2020年04月14日

福井義高著『日本人が知らない最先端の世界史』1巻,2巻を読んで(後編)

昨日の記事からの続きとなります...

第二次世界大戦時の極東における真実の情勢についてまず紹介したいと思います。

例によっていくつか引用します。

大東亜戦争の主戦場は太平洋と南方(東南アジア)であり、中国戦線は比較的平穏であった。国共両軍とも、米国の参戦で対日戦争勝利を確信し、来るべき内戦に備えて勢力を温存することを優先していた。とりわけ華北が主力の共産軍は、散発的ゲリラ戦を行なうだけで、日本軍との本格的戦闘を回避しつづけた。現地に潜入した米軍特殊部隊の報告には、華北では両者がわずか半マイル(800メートル)離れたところで平和裏に共存し、ほとんど戦闘らしい戦闘がなかったと記されている。


支那事変以降の共産軍の驚くべき成長には、隠された要因も存在した。日本製の武器の「供与」である。ユ教授によれば、共産軍による武器調達の「第一の供給源(the first source)」は汪政権軍であり、しかも、「日本の占領当局の黙認(acquiscence)」の下で行なわれていたのだ。武器には種類ごとに、ライフル20ドル、軽機関銃80ドル、無線通信機200ドル、大砲1000ドル等々、「定価」が設定されていた。


共産党の大量武器購入を支えていたのが、その潤沢な資金であった。たとえば、日本に占領されるまでの2年半で、香港のフロント組織が、世界中から集めて延安に送金した金額は2000万ドル、日米開戦前の為替レートで8000万円、現在の貨幣価値に換算すれば2000億円弱である。


チャーチル率いる英国は、国策として、国民政府との協力をサボタージュし、中国共産党を支援していた。これは英国情報機関の上層部にまで、スターリンの工作員が浸透していたこととは関係ない。英国の対アジア政策の大前提は、植民地支配の維持継続であり、中国も分裂したまま、適度にもめ続けることが望ましい。


米国の部局間対立と縄張り争いも甚だしかった。……(中略)……スティルウェルに限らず、米陸軍と国民政府の関係は一貫して険悪であった。その大きな理由として、米海軍が蔣介石と良好な関係を築いていたことが挙げられる。


CIAの前進であるOSSは、蔣政権に蛇蝎のごとく嫌われていた。そして、敵の敵は味方ということで、米陸軍とOSSは中国共産党に接近する。……(中略)……1944年7月に陸軍・OSS主体の「ディキシー・ミッション」が、中国共産党の本拠地、延安に派遣された。このあたりからわかることとしては、共産主義という思想がいかに世界中の多くの人を魅了していたかということ。


続いて、関連ある情報として、共産主義勢力の宣伝工作ならびにスパイ活動について紹介します。

旧ソ連および中国共産党がいかに裏で活動してきたかという推定が記されています。

伝説のコミンテルン工作員ヴィリー・ミュンツェンベルクが欧米に張り巡らしたプロパガンダ網の威力は絶大であった。……(中略)……ミュンツェンベルクのプロパガンダが極めて効果的だった理由は、共産党色を決して表に出さず、進歩的文化人を全面的に活用したことにある。


共産党の公式見解や共産党知識人たちの主張と違って、高名な進歩的文化人の発言は、その「中立性」ゆえ、インテリの世界で大きな影響力を持つ。


日本では戦後、知識人に対する共産党の影響力は甚大であり、党員教授が東大を頂点とする学者の世界でも大きな勢力を占め、「『進歩的』でないと見なされたら、(国立)大学に職を得ることすら困難」(香西前掲書)な時代が長く続いた。


中国共産党の工作は、南京政府及び軍中枢まで浸透しており、汪政権の動向は延安の共産党に逐一報告されていた。共産党情報機関最高幹部である潘漢年のスパイ網は、南京の本部にまで入り込み、汪政権軍首脳赫鵬挙指揮下の二人の師団長を含む、軍幹部の多数が共産党の秘密工作員であった。


黒宮教授は、1928年6月に奉天で張作霖が爆殺された事件について、「ある日本の自称実行犯(assassin)は説得力のある告白さえ残している。しかし、今では、この事件はソ連の念入りなカムフラージュに思える。ソ連の実行犯たちが張を殺害し、罪を日本人になすりつけたのだ」と述べている。


加藤氏が『謎解き』で指摘しているように、この事件では、爆破によって車両の天井部分は滅茶苦茶になったのに対し、台車部分や線路はほとんどダメージを受けていない。通説である関東軍犯行説は、河本大佐らの爆薬は、京奉線の線路脇に仕掛けられたとしており、車両の被害状況と辻褄が合わない。


張作霖爆殺がソ連の仕業だとしたら、その中心にいたのは、エイチンゴンである。……(中略)……ミハイル・ムザレフスキーが編集した『栄光のチェキスト』も、注目に値する資料である。……(中略)……さりげなくこう書かれているのだ。「1928年、満州の独裁者張作霖将軍の殺害に直接関与した」。


近代中国の歴史を画する西安事件が12月に起きる。張学良が西安を訪れていた蔣介石を監禁したのだ。実は事件の数ヵ月前から、ソ連の軍事支援を条件に、共産党は張学良に接近し、両者は事実上の同盟関係にあった。


第二次世界大戦の真の勝利者はイギリスやアメリカではなくソ連と共産主義勢力だと言われるのが以上の情報から裏づけられます。

とくに中国大陸では国民党軍を徐々に浸食しつつ自勢力を温存し、開戦前には弱小勢力に過ぎなかったのが天下を取ることになりました。戦略の上手さとともに、その宣伝の巧妙さにも感心します。

また、連合国側にも枢軸国側にもシンパがいて、陰で彼らに協力していたということ。

それが大戦後〜1960・70年代にかけて東側勢力が一時世界の半分強を支配するまでに至る事態につながった伏線になっているんですね。


次に、戦間期に締結され、日本の第二次世界大戦における戦争犯罪の根拠とされることの多い不戦条約についてです。

イタリアの国際法学者ディオニシオ・アンチロッティは、1929年に出た独語版『国際法講義』(邦題『アンチロッチ国際法の基礎理論』)でこう述べている。彼は当時、常設国際司法裁判所(国際司法裁判所の前身)の裁判長であり、そのバランスのとれた見解で、斯界の世界的権威とされていた。
法的保護が実効性ある一定の機関に独占的に委ねられている社会では、自らの権利を守り、原状を回復するため、加害者に対して実力を行使する「自力救済」(Selbsthilfe, selfhelp)は原則禁止される。それゆえ、その例外としてのみ認められる自衛は、独自の概念として意味を持つ。
それに対し、法秩序が個々のメンバーに自力救済を認めている社会では、「自衛は独自の制度としての性格を失い、自力救済行為を分類する際に生ずるいくつかあるカテゴリーや形態のひとつに過ぎなくなる。一般的にいって、これが国際法の状況である」。
要するに、国際社会では自力救済が認められている以上、その一部に過ぎない自衛を、取り立てて議論する必要はないということである。


一般国際法においては攻撃戦争も含めて自力救済が認められているというのが、第一次大戦後も、国際協調派の国際法学者たちの見解であった。


自力救済が違法行為を前提とするといっても、違法行為があったか否かは当事者が判断し、それを退ける上位機関は存在しない。結局、戦争は主権国家の自由という説と、違法行為に対する自力救済という説の間に、実質的違いはない。


国際世論の圧力を受けた英仏主導下の国際連盟は、「連盟規約の紛争解決制度の不完全さを補い、終局的にはすべての紛争が拘束力ある解決を受ける仕組みを作り(略)戦争の全廃を期した」(田岡『国際法V』)ジュネーヴ議定書を、1924年の第五回連盟総会で採択する。しかし、この議定書は加盟国に批准されることなく立ち消えとなった。国民の平和願望にもかかわらず、各国政府は戦争を含む自力救済という選択肢を奪われることを拒否したのである。


戦争禁止に向けて実効性ある制度を構築しようとしたジュネーヴ議定書を廃案に追いやったものの、各国政治指導層は、戦争廃絶を求める世論に何らかの形で応える必要に迫られていた。そこに登場したのが不戦条約である。


不戦条約とは、極論すれば、戦間期で最も国際関係が安定していた状況の下、英米本位の現状維持を承認したうえでの、世論向けパフォーマンスに過ぎなかったのである。


”不戦条約”とは、結局、国際世論を鎮静化するための指導者層のお芝居に過ぎなかった...

とはいうものの、不戦条約は単なる紙キレではなく、逆に利用されて(悪用されて)しまうのです。

国際世論というものが、米英指導層の判断に大きく左右されることを考えれば、法的に無効な条約は、米英には極めて都合のよい政治的武器となる。法的拘束力がない以上、自らの武力行使は常に正当化できる一方、気に食わない国の武力行使は、国際世論を誘導して、法的にはともかく道徳的非難に値するとして糾弾し、その国を国際社会から孤立させ、追い詰めることができる。
それが、満州事変以降の日本に降りかかった運命であった。


国際世論に対し常に受け身で、激流の中の小舟か木の葉のように翻弄される我が国の立場は今も昔も変わってないということですね。

嗚呼、日本が国際社会において大国扱いされるときは当分来なさそうです。

最後に今回紹介した2冊の本の2冊目の最後の文章を引用して締めくくりたいと思います。

英米仏やソ連が行なったような「非文明国」に対する狡猾かつ傲慢な帝国主義的支配は、日本人の手に余る仕事であった。21世紀の日本人に求められているのは、戦後70年談話にあるように「国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続け」ることよりも、自分たちが小国民だという自覚ではあるまいか。
我々は、他民族を巧妙に支配できる大国民ではないし、それを嘆く必要もない。しかし、小国民といえども、それがいかなる美名の下であれ他国に支配されることなく、国際社会において独立自尊の道を歩むことは可能である。


まさにこの通りで、したたかさと辛抱強さが足りないです、日本人および日本外交には。

利用されるだけだと思うので、国連の常任理事国入りなど目指さないほうが良いとあらためて思いました。






posted by スイス鉄道のように at 07:00| 東京 ☀| Comment(0) | 気づき・ヒント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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