2019年09月06日

『昭和12年とは何か』を読んで...

宮脇淳子氏ら編著『昭和12年とは何か』を読みました。

この本は2018年10月に設立された「昭和12年学会」の設立趣意や背景などを語った内容になっております。

昭和12年とは何か
昭和12年とは何か

会長の宮脇淳子氏は東洋史学者で元夫は同じく東洋史学者の岡田英弘氏。そしてNo.2が、このブログにも過去何回か著作を紹介してきた憲政史家で反リベラルの立場に立つ倉山満氏です。

東京裁判史観、自虐史観、左翼系マスコミの論調に左右されずに、自由闊達に昭和初期の日本史を世界との関連から研究していこうという趣旨に立つ学者さんたちの集まりです。

以下、例によって引用にて内容を紹介したいと思います。

バチカンは反共産主義の観点から、中国大陸における日本の立場を理解し、支持していました。昭和十二年の盧溝橋事件のあとでも、ローマ教皇は日本をサポートするようカトリック教徒に支持しています。


チェンバレンは、バチカンが抱えていた問題意識、つまりソ連を挟み撃ちにしなければいけないということをわかっていた、最後のイギリスの首相です。


ソ連を挟み撃ちにしようとしていた人は実際にいました。スペイン内戦が前年に起こっていて、八月二十八日に《[教皇庁]フランコ政権承認》とあります。これは反共のための動きです。フランコはバチカンの動きに乗りました。バチカンは、「ソ連包囲網」を本気で考えていました。宗教を否定する共産主義をこの世から抹殺しなければいけないとバチカンは思っているので、英米とドイツを仲よくさせ、さらにそこに日本も巻き込もうとしたわけです。大戦終結後にナチス党員が亡命先としてアルゼンチンをはじめカトリックの国へたくさん行くというのも、そういった流れの中にあります。


国ごとにプロレタリアートに先導された人民が立ち上がったとしても、勝つことは難しい。そこで、革命派は国を越えて連帯しなければならない。これが、インターナショナルということの意味です。


レーニンは、しかし、資本家を倒す革命を決して諦めませんでした。そこで、作戦を変え、直接ヨーロッパの資本家に闘いを仕掛けるのではなく、彼らの富の源泉となっている虐げられた植民地の住民をたき付け、反乱を起こさせてヨーロッパの資本家の力を弱めよう、と考えました。そこで目を付けたのがアジアです。アジアの植民地や従属国に出かけ、そこの人民を宣伝と教育によって共産主義の活動家に仕立て上げ、宗主国への反乱を起こさせる。こういう回り道をして資本家を倒す。これをレーニンの「アジア迂回」政策というのです。


中国大陸こそは、コミンテルンの作戦対象としてまことにふさわしいものでした。方針に基づき派遣された工作員は、のべ一万人にのぼります。


コミンテルンができた一九一九年に中国は明らかに親日から反日になり、ソ連に融和的になります。中国が初めてナショナリズムというものを見せるのが五・四運動で、それが一九一九年です。


第一次世界大戦後のヨーロッパで共産主義革命に失敗したソビエト連邦を中心とする国際共産主義勢力は、アジアで保守勢力(日本、蒋介石)を打倒しようと画策し、それが実を結んだのが、反日運動〜日中戦争そして太平洋戦争だったようです。

しかし、第二次世界大戦でソ連が戦勝国になることで、その裏面工作が隠蔽され、日本やイギリスのチェンバレン首相は”悪”ないし失敗者として位置づけられてしまった...

が、冷戦でソ連が打倒されて以降、徐々にそのへんが明らかになりつつあるのですが、残念ながら、まだまだ歴史学の主流とはなっていないようです。

今後の歴史学の見直し、そして正しい見方の普及を望みたいと思います。







posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 気づき・ヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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