2017年09月18日

アメリカの株式市場と日本の株式市場はバックグラウンドが違う...

おとといの土曜日のことになりますが、池上彰さんの『ニュースそうだったのか2時間スペシャル』を見ていると、アメリカのエンジェル投資家や世界の時価総額上位50社といった話題が出ておりました。

世界の時価総額上位50社のうち、日本企業はたった1社、トヨタ自動車だけでした。

しかも、トヨタはどちらかというと保守的で安全志向の会社。

そして、かんばん方式やカイゼンといった、効率化とコスト削減指向型の企業でもあります。

いわば、”規模の経済(スケール・メリット)”の効果とトヨタ銀行といわれる自己資金の豊富さが評価されているものと思われます。

一方、世界の時価総額上位50社の大部分(33社)を占めるアメリカの企業は、進取の気性に富み、成長を旨とする企業ばかり...

その原動力となるのは、チャレンジ精神(フロンティア精神といいかえてもよい)と、”失敗”に寛容な文化。

”エンジェル投資家”と呼ばれる人たちは、日本は昨年約10億円なのに対し、アメリカは約2兆円強とのこと。

また、アメリカの場合、そういうエンジェル投資家には過去にお金を出してもらって成功した人が多く、自分もそういう立場になったら助けてあげようとする人が多いんだとか。

そして、成功するのは10社に1社くらい、つまり1割くらいで、あとはお金が返ってこないんだけど、それでもそういう人たちは絶えないという...

日本ではエンジェル投資家はむろん、出資者自体が乏しく、また、お金を借りようとすると担保をとられたりして失敗した場合の代替手段を必ず求められるのとは雲泥の違い...

あらためて日米の株式会社の質の違いと文化の違いを再認識しました。

番組内容以外のところでの自分の経験や知識から考えるに、まず、企業家の意識が違うな、と...

アメリカはアメリカンドリームといって夢を成功を追いかける人が多いですが、日本は自分だけの私利私欲を追いかける人が多いような気がします。

それは、以前このブログで紹介した記事(2015年9月26日の記事)で書きましたが、アメリカ人の頭の中が、キリスト教思想に基づく隣人愛と財産のフル活用に意志的に向かっていることによるものだと考えます。

このことは、成功したアメリカ人が莫大な寄付をする行為などにも表れている...

また、同じく前にこのブログで紹介した記事(2016年6月20日の記事)で、破産した人のたくましさとそれを支える制度があることにも社会の質の違いを感じます...

さらには、日本の貯蓄率の高さと、アメリカの投資文化の違いもよく言われますよね...

結局、同じ資本主義と株式会社制度をとりつつも、日米の2カ国は全然違っている...

なので、アメリカの投資本のなかで「インデックス投資」を勧めるものを鵜呑みにするのは間違っているように思います。

たとえば、『ウォール街のランダムウォーカー』...

ウォール街のランダム・ウォーカー原著第11版 株式投資の不滅の真理 [ バートン・G.マルキール ] - 楽天ブックス
ウォール街のランダム・ウォーカー原著第11版 株式投資の不滅の真理 [ バートン・G.マルキール ] - 楽天ブックス

この本の内容を否定するわけではありませんし、日本の株式市場でこれを真似して行っても一定の効果はあるとは思いますが、同じ効果が得られるとは考えずらいです。

また、今後、日本の株式市場がよりグローバル化し(=国際的な標準形に近づき)、日本人の貯蓄率が下がって株式へシフトしたとしても、文化の根底が異なるので、「インデックス投資」の有効性がアメリカの株式市場とおんなじになるとは思えません...

さらに付け加えるに、少子高齢化が日本では進み、人口が減少傾向に推移するのに対し、アメリカでは紆余曲折はあるものの移民を認めてきて、これからも認め続けるだろう、だから人口は増え続けていくだろう、ということもあります...

要は、日本社会はグロース(成長)する社会ではない...

だから、株式市場全体のグロース(成長)にかける「インデックス投資」は、アメリカほどには効果は生じないし、先の見通しも限定的だと思います。









posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☔| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

江戸バージョンの「孤独のグルメ」か?、『下級武士の食日記』を読んで...

テレビ東京系でやっている「孤独のグルメ」という番組がありますよね...

原作はマンガで、主人公が東京中心にウマい店を食べ歩くという食レポ番組。

あの江戸時代バージョンともいうべき本を見つけました。

『下級武士の食日記』です...

幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫) -
幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫) -

紀州藩の下級藩士が江戸時代末期に単身赴任を命じられて江戸にやってくるのですが、独身の気軽さと好奇心から江戸の各所を食べ歩く様子を解説した内容です。

読んでてとても楽しくなる本です。

以下、面白そうな箇所・楽しそうな箇所を引用してみます...

安藤屋敷への挨拶を無事に終えた伴四郎「主従」、上野へ赴き不忍池の弁財天を参詣しています。そこで湯豆腐、玉子焼き、香の物を肴に酒を一合飲み、足を延ばして浅草寺を参詣して、甘酒を二杯飲み、六つ時(午後七時前)にご帰還。


江戸へ出てほぼ一月、はじめて過ごす江戸の夏です。この日、伴四郎達三人は渋谷藩邸を訪れ、小野田清助にご馳走を振る舞われています。酒の肴は、あじの干物、からすみ、いさきと芋にぜんまいの甘煮そしてどじょう鍋です。


夕方に同僚たちと平川天神へ参詣のついでに琉球芋(さつま芋)に栗と砂糖を入れて練り固めた「芋かん」を三つも食べています。帰りに入ったそば屋ではたこ・なが芋・れんこんの甘煮を肴に薬代わりと称して酒を飲み、とても風邪とは思えない食欲です。


天神前の店に入った伴四郎は「どじょうぶた鍋」で酒を二合飲んでいますが、これはどじょう鍋と豚鍋を別々に頼んだのでしょう。その後、藩邸近くの一ツ木まで帰ってきたところで、今度はうなぎ屋で「二躰」のうなぎを頼んで、また酒を二合飲んでいます。


日本橋からの帰り、小腹が空いたので久保原町でそばを食べ、その上、桐原では豚鍋で酒を飲んでのご帰還です。


そば屋へ入って皆はかけそばを注文、伴四郎は寒さしのぎと称して鳥鍋で二合の酒を飲み、その勢いでまぐろのアラと酒を三合買って長屋で大いに酔っぱらい、おかげで汗を一杯かいています。


飛鳥山では腰掛け茶屋で菓子と茶を楽しみ、王子権現の扇屋という料理茶屋に入っています。きれいな小座敷が沢山あり、庭もまた風雅で立派な料理茶屋で、なにか伴四郎には不似合いな気もします。刺身には菊・大根おろし・きゅうりとわざびがあしらわれ、都芋とたこの味煮、魚の味噌汁で酒も三合ほどすすみ、料理のきれいなことと味を大いに楽しんでいます。


伴四郎にとって毎月晦日は、そばを食べる日でした。晦日を理由に、八月は天ぷらそば、九月にはそばで酒を一合飲み、十一月には、肴は不明ですが、そば屋で酒を二合飲んでいます。どうも酒も晦日の楽しみだったようです。


酉の市の日の江戸は人混みだらけだったのでしょう。この茶屋では、大勢のお客に手が回りかねた様子、しばらく待たされて蒸しがれいの甘煮で飯を食べて酒を飲んでいます。淡白な味わいですが生姜と醤油に、味醂と砂糖で甘く煮付けたかれいは大変美味しいものです。


古き良き江戸を満喫している様子が伝わってきて、とても楽しんで読める一冊になっていますよね〜...

ときには、銭湯の二階で宴会をしたりも...

定府の二人が酒を二升おごり、伴四郎と寒川が鳥鍋と売肴を提供しています。売肴とは惣菜のようなものでしょう。銭湯の亭主も呼んで、二階で番をしている娘も加わり、伴四郎の三味線で歌いかつ踊る大宴会の始まりです。


また、主人公は紀州藩の衣装係りをお勤めにしているのですが、そのノウハウを民間にも教えて、お礼をもらったりもします。

以下は、豪商三井家に稽古にいったときの記事。

稽古の後にはご馳走が用意されています。吸物としてぼらの味噌汁、口取肴は蒲鉾、寄せ物は芋・栗・なが芋・玉子巻、ぼらの刺身と貝柱に生海苔と大根があしらわれていました。酒をしたたかに飲んで、蒲鉾の味噌汁、平皿に盛られた芹、椎茸、蒲鉾、麩で飯を食べて、菓子の土産まで付いていました。


ちなみに、勤務はさほど激務ではなかったようです。

伴四郎の勤務状況を紹介しましょう。五月二十九日に江戸に到着した伴四郎、六月三日には初出勤、しかし六月の勤務は六日間だけでした。それも四ツ時から九ツ時の勤務、現代風に言えば午前十時頃から正午までの勤務時間です。


翌七月の勤務実績はありません。早い話が一日も働いていないのです。八月は午前八時頃までから正午までに勤務時間が延びていますが、勤務日は十三日間でした。以下九月十一日間、十月八日間、十一月は九日間といった具合です。


いやぁ〜、うらやましい...

江戸時代って、のんびりしていますねぇ...

現在の日本のせわしなさは、明治維新以来の「富国強兵」という政府の方針と欧米から輸入した資本主義の制度が原因だと、つくづく実感しました。









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2017年09月11日

『メグレと老外交官の死』の感想...

「めぐれ」というと、今は、アニメ・漫画の『名探偵コナン』に出てくる目暮警部を思い浮かべる人が多いかもしれませんんが、本来は、ベルギー人の推理小説家ジョルジュ・シムノン氏の書いたメグレ警視シリーズの方を指します。

この有名なシリーズを私は今まで読んだことがありませんでしたが、今回、『メグレと老外交官の死』を図書館で借りて読みました。

メグレと老外交官の死 (1980年) (メグレ警視シリーズ) -
メグレと老外交官の死 (1980年) (メグレ警視シリーズ) -


その感想をば...

あらすじは、引退した外交官が四発の銃弾で撃たれて死んでいるのが発見され、外務省経由でメグレ警視に捜査が依頼されるところから始まります...

最初の一発で即死であるにもかかわらず、さらに三発が撃ち込まれているのが謎めいています。

容疑者は、同居している家政婦,唯一の相続人である甥,かつての恋人とその子供など...

最後には意外な結末が待ち構えています...

長編に分類されますが、英米の重厚な推理小説とは違ってそんなに長くもなく、また濃くもなく...

さらっと読めました。

以下、訳者あとがきからの引用です...

メグレ物は原稿枚数にして三百枚前後である。無駄なことを書いているスペースがない。あっという間に読者を夢中にさせ、最後まで引っぱっていかなければならない。一行たりとも無駄なことは書けないのだ。


メグレ物の書出しはずば抜けてうまい。読みはじめると、すぐにメグレの世界に引きずりこまれてしまう。


その書き出しは、こんな感じです。

その年の五月には輝きと、風情と、幼年時代の思い出の匂いがあった。人の生涯に二度か三度しかないような例外的な五月。メグレはそういった五月を《頌歌の五月》と呼んでいた。


たしかに...

また、パリの美しい風景や街角の描写や、捜査の合い間に美食を楽しむメグレ警視の捜査スタイルにも癒されました。

以下、気に留まった箇所を引用です。

メグレは司法警察局の局長と一時間過すと、ビヤホール《ドフィーヌ》に行って、カウンターで生ビールを大ジョッキで二杯飲んだ。


捜査の途中で、ビヤホールに寄り道して一杯ひっかけるメグレ警視...

また、取り調べ中も...

片手にパイプ、片手にハム・サンドを持って、メグレは恨みを晴らすかのように歩き回りながら食べた。ときどき立ち止まると、ビールを一口ぐうっと飲んだ。


古き良き時代の、それもフランスだから成りたつんでしょうね。

今なら問題視されてしまいそう...

でも、そんな緩い雰囲気がたまらなくいい...

ハマりそうな予感が...

なお、事件の解決の仕方につき、訳者はこう言っていますが...

おそらくこの殺人事件の謎は、読者には最後までわからないだろう。犯人がわかったとき、読者はこの解決のしかたは、ミステリのタブーにふれていると思うかもしれない。


しかし、私は、解決のヒントは各所に散りばめられているなぁと思いました。

以下、ヒントとなっていると思われる箇所です...

まずは、書き出しのところで...

...メグレはそういった五月を《頌歌の五月》と呼んでいた。それというのもメグレに、最初の聖体拝領と、すべてが新しく、素晴らしかったパリでの最初の春を思い出させてくれるからである。


とあります。

そして...

黒檀の大きな十字架が、つげの小枝が入っている聖水盤の上に掛かっている。
「サン=ティレール伯爵は熱心な信者なのですか?」
「日曜日のミサを一度も欠かしたことがございません。ロシアにいたときも。」



「公爵夫人は熱烈なカトリック教徒なのですか?」
「彼女はヴァレンヌ通りの大邸宅のなかに礼拝堂を建てさせました。」
「それで、夫のほうは?」
「おなじくカトリック教徒です。」


《わたくしは一晩じゅうお祈りしました。つぎの朝、教会に司祭を訪ねました……》
司祭は公爵と同意見だ。愛の問題のために、五世紀前からフランス史のあらゆる頁に登場してくる名前を絶えさせてはいけないというのである。


キリスト教、それもカトリックに関する記述が頻繁に出てきます。

被害者も、容疑者も、熱心な信者だったという...

これらの記述がヒントになっていると思うんですが...

どうでしょうか?

おわかりになった方はいらっしゃいますでしょうか...








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