2019年03月23日

『アダム・スミスの経済思想』の感想...

星野彰男『アダム・スミスの経済思想』を読みました。

有名すぎるほど有名なアダム・スミスの、主に『国富論』に関する再評価をした書物です。

アダム・スミスの経済思想―付加価値論と「見えざる手」
アダム・スミスの経済思想―付加価値論と「見えざる手」


アダム・スミスについては、彼の死後、多くの経済学者によって、彼の説を凌駕する、あるいは、上位互換する諸説が唱えられてきたと見なされてきましたが、著者はそうではないと言っています。

むしろ、社会主義や共産主義国家の崩壊や行き詰まり、福祉国家の財政破綻などの最近の経済事象から、彼の業績をあらためて再評価すべきとともに、普遍的な自由競争と価値論を唱えていたのだと言っています。

以下に引用します。

 従来の理解によれば、労働価値論の完成形態はマルクスにあり、古典派の枠内でのその完成形態はリカードにあるとみなされてきた。したがって、スミスのそれは、二重の意味で未熟であり、不完全なものだということにならざるをえない。しかし、スミスの価値論にも彼なりの一貫性があったとすれば、三者の労働価値論は、三者別々の個性を持っており、したがって、それら個性の違いと理論的完成度の違いとは、ひとまず区別されるべきであろう。従来の議論には、そのような木目の細かさが欠けていたと言わざるをえない。


 今日、世界各国で一様に規制緩和、行財政改革等が声高に叫ばれているが、このような視点を二世紀以上も前にイギリスで原理的に提起していた人物がアダム・スミスである。そこで、近年、スミスの「見えざる手」を再評価する風潮が強まってきたのである。そうだとすると、なぜもっと早くからそうしなかったのかという疑問が自ずと湧いてくるであろう。そうしなかった理由の一半は、第一に、ソ連型社会主義計画経済が永らく順調に見えたこと、第二に、その社会主義体制への防波堤としての役割を担って重用された福祉国家路線とそれを正当化するケインズ政策とが支配的であったこと、等によるものである。


 スミス経済思想の核心は、次の四点に集約されうる。第一に、富の増大は、生産的労働とその分業→機械化による付加価値生産によって実現されるものであり、その度合は、生産的労働を雇用する資本投下のあり方によって左右される。第二に、付加価値生産の大きさは目に見えないが、その現れが利潤であるから、市場における利潤率の大きさを指標にして資本投下すれば、付加価値生産を最大化しうる。第三に、利潤率の大きさを最も的確に判断できるのは、私的な投資家個人であって、公益を守る立場の政府ではありえないから、特別の場合を除き、政府は規制等によって市場に介入しない方がよい。第四に、政府の役割は、前記の市場システムを守るための国防・司法・金融等の危機管理、産業基盤としてのインフラ整備、人材育成のための国民教育等に限定される。そのための課税は、資本蓄積→生産的労働の雇用を妨げるから、必要最小限度とされるべきだ。
 このようなスミスの見方は、とくに十九世紀末から二十世紀中葉にかけての世界史的大変動期には、「時代遅れ」という決まり文句で無視されてきたが、むしろ近年に至ってますます、二世紀という時代の隔絶を超えて、近・現代社会のあるべき骨格を捉えていたという再評価が高まりつつある。


 スミスにとっては、富とは、実物的には消費財のことであり、価値的には付加価値=純収入のことだから、とくに後者の原因が究明されさえすれば、富の分析という課題は達成される。


 一般に、ある国の付加価値が増大しうるのは、人口→生産的労働者数が増大する場合である。そして、機械の使用・改良による労働の節減は、その分、労働人口が増大したのと同じ効果を持つ。しかも、その増大は、マクロ的には、機械による労働生産力の増大・経費節減→付加価値増大を伴っている訳だから、純収入の増加分の一部が貯蓄→投資にも回され、雇用機会も増加しうる。したがって、先の節減された労働の多くは、別途の生産的労働者として雇用されて、付加価値生産の増大に新たに加わっていくことになる。


 スミスにおける先の価値計算不可能説と、その代替作用としての「見えざる手」の論理は、市場機能の本性を先駆的に洞察した、いわば「価値法則」認識に相当するものとして、経済思想史の中に、これまで以上の重みをもって適正に位置付けられる必要がある。とりわけ、このような価値法則視点を欠いた政策科学としての経済学の行き詰まりが明白となりつつある今日、その視点の再評価が求められている。


生産的な産業が社会の富の増進にあたり根幹的なことであること、政府の規制はマクロ的に見れば負の影響を経済に与えることなど、自由主義市場経済の基本をおさえ、それを明確に主張したのがアダム・スミスでした。

多くの付加価値を生み出す企業、ならびに、規制のない業界で生きる企業、そういう企業への投資こそが有用だということを再認識いたしました。

自分自身の投資活動に有意義でした、ありがとうございました。







posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 気づき・ヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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