2019年08月25日

『ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国』を読んで

伊藤宏二氏著『ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国』を読みました。

ヴェストファーレン条約とはヨーロッパの多くを巻き込んだ三十年戦争の終結のための条約であるとともに、現代につながる主権国家体制のスタートとなったきっかけでもあると評価されてきた条約でもあります。

ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国―ドイツ帝国諸侯としてのスウェーデン
ヴェストファーレン条約と神聖ローマ帝国―ドイツ帝国諸侯としてのスウェーデン


世界史好きの私としては、認識をあらたにできたとともに、これまで知らなかった諸事実を指摘され、目を開かれる思いでした。

以下、例によって参考になる箇所を引用しつつ解説していきたいと思います。

シュレーダーは条約の哲理(Philosophie)に注目している。これが「1648年以降の国際法の存続と発展に決定的となり」、ヨーロッパ諸国家体系の社会秩序・構成原理に関係したと考えている。この原理は、既存の宗教関係を損なわずに皇帝・教皇の普遍的権威を拒絶し、キリスト教的統一体を諸主権国家に解体したのだった。


いまや理念的には、国際法的にも確定したヨーロッパの政治文化的伝統の表現として、普遍主義を排除し国家的な多様性を保護することになった。


この時示された「同等性」は、普遍主義を掲げた国家同士が、限定すれば同条約の当事者たる三者間によって、長期化した戦乱を収拾する方便として相互に対等な存在であることを認め合ったに過ぎなかった。しかしながら、普遍主義国家が相互の同等性を認め合うという矛盾によって普遍主義そのものが空洞化されることによって、あらゆる諸国家は同等であるという政治理念がこの中から成長することになる。


ヴェストファーレン条約が規定したヨーロッパ国際政治の構図は、まず第一に「同等な主権国家」として相互に認め合ったフランス・スウェーデン・オーストリアの三頭体制であった。


三十年戦争におけるスウェーデンの勝利は、普遍的キリスト教世界が「教派教会」と地域的・王朝的な基盤を持つ「部分国家」の並存体制へと移行し、ヴェストファーレン条約を通じてそれを確立したことを意味している。


要するに、この条約によって認められたプロテスタント国2国(スイス、オランダ)の神聖ローマ帝国からの独立と、プロテスタントの多い北ドイツ域の帝国諸侯を援助し、戦争の戦勝国となったスウェーデン(これもまたプロテスタント国)の言い分が認められたことは、それまでのローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝が曲がりなりにもヨーロッパの2つの頭(ヘッド),すなわち”聖俗の長”という建前を完全に葬り去り、「同等な主権国家」の並存体制へとヨーロッパが変化したことを意味します。

と同時に、ルター派だけでなくカルヴァン派も認められたことで、宗教的・精神的な価値観もまた並存することになっていきます。

誠に、この条約はヨーロッパ史の転換点であり、同時に世界史の転換点でもありました。なぜなら、この後、ヨーロッパ諸国が世界中を植民地・半植民地化していくため、この時に成立した体制が全世界に広まっていくことになるからです。

また、日本の世界史の教科書にも”国際法の父”として載っているグロティウスも、この三十年戦争期のスウェーデンの戦争遂行の基本理念とされたことにより、戦後、より広まることになったみたいです。

1625年に出版されたグロティウスの『戦争と平和の法』(De iure belli ac pacis)は、当時のスウェーデン高級貴族たちに広く親しまれていた。グロティウスは同書を通じて、当時において最も根強く息づいていた平和の基礎たる普遍帝国の観念を否認し、世界の秩序は自然法に基づくと主張した。この秩序によれば、平和は時として武力を用いて守られる必要があった。その際、「諸国民の法」上「合法」とみなされた戦争においては、当事者間の同等性が前提とされたのである。


以上の意味において、ヴェストファーレン条約は、「神聖ローマ帝国の死亡証書」(=従来の学説)というよりは、「ローマ帝国理念の死亡証書」と言ったほうが適切だと私は思いました。







posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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