2019年05月03日

佐藤幸治著『立憲主義について』を読んで...

佐藤幸治氏の著作『立憲主義について』を読みました。

著者は京大法学部出身で、大学卒業後に銀行勤務をへて学者になったという世間の風に一度あたったような方で、学問一辺倒ではなく、現実主義に立脚しているような読後感がありました。

学派的にも、左傾化しているとも批判のある宮沢俊義系の主流派ではなく、日本の法学者では珍しい保守主義系の方のようです。

立憲主義について 成立過程と現代 (放送大学叢書)
立憲主義について 成立過程と現代 (放送大学叢書)


内容としては、保守主義の論客らしく、人民主権に懐疑的であり、代表者たちによる共和制や法の支配により強く光を当てる論調になっておりました。

以下、興味深い箇所をいくつか引用したいと思います。

まず、立憲主義の原点は古代ローマの共和制にあるということが述べられます。

マッキルウィンは、いう。「憲法理論にせよ、政治理論にせよ、『近代』理論の始源を、ともかくも、共和制ローマまでは探るべきであり、そして、恐らく共和制ローマよりも先には何らかの確信をもって遡ることはできないであろう」、と。


伝承によれば、紀元前七五三年、ロムルスはローマを建国して初代の王となったが、国政は王、元老院(ロムルスが集めた一〇〇人の有力な家長たちで構成)および市民集会(市民全員で構成)により行うものとされ、王は市民集会で選出されるという形がとられ(任期は終身)、元老院は王に助言する公的機関でその議員はパーテル(建国の父祖たち)と呼ばれたという。そこでは宗教の力は強くなく、代わって権威・力をもったのは家父長権の強い家庭であり、また既に法であったというのが興味深い。そして、紀元前五〇九年、ローマは共和制へと移行し、市民集会で選ばれる、任期一年の二人の執政官が統治する時代を迎える。元老院は強化され(議員は三〇〇人に増員され、議員の任期は終身)、執政官、元老院および市民集会という統治体制が整い、紀元後一世紀に生きた歴史家リヴィウスにより、ローマはこれ以降「個人よりも法が支配する国家」になったと記述されることになる。


確かにその実体において寡頭制、貴族制ともみられるところがないではないが、権力保持者が一方的に人民を支配するということはなく、むしろ「法」が政治をコントロールするという、近代の「法の支配」にも通ずる状況が現出した。ここでの「法」は、「不文の祖先の慣習・慣行なども包摂する大がかりなものが中心であり、制定法・成文法としての法規に全面的に頼るということはなかった」。そして、この「法」の権威を高める上で、法学者というプロフェッショナル(専門家)の存在が大きな役割を果たしたことも特記されなければならない。



次に、法の支配を育ててきたイギリスの法政史に関連する箇所です。

政治思想史の田中浩氏は、まず、イギリスでは、その歴史を通じて、王権の行使が法(コモン・ローや制定法)によって制限され(「制限王政」)、さらには議会によって制度的に二重に制限される(「混合王政」)という権力制限的政治思想(「制限・混合王政観」)が一七世紀中葉までに確立されたと解する。


「コモン・ロー」は、司法を通じて形成された法、法曹の法的技術性を反映した法であるという意味で、いわゆる「司法的理性」、「技術的理性」の生み出した法であるといわれる。


ブラクトンは、「国王自身は何人の下にもあるべきではない。ただ、国王といえども神と法の下にある」というよく引用される章句で知られる人物である。彼の所説の中核をなすのは、「統治(gubernaculum)」と「司法(jurisdictio)」の区別であり、前者にあっては国王の自由裁量権を認めるが、後者にあっては決してそれを認めないということである。


クックは、「陛下よ、陛下は神より聡明な資性を恵まれておいでになるが、しかし陛下はイギリスの法律に通暁しておいでにならない。そして陛下の臣民の生命と財産に関する事件は、自然的理性(natural reason)によって決せられるべきでなく、技術的理性(artificial reason)」および法的判断によって、決せられるべきである。そして法は、長年の経験と研究とによりはじめてこれを知りうる技術である」旨を奏上したという。



さらに、アメリカ建国にあたっての憲法制定と政治体制に対する考え方が明らかにされている箇所です。

ヴァージニア憲法がかなり急進的で、後にジェファーソンが「選挙されたる専制主義」と批判したことに触れたが、革命当時は人民主権が優勢で、具体的には立法権万能的な傾向がみられた。しかし、そのことが穏健派・保守派の警戒心を次第に強めるとともに、そもそも人民主権にとって憲法を制定するとはいかなる意味をもつのかがより厳密に考えられるようになっていった。


アメリカ革命の人たちは、よく指摘されるように、先例として古代ローマ共和制に強い関心をもっていたことである。様々な面にわたるが、彼らが注目した一つは、権力は人民に(potestas in populo)、権威は元老院に(auctoritas in senatu)という統治構造であった。それは創設者たちが、連邦議会の一院をローマの制度にならってSenate(上院)と名づけたところに現れている。


アレントは、アメリカの舞台での最も際立った革新は「権威の所在を、(ローマの)元老院から統治の司法部門に移したこと」にあると述べている。


マディソンは、人間の意見には情念に基づくものと理性に基づくものがあり、理性に基づく意見によって政府を統制する必要があり、合衆国憲法にはそれを可能にする原理と仕組みが組み込まれていると考えたのである。ちなみに、マディソンは言論の自由の強い擁護者であり、「人民が情報をもたずもしくは情報を取得する手段をもたない人民の政府は、道化芝居かまたは悲劇の序幕にすぎず、あるいは多分その両方であろう」という有名な言葉を残している人物である。



こうしてみると、古代ローマの共和制→イギリスのコモンロー→アメリカ建国と憲法制定とつながるわけであり、権力者の圧政から人民の自由と権利を守りかつ求めつつも、人民主権を法の安定性によって統御しようという試みもあったという史実が立憲主義の保守本流の流れであることがわかってきます。

ここで重要な役割を果たすのが、”司法”です。

わが国の歴史でもまた、法曹たちの活躍が大正デモクラシーの原動力だったそうです。

伊藤孝夫『大正デモクラシー期の法と社会』は、法と社会とを媒介する「法律家」の役割に着目し、法学にかかわる大学人や裁判官・弁護士らの実務法曹を含む「総体としての『法律家』こそが、『大正デモクラシー』の重要な、不可欠の担い手であった」ことを明らかにしようとしたものである。


最後に著者は以下の言葉で締めていました。

本書を通じて、立憲主義の誕生と展開の過程を瞥見してきた。そこで気付かれる重要なことの一つは、法律家、法曹の果たしてきた役割の大きさである。そもそも立憲主義の真髄が政治権力に対する法的統制であるとすれば、それは当然のことかもしれない。前に触れたトクヴィル『アメリカにおける民主制』には、次のような一節がある。「法律を専門に学んだ人々は、その勉強から秩序を重んずる習性と、形式に従う風儀と、論理の一貫性に対する一種の本能的な愛情とを汲みとっている」。


安定した政治や独裁化しない民主主義を実現するのは、法と法曹の役割、すなわち、国民の法への敬意と分厚い法曹層が重要な意味を持っているのだなと理解いたしました。

憲法記念日にあたって、憲法とは何か、立憲主義とは何か、法の支配とは何かについて学ぶにはおススメの一冊であるとこの場にて推薦しておきたいと思います。









posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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