2018年03月13日

『クリミア戦争』(上下巻)を読んで...

大著、『クリミア戦争』(上下巻)を読了しました。

クリミア戦争(上) -
クリミア戦争(上) -

クリミア戦争(下) -
クリミア戦争(下) -

上下両巻で合計700ページ超の大作でして、読みごたえがありました。

内容としては、19世紀半ばに起こったクリミア戦争(1853〜1854年)について詳細に論じた著作です。

2014年にロシアはウクライナ領であったクリミア半島を併合して国際問題になりましたが、そもそもこの場所は昔からロシア領で、ソ連時代にロシア→ウクライナに編入されたもの。

多くのロシア人が血を流して戦い守った領土なわけで、プーチン大統領が執着するのもわかります。

ちなみに、ロシア大統領執務室には、この戦争の際のロシアの君主であったニコライ一世の肖像画が掲げられているようです(以下、引用です)。

現在、クレムリンの大統領執務室の隣の控の間には、プーチンの命令で、ニコライ一世の肖像画が掲げられている。


また、血を流したのはロシア人だけではなく、イギリス人,フランス人,トルコ人も数多く血を流しています。

と同時に、ロシア,イギリス,フランス,トルコ帝国(当時。イラクやシリアも領有していた)の社会も、この戦争の余波によって大いに影響を受けました。

トルコは戦争に勝ったものの、この戦争の過程で疲弊し、戦後も英仏という強国から自由化や経済開放などを迫られ、トルコ社会は揺さぶられていきます...

戦争は、英・仏・トルコと後で参戦したサルディーニャの連合国 V.S. ロシアという構図でしたが、サルディーニャはこの戦争で発言権を高め、のちにイタリアを統一することになります。

反面、体制的にはロシアに近く、ロシアの友好国でもあったオーストリア帝国(ハプスブルク帝国)は、中立を保って漁夫の利を得たゆえにロシアから恨まれ、この戦争の結果、孤立していくようになります。

そして、このオーストリア帝国の外交的な孤立とロシアとの反目とが、第一次世界大戦の引き金になってもいくんです...

さらには、かの有名なナイチンゲールが名を挙げたのもこの戦争でした。

このように、一般的には地味で知名度も低いクリミア戦争ですが、実はその後の世界史の展開にかなりの影響を及ぼす重要な出来事でした。


以下、いくつか引用してみます。

まずは、トルコ社会に起こった変化...

クリミア戦争はトルコ社会のすべての分野に影響を与えた。この戦争を契機として、トルコは世界に向けて窓を開き、西欧化して行ったのである。オスマン帝国に外国の文化を持ち込んだのは、ロシア帝国領内から大量に流入した難民たちだけではなかった。クリミア戦争を通じて外国の新しい思想と技術が持ち込まれ、世界経済への統合が促進され、トルコ人と外国人の接触が増大した。戦中戦後のコンスタンチノープルには、外交官、金融関係者、軍事顧問、兵士、技術者、観光客、商人、宣教師、聖職者など、歴史上例を見ないほど多数の外国人が欧州からやって来て、トルコ社会に大きな影響を残した。
 クリミア戦争を契機として、オスマン帝国への外国投資も大幅に拡大し、それにともなって、西欧諸国の政府と銀行へのトルコの依存も強まっていった(クリミア戦争とタンジマート改革に必要な資金として外国から導入された融資は、一八五五年には約五〇〇万ポンドだったが、一八七七年には二億ポンドに増大した)。導入された外国資本は電信システムと鉄道の開発を刺激し、新聞を中心とする新しいジャーナリズムの誕生を促した。


ジャーナリストと改革派知識人を中心として「新オスマン人(イェニ・オスマンリラル)」と称する緩やかな結びつきのグループが生まれ、一八六〇年代に入って一種の政治集団に発展した。・・・(中略)・・・「新オスマン人」はイスラム教の伝統の枠内で西欧文明を採用すべきだという思想を打ち出したが、これは「精神的祖先」となって、やがて「青年トルコ党」が誕生し、近代トルコ国家を樹立することになる。



国際外交における変化...

和平条約で懲罰を受けたのはロシアだったが、長期的に見て最も多くを失ったのは、ほとんど参戦しなかったオーストリアだった。一八五六年以降、オーストリアは欧州大陸で孤立を深めることになる。その原因のひとつは、オーストリアが保守同盟の相手国だったロシアを失ったことにある。ロシアはオーストリアが一八五四年に武装中立の立場を維持して連合国を利したことを決して許さなかった。一方、自由主義的な西欧諸国も、オーストリアの反動的な姿勢とクリミア戦争中にオーストリアが行った「ロシア寄りの」和平工作に根強い不信感を抱くに至っていた。



イギリスにおける価値観の転換...

近衛歩兵連隊兵士の銅像を刻んだクリミア戦争記念碑がヨーク公記念塔と向かい合って同じ広場に設置されたことは、ヴィクトリア朝時代に価値観の根本的な転換が起こったことを象徴する事件だった。クリミア戦争を遂行する過程で軍事的な失態を繰り返した貴族階級出身の戦争指導部は国民の信用を失墜していた。「羽飾りとレースで着飾った」ジェントルマン階級がこれまでの英国軍の英雄だったすれば、これからは「兵卒ジョン・スミス」や「兵卒トミー・アトキンス」のような一般兵士が英雄として扱われる時代が始まったのである。


終戦近くになって戦争の進め方に実務的な原則が適用されるようになったことを考えると、政治的な意味での真の勝利者は中流階級だったと言える。その後の数十年間、ホィッグ党、保守党、自由党と政権は変わるが、英国政府は一貫して中流階級の理想に沿う形で改革を推進することになる。


「ランプを持つ貴婦人」の伝説は英国の国民的神話の一部となり、無数の物語、教科書、伝記として繰り返し語られることになる。そこにはヴィクトリア朝時代の中流階級の理想の基本的要素が込められていた。ナイチンゲールの物語は、宗教的な視点からは女性らしい心遣い、勤勉、自己犠牲の話となり、道徳的な立場からは自己啓発と貧困層救済の話として語られた。また、家庭経営の視点からは清潔さの維持、上手な家事の切り盛り、家庭生活の改善の話となり、個人の決断および意志の貫徹の物語としては、専門的職業人の向上心に訴えた。さらに公共政策の問題としては、衛生の向上と病院改革を焦点とする物語となった。


クリミア戦争で一般兵士が経験した大きな苦難を知ることによって、軍隊と軍人に関する英国民の認識に転換が生じた。戦前の中流階級および上流階級の人々にとっては、一般兵士は自堕落な下層民にすぎなかった。兵士は社会の最底辺から集められた烏合の衆であり、規律に従わない酔っぱらいであり、神を信じない粗暴な連中だと思われていたのである。しかし、クリミア戦争の苦難に耐えた一般兵士は、みずからがキリスト教精神の持ち主であることを証明した。



そして、ロシア社会における啓蒙と近代化の開始...

『セヴァストポリ物語』で一躍文学的名声を得たトルストイだったが、その人生観と文学感はクリミア戦争の経験を通じて形成されたと言っても過言ではない。トルストイは多数の将校の無能ぶりと腐敗堕落を直接に目撃した。その将校たちはしばしば一般の兵士を残忍なやり方で虐待していた。一方、トルストイは一般兵士の勇敢さと粘り強さに心を動かされていた。


英仏両国の工業力と輸送能力が一日七万五〇〇〇発の砲弾の発射を可能とした。時代遅れの農奴経済に依存していたロシアは、工業生産力を背景とする新しいタイプの戦争に対処することができなかった。


鉄道の開発、工業化の促進、財政の健全化を求める世論が高まった。ニコライ一世が作り上げた政治システムの中で陸軍省が維持していた特権的な地位は失われ、財務省や内務省の発言権が強まった。



この戦争が終わったあと、世界は、イタリア統一戦争、明治維新、普墺戦争と普仏戦争をへたドイツ統一、日清・日露戦争、アフリカ分割、2回のバルカン戦争、そして第一次世界大戦へとつながっていきますが、大なり小なり、クリミア戦争の余波が影響をおよぼしていくことになります。

世界史の教科書ではマイナーな局地戦という扱いのようですが、意外と存在感はおおきいものだということがわかりました。








posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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