2020年09月27日

井沢元彦著『動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実』を読んで

井沢元彦著『動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実』を読みました。

市井の歴史研究家である井沢元彦氏の江戸(徳川)時代の研究書で、主として人々の価値観にスポットライトが当てられています。

動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実 (角川文庫) - 井沢 元彦
動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実 (角川文庫) - 井沢 元彦

氏いわく、江戸時代、武士階級に広まったのは儒教の一派である朱子学...

この朱子学が歴史を大きく動かしていくことになります。

経済政策、外交政策、大名統制、思想出版統制、軍事政策などなど。すべて、朱子学の功罪により大きく影響を受けていくことになります。

以下、引用です。

商人は額に汗して物を作らないクズのような連中だが、金貸しは商品すら動かさず、自分の金を右から左に動かして不当な利益を上げるとんでもない連中、というのが朱子学における金融業の位置づけだったのである。


のちにペリーが回想し、その回想録にこんな「ぼやき」を残している。
「交渉の最初から最後までいちいち文句をつけられた。それもほとんど意味のないことで、日本人はしつこく文句を言うのである。たとえば『商品』という語を『物品』に換えるというような、どうでもいいような言い換えを強制された」
この理由、もうおわかりだろう。……(中略)……幕府はなぜ「商品」という語(英語ではマーチャンダイズ)を「物品」(英語ではグッズ)に言い換えることにこだわったのか。
それはペリーとの間に結ばれたのはあくまで日米和親条約であって、通商条約ではないということがポイントである。
ペリーの黒船による軍事的脅迫で、幕府はやむなく開国は決意した。しかしあくまでそれは和親つまり友好関係を結ぶということであって、絶対に商売をすることではないと幕府は考えていた。


幕府が税金を取るのは基本的に農民だけ。税金とは、ほとんどすべてが年貢と呼ばれる米だけなのである。
そして経済センスのかけらもない幕府は、米が税収なのだから新田開発などを行って米を増産する体制を整えれば、必然的に税収も増すし、幕府も武士階級も豊かになると考えた。
そこで官民挙げて新田開発に取り組んだ。また既存の田んぼからも増収を図れるように、肥料や道具の改良も奨励した。
確かにその努力自体は立派なもので、戦国時代末期に日本の米の生産高は千八百万石ほどだったのを、幕末にはほぼ二倍の三千五百万石まで持っていった。ところがこの政策が幕府の財政を破綻させた。


米の生産高は二倍になった。ということは単純計算でもわかる通り、税収は半分に減り、米で給料をもらっている武士の収入も、半減してしまったということなのである。


古来、貿易によって繁栄したのは、平清盛、足利義満、織田信長、豊臣秀吉などがいるが、徳川幕府は長崎に交易場所をしぼり、なおかつ貿易の利を独占できる立場にありながら貿易で儲けようとはしなかった...

なぜなら、商売を悪とみなす朱子学を公式の学問としたため、そうしたくてもできなかった、田沼時代を除いて、ということです。

一方、長州藩は下関を通過する船運に税をかけ、薩摩藩は琉球を通じた密貿易によって利をなします。

明治政府の合言葉であった「殖産興業」も、幕府は米の増産しか行わず、その結果、米価安という自縄自縛に陥ります。

何より、祖法を守るという大義名分のため武器の改良も積極的には行いませんでした。これはのちに、彰義隊の早期降伏という事態につながります。

政治というものは思想によって大きく変わってくるということをあらためて実感した次第です。






posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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