住吉雅美著『あぶない法哲学』を読みました。
著者は青山学院大学法学部教授で、Wikipediaの情報なんか見るとかなりユニークな方のようです。
あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン (講談社現代新書) - 住吉雅美内容は、現在日本人向けのわかりやすく身近なトピックから法や法哲学というものを解説するものでした。
著者自身は自由主義者のようで、社会の常識すらもいちから考え直してみよと語ります。
近代以降の法学および社会学というものを概観するための入門書というなら良き手引きとなるのではないかと思いました。
わかりやすくいえば、法哲学的な思索に寄与するのではなく、法技術的な面に法哲学を当てはめて光を照らす的な解説本です。
以下にいくつか引用します。
一般人が金銭を賭けて麻雀をすることは犯罪とされている。根拠は刑法一八五条「賭博をした者は、五〇万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまる時は、この限りでない」。
しかし、この条文を見ると、常習ではなく、たまたま友人同士で誰かの自宅で盛り上がって五〇〇〇円程度を賭けて麻雀をするくらいなら大丈夫のように思われる。ところが、大正時代の大審院(いまの最高裁判所)判決がまだ生きていて、「金銭はその性質上、一時的な娯楽に供する物とはいえない」と解されているため、たとえ一円でも賭けたら違法となるのである。
刑事訴訟法には「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としない時は、公訴を提起しないことができる」という条文もあるため、賭け麻雀をした人すべてが捜査され逮捕されるわけではなく、警察や検察の裁量によるのである(専門家によると一〇〇〇点二〇〇円以上、一時間で三万円程度の賭け金が動くような賭け麻雀は摘発されるというが、それ以下でも法律上は違法なのである)。
最近、検事がニュースになった賭け麻雀ですが、法の条文および戦前の判例に遡って平易に説いてくれています。
結局、グレーゾーンがあったり司法当局の裁量にも左右されるもので微妙な問題なんですね。
処罰されるか否かと法に触れるか否かは別ものだということもわかりました。勉強になりました。
筆者はさらにこの考え方を発展させたあるべき市民行動を説いてもいます。
法を尊重することと、悪法に無批判に従うこととは断じて違う。……(中略)…… 法実証主義の代表者の一人であるハーバート・L・A・ハート(一九〇七−一九九二)は、「在る法」を遵守するか否かは、個人が総合的に判断して決める問題だとしているし、ジョセフ・ラズ(一九三九−)は、たとえ正義に適った法体系であっても、法に従う一般的な道徳的責務はない、と言い、さらには、邪悪な法体系を尊重することは道徳的に間違っている、とまで述べている。
すでにある法秩序を無批判的にひたすら守ることが遵法なのではない。不正な法に従わないことで、逆に法秩序を愛し尊重する姿勢を示すこともできるのである。
お上になかなか逆らわない日本人でも、この市民的不服従を成し遂げた人がいる。一九九〇年代に食糧管理法を敢えて破り、廃止に追い込んだ川崎磯信さんだ。……(中略)…… 川崎さんは食管法と酒税法違反で有罪判決(罰金三〇〇万円)を受けたが、「食管制度に矛盾がある」と裁判官に言わしめ、結局この年食管法は廃止された。
川崎さんのおかげで、現在我々は美味しい米を自由にいただくことができている。有罪判決と罰金というのは彼にとっての痛手であったが、彼が食糧庁を法廷に引っ張り出さなかったら食管法という法律はなくならなかったかもしれない。
時代遅れの食管法を葬り去ったのは市民の義勇的行動だったわけです。著者は、他に、アメリカ公民権運動の活動家で有名なキング牧師の「市民的不服従」行動もあげています。
自身の特定の思想を強く表明しないものの、こういった事例に共感する姿勢がこの著書のなかでは示されていました。
要するに、著者の住吉氏は、法律ではなくあるべき法の姿を希求する学級の徒であり、法律ではなく正義を志向し、それを支えるものとしての法律を支持する市民でもある...
ただ、保守の立場の者たちが保持する伝統や道徳律といった観点が薄いなとは思いました。
了
posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀|
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