民の権利/自由」は「古来より相続した」「家産である」が故に、国王陛下に対してそれらを尊重して頂きたいと奏上する形式になっている。


“自由”とは、国王の王位が“世襲(相続)”であるが故に正統性をもつように、父祖から“世襲(相続)”したが故に国家権力から最大限に保障されるという原理である。


国家権力が「平等」政策を実行することは、不平等でつくられている現実を平等に扱う強制行為をすることであるから、それは国家権力が個人の自由を一切認めなくてよいというドグマなくしてはできない。国民の自由を僅かでも尊重しなければならないとなれば、いかなる平等政策も遂行できない。所得の差は能力の差と幸運の差によって必ず生じるのに、「所得の平等」を図ることは、貧困者以外の所得から貧困者の水準以上のものをすべて国家権力が強奪して「貧困の水準における平等」を強制することである。


米国の女性参政権(一九二〇年)は、「法の前の平等」を米国籍の成人たる女性への適用拡大という思想で処理して、男女平等からではなかった。


著者は必ずしも右寄りの人ではなく、立憲君主制の明確化と最低限の国防をなし、福祉国家から全体主義へとつながる過度な平等主義を排すべしとしています。

中道右派という感じですかね...

”保守主義”というものが具体的によくわかるように書いてあるな、と思いました。











posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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