2019年05月22日

ベルナール・ヴァンサン著『ルイ十六世』を読んで

ベルナール・ヴァンサン著『ルイ十六世』を読みました。

フランス人の手になるフランス革命期の王、ルイ十六世の実像を描いた著作です。

ルイ16世(ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物 3) (ガリマール新評伝シリーズ―世界の傑物)
ルイ16世(ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物 3) (ガリマール新評伝シリーズ―世界の傑物)


一般的に流布しているルイ十六世のイメージとしては、愚かゆえに革命を招いた王、王妃マリーアントワネットの言いなりになることによる失政、頭の中身が古く非開明的、といったところでしょうか。

しかし、著者はそういった誤った先入観を打ち破っていきます。

例によって引用にて示したいと思います。

ルイ十六世が十分に「開明的」であったと納得するためには、この絶対君主が即位直後(二〇歳そこそこだった)に人権を尊重する施策を次々と打ち出して労働賦役、拷問、農奴制を廃止したことを思い出すだけでよい(ルイ十六世が勅令で農奴制を廃止した一七七九年当時、フランスにはまだ一〇〇万人の農奴がいた)。


知識人が集うパリのサロンやヴェルサイユのひっそりとした廊下を含め、その当時のフランスでは至るところ、新思想やユートピア的思想が蔓延していたことは誰もが知っての通りである。近代思想への傾倒や新しい考えを吸収する受容力はルイ十六世の治世の最初の何年かを特徴づけるもので、これが人事にも反映されている。具体的にはチュルゴーやマルゼルブ、ネッケル、ロメニ・ド・ブリエンヌが大臣として任命されている。


プロテスタントに戸籍を与え(一七八七年の寛容令)、ユダヤ人のために複数のシナゴーグを建設(ナンシーとリュネヴィル)、ユダヤ人に「人身通行税(運搬用家畜と同様に、大都市の入り口でユダヤ人が支払いを義務付けられていた税)」を免除した。航海を生業とする人々のために年金制度を設け、著作家や作曲家に知的所有権を認め、三部会召集の時には代議員選挙に女性の一部が参加することを認めた。


ルイ十六世は年若な小姓を大きなスコップの窪みに蹲らせ、両腕を伸ばしたままでこのスコップを持ち上げることができた(この力技は何度も披露された)。


マリー・アントワネットも、カロンヌの罷免を公然と要求した。これに激怒したルイ十六世は王妃を呼び出し、いまだ財務総監の地位にあったカロンヌの面前で厳しく叱責した。国王は「女たちには関係のない」問題に頭を突っ込むとは、非難したのち、王妃の両肩を掴んで部屋の外に押し出した。


このように、ルイ十六世は、開明的で、王妃マリーアントワネットには政治に口出しさせず、力強いマッチョだったようです。

また、イギリスの圧政に苦しむアメリカ人に共感・共鳴し、アメリカ独立を援助したのもルイ十六世です。

俗に言われる気の弱さは、反面、ルイ十六世のやさしさを意味するわけで、それが民衆に対する譲歩を行うことによって、強引な鎮圧をすることを行わず、それが革命につながったようです。

民衆の暴動が勝利を収めたのは、動き始めた歴史の歯車の力と勢いによるものだったのは間違いないだろうが、道徳の原理原則にあくまで忠実なルイ十六世が手段を選ばない秩序の回復、すなわち民衆に発砲してでも王政を救うことを望まなかったからでもある。性格の弱さもしくは自身の名誉のために、臣民の血を流すことを拒否したのだ。この強硬手段拒否の代償をやがて自分の血で支払うことになろうとは、実に残酷な運命である。


そもそもルイ十六世は当時のフランスで一番の富裕な一族に生まれたわけですから、幼少期からその時代の最高の教育を受けるよう、英才教育を受けて育ちました。

両親(即位することなく亡くなったルイ十五世の王太子とその妃)も立派な人だったようです。

マリー・ジョゼフ王太子妃は宗教史を教え、王太子は外国語教育を受け持ったが道徳の勉強も重視した。王太子は「すべての人間は自然法に基づき、そして彼らをお創りになった神の前で平等だ」だと子供たちに言い聞かせた。


こうしてみると、いかに政治的,イデオロギー的なプロパガンダが、”事実”というものをゆがめて伝えるかということがわかりますね。

現在でもフランスという国家は共和制ですから、王政→共和制へと移行した歴史的事件を否定するわけにはいかず、王政を担う責任者だったというだけで否定的に評価されるのは今の政治情勢では致し方ない、というところでしょうか...








posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☔| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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