2019年06月10日

『近代とは何か その隠されたアジェンダ』を読んで...

スティーブン・トゥールミン著『近代とは何か―その隠されたアジェンダ』を読みました。

著者は学界でも、またアメリカ行政の世界でも、著名かつ実績のある方です。

近代とは何か―その隠されたアジェンダ (叢書・ウニベルシタス)
近代とは何か―その隠されたアジェンダ (叢書・ウニベルシタス)


この著作の内容は、近代合理主義に鋭くメスを入れていて、合理主義が宗教戦争の混乱の中から生まれ出てきたことを説明していました。

いわゆる”宗教戦争の最終決戦”となった三〇年戦争を再発しないようにするために知識人が頭脳を絞って打ち立てたのが近代合理主義だったと著者は主張しています。

いうならば、キリスト教の宗派間の対立を終息させ、宗派間の対話のためのツールとしての”合理主義”だった、ということです。

おおきくいえば、宗教改革の流れのなかに”合理主義”の誕生はある。

合理主義イコール脱宗教化だと思っていた私にとって、目を見開かれる思いがしました。

以下、引用です。

三〇年戦争は一六四八年、終結に至った。それは、征服による平和ではなく、疲弊による平和であった。……(中略)…… いったん平和が訪れるや、主権「国民国家」のシステムが設定され、それによってヨーロッパの政治および外交業務の枠組みができ、そしてその枠組みは第一次世界大戦まで続いたのである。


中世のキリスト教世界においては、学問のある聖職者と学者からなる国家横断的な階層教会制度が、大部分は無学なヨーロッパの支配者に対して道徳的・精神的権力を振るった。今やその権威は崩壊した。


三〇年戦争の後、ヨーロッパの社会と文化を再建した人々が、さまざまな主権国民国家の内部と国家相互間で指針としたのは安定性であり、個々の国家それぞれの社会構造の内部では、階層制であった。


デカルトは、合理的方法ならば、宗教的対立を回避するような確実性を提供するであろうと期待していた。今や、その期待を利用して、二つの宗教的陣営から人々を連れ出し、寛大の精神をもって共に席に着かせ、基本的争点についての理解を進展させる必要があった。すなわち、ほとんど論争のない事項については合意し、そして、そのような見解の収斂が実行不可能な違いは切り離す―それどころか解消してしまう―のである。


一七世紀の合理主義の勝利と、それによって生まれた確実性の探究は、全く唐突に起こったのではなく、ある特定の歴史的危機に対する明瞭な反応なのである。


近代科学および哲学の一七世紀の創始者たちは、彼らの仕事全体を決定づけるほど神学にコミットした。再三再四、デカルトとニュートンは、自分たちの考えの宗教的正統性について関心を表明している。


近代の端緒を切りひらいたとされるのは、理系分野ではニュートン,文系分野では「我思う、ゆえに我あり」のデカルトと言われていますが、彼らは宗教戦争の悲惨さと混乱を目の当たりにし、二度とそういうことがないように、人々が合理的に行動できるよう、数学,哲学,物理学などの基礎となる発想をいちから作り出した...

デカルトもニュートンも、”神”(God)を信じる信仰篤い人たちであった...

ヨーロッパ文明の歴史の流れをあらためてよく理解できた気がしました。

勉強になりました。










posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

にほんブログ村