2019年09月19日

『共和国か宗教かそれとも』を読んでの感想

宇野重規氏ら著、『共和国か宗教かそれとも』を読みました。

フランス革命後の社会が、どう秩序を模索していくかというのがテーマです。

共和国か宗教か、それとも:十九世紀フランスの光と闇
共和国か宗教か、それとも:十九世紀フランスの光と闇


内容的には各論者の論文と著者たちの鼎談とから成ります。

例によって、引用によってハッとさせられる視点を紹介したいと思います。

パスカルにとって、「心」とは神の真理の直接的な受容を可能にするものであったのに対し、シャトーブリアンは同じ「心」に、むしろ信仰の強固な基盤たりえない脆弱さを見出したのである。この両者のズレにこそ、宗教の世紀としての十七世紀と、啓蒙の世紀を経て、憂鬱の世紀としての十九世紀へと向かう時代の変化を読み取る片岡の論考は、十九世紀の新たな信仰の脆弱さと不安定さをよく描き出しているといえるだろう。


コンコルダート体制構築の意図は至ってプラグマティックなものだ。皇帝になったナポレオンによる、有名な国務院演説を引こう―「私は宗教のうちに、受肉の神秘を見るのではなく、社会秩序の神秘を見る。宗教は平等の観念を天上へと結びつけることで、富者が貧者に虐殺されるのを妨げる」(一八〇六年三月四日)。


フランス革命後、それ以前から進行していた共同体的紐帯の弱体化とともに伝統的価値観が大きく動揺するなか、革命後に生まれた世代は新しい信仰を追い求めた。それは、自分が〈何者〉であるかという自己同一性と同時に、新たな社会統合とその精神的基礎の探求でもあった。……(中略)…… サン=シモン主義が目指したのはモノの復権、具体的には、これを増大、流通させることで社会を統合させる「普遍的協同」を実現することだった。


そもそも、「政治は生産の科学である」と語ったサン=シモンにとって、産業社会に必要なのは従来のような人の統治ではなく、経済性の原則によってモノを支配する行政機能だった


新たな社会秩序の構築の鍵はキリスト教の再建か、新宗教の創設か? ポスト革命期に提起されたこの問いに対して、宗教史家M・デプランは前者の思想の始祖としてド・メーストル(カトリック)を、後者のそれとしてサン=シモン(実証主義)を挙げている。この二つの思想潮流は社会の存立を前者が教会の権威に、後者が科学の権威に求める点で相違はあるが、人民主権論への批判とそれが破壊した「精神的権威」の再建という立場を共有していた。


しかし第三の潮流として、十八世紀の反教権主義と革命期の共和派イデオローグの流れを汲む広い意味でのリベラル派の系譜(スタール夫人、コンスタン、ギゾー、クザン)がある。


十九世紀前半のフランスの社会主義は、サン=シモン(一七六〇〜一八七一)の「人類教」、フーリエ(一七七二〜一八三七)の「ファランジュ」などに見られるように、既存の宗教を批判しつつ、一般にユートピア的な宗教を志向していた。


共和国防衛が社会主義実現の条件をなすと考えていたジョレスは、最初はコンブの反教権主義を積極的に支持し、しかるのちに自由主義的な法律の実現に尽力した。


ベニシューは、「文人に代わって詩人の特権的地位を強化したのは、実は十九世紀初頭の反革命思想だった」とも指摘しています。その詩人の代表がシャトーブリアンで、彼を信奉したのが青年ユゴーでした。ここは非常に重要で、伝統的・中世的な価値、王権とかカトリックとかを資源として詩的・霊的なものが紡ぎ出され、〈宗教的なもの〉が語られ始めたということは、もう一度問い返す意味があると思うんですね。(鼎談より)


フランス革命によって王室とカトリック教会をいったん否定したフランスは、ナポレオン敗北後も、それに代わる新たな秩序を求めて迷走します。

結果、「共和国」という秩序を打ち立てますが、その過程で民主主義の発展形としての社会主義が出てきたのだと思います。

そこからさらにマルキスト(マルクス主義者)が出てくるわけで、共産主義が宗教的であるのも、それが秩序を求めすぎて全体主義に陥るのも、フランス革命の成果の亜流であることの証しかと。

いろいろと気づきがありました。タメになる一冊でした。






posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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