2019年11月05日

シュテファン・ツワイク著『ジョゼフ・フーシェ』を読んで

シュテファン・ツワイク著『ジョゼフ・フーシェ』を図書館で借りて読みました。

岩波文庫版でして、刊行されてからかなり経っています。

ツワイク氏は世界的に有名な伝記作家だそうですが、読後感としても、「こんなに素晴らしい伝記作家になぜ今まで出会わなかったのだろう」という感動ともったいなさがこみ上げてきました。

それぐらい、感動の一作でした。

ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)
ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)


題材になっているジョゼフ・フーシェ氏は、フランス革命期からナポレオン時代を経て、王政復古までを生き延びたしたたかな政治家です。

暗殺の危機、処刑される危機、失脚の危機など、数々のピンチを知恵によってくぐり抜け、平民の出ながら、最後は公爵に列せられました。

晩年こそ栄光が失われたものの、フランスの歴史と国益の保持に一定の役割を果たした重要人物です。

彼の性格は複雑怪奇でして、確たるポリシーはなく、リアリズムとマキャベリズムの徒であると言えましょう。

老獪、果断、ときに冷酷、しかし家族愛は持っているという、シビア―な仕事人間でもあったようです。

興味深い箇所を例によって以下に引用してみたいと思います。

僧院学校の十年間にジョゼフ・フーシェは、のちに外交家として活躍するにあたって非常に役立った多くのことを学んだ。わけても沈黙の技術、堂に入った韜晦術、心底を見抜き気持ちを読みとる心理学的堪能がそれである。


どんなに無礼きわまる侮辱でも、どんなに不名誉きわまる屈辱でも、まつげ一つ動かさずに冷たい微笑をうかべながら、堪えしのぶであろう。いかなる威嚇もいかなる憤怒も、この魚のように冷たい男を戦慄さすことはできないであろう。


彼がある党を裏切って去る場合、それはけっして緩慢に慎重におこなわれるのではない。こそこそと列から抜け出るのではない。白日のもとに冷たい微笑をうかべながら、見る者をして唖然たらしめ、嘗めているように当り前の話だというような顔をして、まっすぐにこれまでの反対者のもとに走り、反対派の合言葉と議論とをそっくりそのまま頂戴するのである。


彼の性格形成と行動方針はカトリック教会の僧院付属の学校で養われ、イエズス会式の「目的のためには手段を選ばず」という処世術や沈着冷静に事を運ぶという手法が彼のその後の人生の武器となります。

独裁者ロベスピエールとの政争にも勝ち、その後の総裁政府の中もうまく泳ぎ抜け、そして、世紀の天才ナポレオンの腰巾着となっていくのです。

いつでもすぐれた人物同士はたちまちにして知己となるものだ。たちまちフーシェはこの英雄の前代未聞の盛り上るような気概を見て、抑えがたい支配の天才を認め、たちまちボナパルトはその鋭く襲いかかる猛獣のような眼を光らせて、フーシェは使える男だ、どんなことにでもふり向けられ、何事をも早く呑みこんで、精力的にこれを実行に移し得る助手だということを認めた。


しかし、ただナポレオンの下僕となるのではなく、内務大臣の職権を利用して機密や他人の秘密を握り、ナポレオンが彼を嫌い始めても失脚しないように手を打って、生き抜いていくのです。

皇帝の私室から出るあらゆる重要な書類は、買収されていた秘書の一人の手によって写し取られ、フーシェの手もとに廻ってくる有様だし、身分の高い者も低い者もあったが、従者のなかの多くの者は、宮廷内のいろいろな雑談の確かなところを彼の耳に入れる報酬として、警務大臣の機密費から月々の手当を貰っていたのである。


さらに、ナポレオンが敗北して失脚したあかつきには、復古王政にすりより、これまた大臣の座を射止めます。

しかし王政が安定した時、とうとう政権の中枢から遠ざけられてしまいます。

最晩年は、故国フランスからは実質的に追放され、外国であるオーストリアの支配地域で隠居生活を送ることになります。

が、殺されることなく、日本流に言えば”畳の上で死ぬ”ことができた彼は、大きくみれば時代の勝ち組であったといえましょう。

ジョゼフ・フーシェという波瀾万丈の人生の面白さ、劇的さ、したたかさ等々、一個の人間の生き様をまざまざと感じることができました。

世紀の名作だと思います!







posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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