2020年04月21日

マーク・リラ著『リベラル再生宣言』を読んで...

マーク・リラ著『リベラル再生宣言』を読みました。

著者はアメリカの政治学者、思想史家、ジャーナリストで、ニューヨーク市のコロンビア大学の人文科学の教授でもあります(Wikipediaより)。

リベラル再生宣言 - マーク リラ, Mark Lilla, 駒村 圭吾(解説), 夏目 大
リベラル再生宣言 - マーク リラ, Mark Lilla, 駒村 圭吾(解説), 夏目 大

”リベラル”というと、自由主義者でありどちらかというと保守派の私にとってはあまりいいイメージがありません。

左翼,行き過ぎた民主主義,古き良きものの破壊といった印象がどうしても拭えないからです。

しかしこの本を読んでみて、健全な自由主義者のリベラルの可能性を見た思いがしました。なぜなら、著者は米国の主流リベラルである民主党の路線や活動を批判しているからです。

彼は、民主党を中心とした1960年代以降の米国のリベラル路線が、個々の価値観を大事にするあまり、価値観集団ごとの分断を招いたと批判しています。

黒人、女性、貧困層、低教育者層、移民などの小集団に社会が分断され、さらにエスカレートして、フェイスブックの個人ページのように属性ごとに、つまりいち個人ごとにアメリカ社会が分断されてしまったと...

また、個人の権利を大事にするあまり、訴訟(裁判)の場に力を入れ過ぎてきたとも批判しています。

以下に引用します...

裁判に訴えるのは、公民権運動の初期においては重要な戦術だった。しかし、その戦術を採るようになって以降、リベラリズムに対する一般の国民からの評価は急激に下がることになった。リベラルは、自分たちの主張する権利をすべて侵すべからざる絶対の権利として扱う。一切、話し合おうとせず、自分に反対する者がいれば、皆、道義をわきまえない怪物のようにみなす。決して、ただ考え方が異なるだけの同じ市民だとは考えない。リベラルはそういう人種に見られるようになったのだ。


裁判で自らの主張を通すなど、教育を受けたエリート層だけに可能な特権ではないか、という右派の主張に賛同する人も増えていった。


立法の手続きを信用せず、目的を達するために裁判所に頼るようになったことも問題だった。そのせいで、リベラルな民主党の支配層は、党の投票基盤となっていた一般の国民とは乖離してしまった。


アメリカは訴訟社会と言われますが、それは一定以上のエリートのや富裕層のものなんですね。

訴訟は個人の権利の最も強い表現の場だと思いますが、それがゆき過ぎると非政治的にもなるという著者の指摘も正鵠を得ていると思いました。

一方で、著者は、共和党とトランプ政権にもノーを突き付けています。

まず共和党ですが、彼らがレーガン政権(1981〜1989年)以来、「政府」というものを破壊してきたと指摘しています。

アメリカには新たな種類の英雄が誕生した。「起業家」だ。起業家をある種の神のように崇拝する風潮は一九八〇年代に生まれた。起業家になることが、出世への早道であるとされた。アイデアとガレージと、ちょっとした道具さえあれば、誰もが起業家になり成功を収める可能性がある、そんな夢が人々にもたらされた。起業家に道徳的であることは求められなかったので、その点でも楽だった。


アメリカ人は、以前ほど他人を必要と感じなくなった。互いに助け合いながら生きているという感覚を持つ人が減った。レーガンはそんな国民に向け、新しい考え方を示した。政治に頼ることなく良い暮らしを実現するという考え方だ。これは、かつてフロンティアを開拓することで暮らしを豊かにしてきたというアメリカ人の経験に合致していた。


レーガン体制の下では、すべての人が個人の経済的利益を最優先すべき、という極端な個人主義を支持する人が増えた。


共和党は、自らが政権を持たない時には、「政府」というものを敵視することで、政権を奪取しようとする。また、政権を取った時にも、自分たちの支配下にある「政府」を壊すと国民に約束することで、政権を継続しようとする。


アメリカ社会は、1980年代以来、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツやアップルの創業者スティーブ・ジョブズのように起業して成功を収める道をもてはやし、その妨害となる政府の課した様々な法律や規制を主として共和党政権のもとで撤廃の方向にもっていきました。

その結果、貧富の差は拡大し、不満を抱える貧困層の増大や学費ローンに苦しむ苦学生を生み出してきました。

そんな中、2012年にドナルド・トランプ氏が大統領に就任します。

高度な教育を受けた一握りの人たちだけが、新たなグローバル経済からの恩恵を受け、とてつもなく裕福になっている。国民の多くは恩恵を受けることもなく、辛い思いをし、そして怒っていた。メインストリームの共和党員は、多数の国民からのそうしたメッセージを受け取ることができなかったが、受け取った人間がいた。ドナルド・トランプである。


トランプはアメリカの二大政党の両方を打ち負かしたのだ。それを決して忘れてはいけない。そのうちの一方は、トランプ自身が名目上は所属している政党である。まさに異常事態というべきだろう。停滞していた状況を一気に変える人間は、左からでも右からでもなく、いわば下から現れたのだ。


彼が言うには、いまアメリカ社会は危機に瀕しているのだそう。

古き良きアメリカの民主政治は、個人の分断,貧富の格差,エリートの勝ちすぎ問題,訴訟社会化等によって、機能がマヒしているのだと。

今後の処方箋としては、原点に戻り、連帯感を有した良き市民づくりが急務だとしています。

民主政治の主要な概念の一つである「市民」はフェイスブックのアカウントとは違う。市民は、個人の持つ属性とは無関係に、絶えず政治社会を構成する他のすべての市民と結びついている。


私たちリベラルは今、それぞれに生き方、住んでいる場所、生きている環境の異なる様々な人たちを同時に説得できるような話し方をしなくてはならない。違ってはいても皆が、ある程度まで同じ運命を共有していること、団結する必要があることを訴えていく必要がある。


私たちは全員がアメリカ人であり、互いに助け合う存在だ。リベラリズムとは元来、そういう考え方である。


問題は今後、リベラルが市民の結びつきを強めるような行動を取るかどうかである。そのためには、違いを強調して個人をばらばらにするのではなく、市民として私たちがいかに多くを共有しているか、そしていかに互いから多くの恩恵を受けているかを強調しなくてはならない。


仮に人々に連帯しようという意識があったとしても、それが経済状況に対する怒りだけに基づくものであったとすれば、それは自分が今、不遇だと感じている人の間でしか共有されない。景気が上向いて財産を築く人が多くなれば、そんな意識はすぐに消えてしまうだろう。


民主政治で重要なのは、他人を説得することであって、自己を表現することではない。ただ、私はここにいる、私はこういう人間だ、受け入れろ、と言ったところで、周囲の人間は、あなたの頭を軽く叩いてなだめようとするか、あきれた顔をするかのどちらかだろう。まず、他人とすべてのことについて意見を一致させることなどできないと認めなくてはいけない―それが民主主義社会に生きる条件だ。


世界でも民主政治に関して有数の歴史を有するアメリカ社会...

その古き良き伝統と原点をこの書に見出したように感じました。






posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☔| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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