2019年04月17日

宇野重規著『保守主義とは何か』を読んで...

宇野重規さんの著作『保守主義とは何か』を読みました。

内容については序章にある以下の一文を引用して紹介とします。

第1章で「フランス革命と闘う」バークの古典的な保守主義を再検討する。
第2章では、「社会主義と闘う」二〇世紀の保守主義を取り上げる。
第3章では、福祉国家の行き詰まりとともに現れた、「大きな政府と闘う」保守主義に目を向ける。
そして、第4章では日本の保守主義を考えてみたい。


保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)
保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)

エドマンド・バーク、チェスタトン、エリオット、ハイエク(本人は保守主義者ではなく自由主義者と自称)、ノージック、カークといった保守主義の論客たちの思想が学べる保守主義の入門本という感じです。

これを読むと、いかに日本の保守主義が弱いか、その弱さゆえに昭和初期に社会主義思想(左翼思想)によって浸食され、戦後の冷戦期にも猛威を振るったかがよくわかります。

以下に、私がうなった箇所、目を見開かされた箇所、あらためて学べた箇所を引用にて示します。

合理主義者は政治に関して、つねに問題の解決を目指す。問題解決を目指さない政治があるとは夢にも思わず、つねに画一的で、完全なる答えがあることを当然として、政治をその実現の場として捉える。


「自由」や「民主主義」、さらには「正義」といったものは、長い歴史的経験を抽象化して得られたものにほかならない。しかしながら、いったん得られたこれらの抽象的な原理は、ひとたび確立されると、あたかも経験から独立し、経験に先立って存在するものとして捉えられがちである。そして、そのような原理を学べばそれで十分であるかのような錯覚も生まれてくる。


人は抽象的命題からスタートすることはできない。人が何かを学ぶというのは、実践の場に参加し、そこでの行為や振る舞いに慣れ、そのルールを習得することにある。科学における仮説ですら、抽象的に生み出されるのではない。それは、すでに存在する科学の活動のなかから、その経験を抽象化することによってのみ、立ち現れるのである。


『保守主義の精神』は、純然たる思想史の著作である。
 ……(中略)……
 この本でカークは、保守主義の六つの規範を示している。第一は「人間の意識と社会を等しく支配する超越的秩序、もしくは自然法」である。「政治問題は、その根底において宗教的、そして道徳的問題である」とまでカークは断言する。第二は、「画一性や効率主義の支配に対する、人間存在の多様性と神秘性に対する愛」である。そして第三は、「文明社会には序列と階級が不可欠であるという確信」である。カークにとって、「階級なき社会」はけっして理想ではなかったのである。
 これに続くのが第四の規範、すなわち「自由と所有権が密接に結びついているという信念」である。そして第五の規範である「抽象的な計画に基づいて社会を改造しようとする詭弁家、計算屋、そしてエコノミストを信用しないこと」、さらに第六の「変化は有益な改革とは限らないと認めること」があげられる。


人間は自らの身体と労働の産物に対して所有権をもつ。政府がこれを勝手に移転するならば、個人の権原(entitlement)を不当に奪ったことになる。人々の労働の果実である所有権に政府が課税することは、結果として人々に強制労働させていることに等しいとして、ノージックは政府の権限の拡大を厳しく批判した。


保守革命以降、アメリカでは、自らを保守派として捉える人がリベラル派を自認する人を大きく上回る状態が続いている。二〇一〇年代に入った今日でもその趨勢には変化がなく、基本的には保守派がリベラル派の二倍近くを維持している(『アメリカン・イデオロギー』)。「リベラル」という言葉は、政府予算の無限の拡大を許す無責任さや、性的・倫理的な放縦を含意するようになり、自覚的な左派以外はリベラルを自称することもなくなった。


「宗教」は現在、再び大きな注目を集めている。
かつて近代化と世俗化を同一視し、宗教の社会的影響力の低下は必至であると考える傾向の強かったヨーロッパでも、現代ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスによって「ポスト世俗(化)時代」が熱心に論じられている。時代の潮流は変わったといわざるをえない。


いかに、そのときどきの理性に頼ることが危ういか、歴史に学ぶことを軽視することが危ういか、モラルの由来は宗教であるか、等々につき教えられます。

また、進歩、革新、理想社会といった19世紀的なフレーズが、ベルリンの壁の崩壊とソ連の破たん、中国の資本主義化、環境破壊や行き過ぎた自由によるモラルの破たん、テロリズムへの嫌悪の風潮などにより魅力的ではなくなり、逆に、古き良きものへの憧憬が社会全体にじわりと浸透しつつあるというのが今の世界情勢だとあらためて思いました。









posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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