2019年05月26日

鹿嶋春平太著『聖書がわかればアメリカが読める』の感想

鹿嶋春平太著『聖書がわかればアメリカが読める』を読みました。

著者は、本名を肥田日出生といい、かつては大学教授を務めておられた方です。

聖書がわかればアメリカが読める
聖書がわかればアメリカが読める

この著作は、著者のアメリカ時代の経験をふまえたもので、アメリカの社会の根っこにあり、アメリカ人の実生活のリアルな現実と不即不離の関係にあるキリスト教につき、うとい日本人向けにわかりやすく解説した案内本となっています。

例によって、引用により説明いたしましょう...

アメリカの物質的、文化的な繁栄、制度としての民主主義、能力主義、合理主義は、木の枝に咲いた花や実であるにすぎない。


「現世合理主義」と「霊本位主義」、この二つの意識が、時に応じて交互に出てくる。だから複雑なのだ。それは彼らに現実的メリットも与えている。彼らは、聖書における霊思想に世界観や人生観のベースを置いている。ここで、実は最終的な夢や希望を見いだしている。すると、この世の現実に対してはあまりたくさん夢をもち込まずにやっていけるようにもなるのだ。


彼らの宗教は、日本の「鰯の頭も信心から」というような信仰心とは対極の構造をもっている。壮大な存在論に基づく論理性が横たわっている。これが日本人にはわからなかった。


日本人には、宗教は知的ではなく非論理的なものだという国民的信念のようなものがある。こういう偏見は、われわれの伝統的な宗教に存在論がないことから来る。存在論とは、存在するものを説明しようという理論、理屈である。


わが国の信仰者には、キリスト教とは道徳を教えているものである、という偏見が根強くある。それはきわめて根深いものである。なぜそうかと言うと、直接的には「人は肉体と霊からなっている」という聖書の存在観、人間構造論を、日本の信仰者が見落としてきたからである。その結果、霊の問題を軽視し、肉体のあるこの世での生活のことに重点を置いていく。


このように、日本人の宗教に対する一般的な理解とは違って、アメリカ人にとっての生き様,生き方の指針として、真正面から取り組み、求め、理解しようとする対象が聖書であり、神であり、”霊”だということです。

そして、アメリカ人の心の奥底にある聖書の知識と解釈が、実は、彼らの行動パターンのすべてにおいて最も優先される理屈・理由づけになっていることも重点的に説明されています。

法を破る者があればそれを通報し、証言するのが当然であり、正しい行いなのである。そこには日本語の“たれ込み”というイメージは微塵もない。相手が誰であろうと関係ない。「自分はゴッドの意に沿う行為をしているのだから」、というわけである。


マイクロソフト社の独占的地位は、現時点では顕著な弊害を出していない。しかし、その地位を濫用すれば、利益を上げられる状況にはある。それは、今後彼らを誘惑し続けるであろう。アメリカ人、とりわけ独占禁止法を担当する法律家の意識の奥底には、人間は結局そうなるという確信がある。だから、執拗に分割が求められるのである。


俗世の富を通して創主の栄光が示されるのである。自己の栄光のためにキャデラックを求めるのは罪であるが、創主の栄光を示すためにキャデラックに乗るのは神意にかなっている。これは今でもアメリカ人の経済観、人生観の根底をなしている。


さらには、アメリカという国の成り立ちにおいて主流となったヨーロッパでは迫害された少数派キリスト教信者の話や、政党とキリスト教の関係、「自由の国アメリカ」とは聖書解釈の自由という意味であり、それがひいてはアメリカ人の独創性の源になっているという話しなど、興味深い内容がてんこ盛りでした。

世界最大の経済力を誇り、日本の同盟国でもあり、重要な投資先でもアメリカの深層の理解という意味で、大変有意義な本だと思います。

日本人にとって必読の一冊です。









posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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