2017年04月27日

『海の向こうから見た倭国』を読んで...

『海の向こうから見た倭国』という本を読みました...

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書) -
海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書) -

この本は、古代の日本と朝鮮半島の関係についての最新の研究内容が書かれた書籍です。

最近、朝鮮半島がキナ臭くなってきているということもあって、図書館に行った際にふと目に留まり、読んでみようかなと思ったものです...

昔は、わが国では、古代日本(倭国)は任那という朝鮮半島南部の拠点を足掛かりにして半島へ進出していたという歴史観がありました。

一方の朝鮮半島の学界では、それに反発してか、あるいは近代日本の植民地になったことの反発としてか、日本に文化を教えてやったという歴史観がはびこっていたようです。

しかし、最近では、そのどちらも極論であって、半島と日本列島とは”相互互恵の関係”にあったんだという歴史観になってきているようです。

以下、引用です...

半島のそれぞれの社会は、半島情勢をみずからが有利な方向へ動かしていく策のひとつとして、倭とつながろうとしたのであり、一方、倭のほうにも先進文化を安定的に受容するという目的があった。


最近の研究では、『日本書紀』や広開土王碑文などに記された倭の軍事活動とは、時期が限定されていて、加耶や百済の要請や承認が必要だったことが明らかとなっている。決して倭の一方的な出兵ではなくて、あくまでも交渉の中のひとつの場面にすぎない。支配や従属ということとは、別次元である。


古墳時代の首長たちは、みずからしたがう人びとに対して、安定して朝鮮半島の文化を取り入れる機会を提供する必要があった。そして、自分がそれに値する人物だということを、半島とのつながりをしめすさまざまなアクセサリー、武器、馬具などを見せびらかすことによって、アピールしていた。


当時の日朝の沿岸や島々には、「海村」が点在していた。海村では漁撈具がたくさん出土するけれども、稲穂を刈るための石包丁はあまり出土しない。


おそらくは、半島南部と北部九州をつなぐ海村のネットワークが基盤にあって、そのネットワークを有力な国々がとりこんでいくように金海―北部九州ルートが整備された。


安定的に先進文化を受容するためには、それまでの列島各地の地域社会と野合して半島へおもむくような形では不十分だった。そのため、倭王権は地域社会がもつ多様な交渉チャンネルを掌握し、倭の外交権を一元化しようともくろむようになる。


(朝鮮半島の)それぞれの社会は国際的な孤立を回避する必要性や、他の社会の対外活動の牽制という意図から、倭に対してさかんに文物を贈ったり、工人や知識人を派遣したりしたのである。



こうしてみると、昔も今も、あんまり変わらないなぁと思います...

昔はいまのような民主主義社会ではありませんでしたが、それでも、村の長(おさ)として人々の上に立つためには権威が必要で、権威を得るためにはみんなを感心させる何かがないとやっていけない...

また、複数の政権が乱立する朝鮮半島では、自分の利益になるように日本を利用するように外交政策をとってゆく...

昔もいまも、権威や自己都合,利益(国益)の追求,といった政治家の思惑で世の中が動いているのだということを再認識いたしました...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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