2019年10月27日

G・K・チェスタトン著『知りすぎた男』を読んで

G・K・チェスタトン著『知りすぎた男』を読みました。

著者は19世紀末〜20世紀初頭にかけて活躍した大英帝国華やかなりし頃のジャーナリストにして作家です。このブログの過去記事としては2018年5月2日の記事で彼のことを取り上げております。また、作品は推理小説の短編集となっております。

知りすぎた男―ホーン・フィッシャーの事件簿 (論創海外ミステリ)
知りすぎた男―ホーン・フィッシャーの事件簿 (論創海外ミステリ)

推理小説とは言いながら作者の主義主張が込められた警世の書となっていて、読後感は重厚なものがありました。

主な探偵役は上流階級の有閑夫人ならぬ有閑紳士のフィッシャー氏です。彼が通常の正義漢ではなく、事件の真相をつかんでも犯人を見逃すケースがしばしばあります。こんなふうに...

「みんなが込み入った社会の仕組みをダイナマイトで吹っ飛ばしでもしたら、人類はその分いっそう悪くならないとも限らないし、とにかく、あまり責め立てないでほしいね、わたしが社会のなんたるかを知っているからって。だからわたしもぼんやり時を過ごしているのさ、腐った魚のことを考えたりして」
 フィッシャーはいったん間を置き、川のほとりに再び腰を下ろすと言葉を継いだ。
「前に言ったよね、大物は川に投げ返さなきゃならないんだと」


これは、世の中の秩序が壊れるよりは悪は見逃すべきだという作者の価値観を示していると思われます。

他にもこのフィッシャー氏のセリフからいくつか紹介してみましょう。

いいかな、きみ、人間について最良の面を知るには、まず最悪の面を知らねばならないんだ。あいつは女に目もくれず賄賂の意味も知らない男だ、正真正銘の蝋人形だと、そう世間から見られている者にも、人間としての不可思議な心根がないわけではない。宮殿でさえも、よき生活は営まれうる。国会でさえも、よき生活を営もうという努力がときには実を結びうる。貧しい追いはぎや巾着切りばかりか、富める愚か者やならず者にもあてはまることだが、いかに各自がよき人間たらんと努めたか、それを知るのは神だけだ。良心はいかなる試練に耐えて存続しうるか、おのれの名を汚した者がいかにその後おのれの魂を救わんとするかは、神だけがご存じなんだ。


愛国心はときに究極の徳となる。他人をたぶらかしたりたらしこんだりする人間でも、国は売らないものだ。


何が善で何が悪かは人間には完全にはわからないものなんだと。”神のみぞ知る”のだと。だから、悪だと一見思えるものでも、短気を起こしてそれを簡単に取り除くなと。そういうことを作者は言いたいようです。

より具体的には、政治家に対して支持をすること、そうすることによって世の中の秩序を壊さないこと。ひとことで言えば「保守主義」ですね。

物語のなかでは、政治家や政治家の友人が見逃されます...

実に風変わりな探偵小説でした。






posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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