2019年08月21日

『経済と人類の1万年史から21世紀世界を考える』を読んで

ダニエル・コーエン著『経済と人類の1万年史から21世紀世界を考える』を読みました。

著者はフランスを代表する経済学者であり、知識人・思想家です。

2012年に朝日新聞に勤労や努力を否定する彼の言説が載り、一時、センセーションが巻き起こっていたそうです。

日本では、二〇一二年一月一八日付『朝日新聞』(朝刊)の「オピニオン」のページで、「経済成長という麻薬―幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える」と題する著者コーエンのインタビューが全面にわたって掲載されたのを、ご記憶の方がいらっしゃると思う。「富というものは、働かなければいけない時間を減らすためにあるものだ。貧しい人がたくさん働くのは、まさに貧しいからだ。余裕のある者も同じくらいに働くべきだという考えはばかばかしい」と発言し、(働きすぎの)インタビュアーを唖然とさせ、朝日新聞の読者から大きな反響があった。


あの有名なピケティとも親交があるようですね。ヨーロッパの知識人の一人として、彼の主張はおおいに参考になるところです。

本著は、人類の歴史を概観しつつ、産業革命,科学技術の発展,IT革命などに関して、新たな視点から切り込んでいます。

参考になるところ多し、です。

経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える
経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える


以下、例によって興味をひかれた箇所を引用したいと思います。

サバイバルするためには、技術進歩の利用者になるか、機械化が不可能な分野で働くかである。生の公演など、どっちつかずの状態は最悪である。つまり、サービス業が推進されていくと、われわれは、テクノロジーを徹底的に駆使する職業と、テクノロジーをまったく利用しない職業という、極端な状態に到達するのだ。


フーラスティエが思い描いた楽園と大きく異なり、サービス社会は、その名が示すように顧客の支配下にある。本当に命令を発するのは、企業の経営者というよりは、むしろ身勝手にふるまう顧客なのだ。人に優しい社会という期待は、大いなる失望に終わった。サービスが遅れることに我慢できない短気な顧客が課す「ジャスト・イン・タイム」という暴君が支配する社会になったのだ。


経済学者リチャード・イースタリンが、一九七四年に発表した研究には、大きな反響があった。このきわめて重要なポイントについては、経済学者たちも大いに注目した。「あなたは幸せですか?」という質問に対する回答を、三〇年間にわたって調査したイースタリンが、この調査期間中に、人々は経済的に驚くほど豊かになったにもかかわらず、人々の幸せに関する意識には、まったく変化が見られなかったことを突き止めた。


大事なものは何かという問いに対する答えとして、
一九六〇年の調査では、調査対象者になったアメリカ人の六五%は経済的な豊かさ、四八%は健康、四七%は家族と回答した。その三〇年後の調査でも、この数値には、ほとんど変化がなかった。調査対象者の七五%は幸せとはたくさん稼ぐこと、五〇%は家族の安泰と答えた。健康と答える人の割合はほんの少し減り、調査対象者の三分の一になった。平和・自由・平等を挙げる者の割合は、しばしば言及されるよりもずっと少なく、一〇%未満だった。それらの数値は、国や政治体制が違っても驚くほど似通っていた。たとえば、一九六〇年のキューバでは、それぞれの数値は、七三%、五二%、四七%だった。同年のユーゴスラビアでは、八三%、六〇%、四〇%だった。……(中略)…… この結果の説明は、誰が聞いても驚かない、単純で不滅の現象に起因する。それは羨望である。他者よりも成功することは楽しい。マルクスはすでにこれを見抜いていた。「近隣の家が同じサイズであるかぎり、自分の家が大きかろうが狭かろうが、どうでもよい。だが、隣に豪邸が建つと、自分の家はあばら屋になってしまう」。


経済成長によって国家の予算制約は緩和され、国家は自らの野望を実現することが可能になる。……(中略)…… 経済成長により、国家や個人は、これまでに抱いていた地政学上の野望を実現させるための手段を手に入れるため、平和に配慮しなくなる。第一次世界大戦は、まさにそうした出来事であった。


裕福な国は非物質的なモノの生産をしっかり手中に収めている。その例証として、今日でも研究開発活動(R&D)の九五%は、裕福な国で行われている。ガン・糖尿病・アルツハイマーなどの疾病の治療法などは、全力で取り組まれているが、マラリアなどの病気は、支払い能力のある顧客が存在しないので、治療法が確立されていない。つまり、裕福な国による非物質的なモノの流通管理は、残念ながら世界の公共性をまったく考慮していない。


マルクスやスミスの経済学では、「F2F」が前提にあった。この枠組みでは、経済主体は顧客と過ごす時間の単位によって報酬を得ていた。つまり、労働時間は、彼らの報酬額を決める適切な時間単位だった。ところが、非物質的なモノの生産の特質は、まったく異なる。映画スターのギャラは、映画を制作するためにかかった時間に応じて支払われるのではない。映画スターの知名度や、その映画スターが、二分間であろうが二時間であろうが登場するだけで獲得できる市場規模に応じて支払われる。サイバー・ワールドの掟は、大昔の経済を想起させる。労働の価値は下がり、名声や評判が最大の関心事になり、労働の世界に対する「意識的な無関心」が根づいたのである。


文化経済学者のフランソワ・ベンアモウが、鮮やかに解き明かしたように、文化産業は「スター・システム」という原則に基づいて機能している。オープンで多様性に満ちていると信じられている世界では、映画・書籍・展示品など、ほんのひと握りの作品や興行が独り勝ちする。人々は同じものが観たいのである!


本書の原題は『悪徳の栄えー(不安になる)経済学入門』といい、経済成長にダメ出しをしています。

慧眼な着眼点、忘れやすい論点の掘り起こしと新たな再認識、現代経済の活写など、知識人たる者かくあるべしと思わさせられる文章にたくさん触れることができました。

他の著作も今後読んでみたいと思いました。








posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 気づき・ヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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