2020年10月10日

大澤真幸著『日本史のなぞ』を読んで...

大澤真幸著『日本史のなぞ』を読みました。

著者の大澤氏は以前このブログでも取り上げました(2018年5月13日記事)が、高学歴で独自の視点を有する慧眼の社会学者であり歴史学者です。

日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか (朝日新書) - 大澤 真幸
日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか (朝日新書) - 大澤 真幸

本作のテーマは、日本史で唯一の革命に成功した男、北条泰時の分析です。

志半ばで斃れた織田信長や足利義満に平将門、あるいは絶対王権を目指して失敗した後鳥羽や後醍醐に比べ、泰時は日本史上唯一ともいうべき「貞永式目(御成敗式目)」を制定して武力による成果を”法”として永久化することに成功しました。

この点こそ、著者が日本史上唯一の成功した革命家と称する所以です。

泰時が執権として成し遂げた最も重要なこと、彼を日本史上の唯一の革命家と見なす最大の根拠となる事実、それは、法を定めたことである。


このような法を定めたことは、日本社会の歴史の中で、まことに画期的なことであった。御成敗式目が、完全に固有法だからである。法制史には、固有法と継受法という区別がある。継受法とは、他国の法律を、自国の事情に照らして改変した上で継受した法律である。要するに、他国の法律を模倣して取り入れた法律のことだ。固有法は、その否定であり、自国で固有に定めた法律だ。……(中略)……ちなみに、明治以降の近代法も、継受法である。それに対して、御成敗式目は、日本史上初めての体系的な固有法である。


御成敗式目は、その後の影響の拡がりや浸透の程度から判断して、日本人の秩序感覚と非常によく合っていたということが分かる。御成敗式目は、一種の基本法のようなものになっていく。それは、室町時代にも、武家の法としての効力をもち続けた。


さらに公家すらも、式目を法として受け入れ始める。たとえば、清原家は公家ではあったが、式目研究の権威となり、優れた注釈書を著している。江戸時代には、式目は、教科書や教養書として普及したという。現在の「マンガ〇〇入門」に似た「絵入御成敗式目」のような通俗版が刊行されたり、寺子屋で教科書として用いられたりしたという。


こうしてみると、日本史上地味な存在ながらも泰時がいかに稀有な業績をあげたのかがわかります。

しかし、謎は残るわけです、いろいろと...

なぜ泰時は皇室と武力で対決して勝利を収めながらも朝敵とはならなかったのか?、なぜ後世の歴史家(とくに皇国史観の歴史家)から評価が高いのか?、なぜ鎌倉幕府の権力を掌握しながらも絶対者にはならなかったのか?、などなどです。

著者はこの謎を、西洋の革命との対比や天皇の持つ宗教的役割などを分析しつつ解き明かしていきます。

その結果辿り着いたのが、西洋における”不在の神”への信仰との類似でした。

結論を言えば、泰時が為したことは、本人が自覚することなく、歴史の偶然によって、ディドロの信仰と同じ形式の態度を天皇に対してとることを意味していたのだ。


ディドロの信仰は、不在の神への信仰である。これと同じように、泰時は、(内面的な意識においてではなく)行動を通じて、言わば、不在の天皇(上皇)への忠義を表現した。


この結論に至る分析と考察は深淵で(とはいえ難解ではない)、とてもこの場では詳しく書ききれませんが、著者の人間社会に対する博識さと哲学的思考にもとづき、答えに迫ってゆく筋道は非常に面白くもありまた興味深くもあります。

この前の著作にも思わず目を見開かられるところが多々ありましたが、今作もその読後感は素晴らしく、胸の中が充実するとともに昔からの歴史に対する疑問点のいくつかが氷解する思いが何度もしました。

私のリスペクトする学者のひとりです。ぜひ皆様も大澤真幸氏に触れることをお勧め致します。






posted by スイス鉄道のように at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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