2017年07月10日

『アメリカもアジアも欧州に敵わない』を読んで...

最近、円や米ドルの値動きがいまいちな反面、ユーロの強さが目立ちますね。

そして、木曜日には、EU(ヨーロッパ連合)と日本との経済提携成立か?、といったニュースが飛び込んできました。

ワインやチーズもゆくゆくは関税が撤廃されていくということで、消費者にとっては朗報ではないでしょうか?

そんな中、『アメリカもアジアも欧州に敵わない』という本を読んでみました。

アメリカもアジアも欧州に敵わない―「脱米入欧」のススメ (祥伝社新書) -
アメリカもアジアも欧州に敵わない―「脱米入欧」のススメ (祥伝社新書) -

この本をひとことでいうと、ヨーロッパの見直しです...

以下、引用です。

われわれが属している文明の本流は何かというと、明らかに、ヨーロッパに源流を持つものなのである。


新しいヨーロッパの将来については、アングロサクソン人の情報操作に惑わされた日本人はつねに悲観的だった。


アメリカNo1といった情報に突き動かされ、ヨーロッパは元気のない老大国ばかりという印象を多かれ少なかれ我々日本人は頭の中に抱いているかもしれませんが、そうじゃないんだというわけです。

いまや、ヨーロッパは確実にアメリカを凌ぐ、世界最大の統一市場である。


環境問題や人権問題や男女共同参画でも、ヨーロッパこそが世界の先端にある。


なぜフランス革命が民主主義の原点かというと、国民主権と立憲政治、そして、「自由・平等・博愛」という人権についての普遍的な原則を確立したところにある。


だが、そうした思想を最終的に具体的な諸制度に反映したのには、ナポレオンの天才が大きくものを言っている。隙のない法典、充実した公教育、均一的な地方制度、全国民を基礎にした軍隊、安定した通貨などは、いずれも、彼の創造物であるといっても過言ではない。


ヨーロッパならではの値打ちは、「知的」であることが尊重されているということだ。ブッシュ大統領において典型的に示されているように、アメリカでは、「いい奴」であることが政治家にもっとも求められているらしい。


ヨーロッパ文明が、なぜ「進歩」を実現してきたかといえば、そうした高度な知的営みを尊重するとともに、「学ぶ」、「考える」、あるいは「教える」ということの重さを認識していたからではないか。それと比べると、同じ古い文明国であっても、東洋では、丸暗記することが知識人の主たる資格とされてきたように思う。


アメリカ人には、過去とか理屈に捉われない純粋な正義感があるし、世のため人のためと思えば財産や命も惜しまない潔さもある。しかも、強大だ。だから、世界の警察官、というより保安官たり得るし、日本の安全保障をどこかの国の武力に委ねようとすれば、ほかに選択肢はないだろう。


ただ、アメリカは世界の警察官でなく保安官だといったように、きちんとした規則とか理に適った意志決定の仕組みで動くのでなく、その場その場の思いつきで動くやっかいな存在でもある。「陶器店に入ってきた善良な象」というたとえは、この国をよく表わしている。


いまや、たとえば、日本が外貨準備をドルからユーロに乗り換えれば、世界経済の中心は欧州に移るだろう。


民主主義も、共産主義も、社会主義も、これらを考え出したのはすべてヨーロッパ人であり、アメリカ人ではありません...

知的創造力という点では、やはりヨーロッパの方が一枚も二枚も上だということですね。

また、ロシアも広い意味ではヨーロッパの一部ですが、旧ソ連とその成果についても考え直す必要があるようです...

ブルガリア人の数学者と同乗して、彼の身の上話を聞いたことがある。(中略)「だが、研究者としてはモスクワに戻るのが理想だ。ロシアには数学のような抽象的な思考に向いた精神風土がある」と、付け加えたのが印象的だった。


北京の中国科学院の幹部たちと紫禁城の隣にある北海の「仿膳飯荘」という料理店で会食したことがあった。その時、彼らは異口同音に留学生活を送った一九五〇年代のモスクワの素晴らしさを褒め称えた。


「ソ連の社会主義は最初から間違っていたので、一時期の栄光は幻だった」といった最近の評価には、必ずしも賛成できない。社会主義は少数で単純な目標に重点を絞り込むべき時には、早く成果を上げる。飢え死にをなくし、戦車を大量に生産し、人工衛星を打ち上げ、オリンピックの金メダリストや素晴らしい音楽家やバレリーナを育てるといったことには、ソ連は大成功を収めたのだ。ところが、目標が多様化してくると、市場機構のような見えざる手をそこそこ活用した方がうまくいく。もし、フルシチョフが一九六〇年ごろに政策の大転換をしていれば、社会主義に違う未来があったのかも知れない。だが、ブレジネフなど守旧派の巻き返しでフルシチョフは失脚し、それができなかったのである。



また、北欧型の男女共同参画型福祉社会についても、この本は見直しを迫っています。

スウェーデンの基本ルールは、「勝手なことをさせない」ということだし、国民がそれを受け入れている。行きすぎた高福祉高負担ということは、誰もが型にはまった生活と人生を送らねばならないことを意味する。身分証明書が必要な場面がやたらと多く、プライバシーも何もあったものではない。甘えは許されず、弱者も最大限の努力を要求されるし、自分で要望しない限り、周りが意を察してくれることはない。合議制が盛んとかオンブズマンの制度があるということは、結論において独創性が否定されることにもつながりがちである。また、市民一人一人が時間を取られるし、責任も重い。


外で働きたいという女性の希望が叶えられことは疑いなく必要だが、それを願わない人にまで、そうした価値観を押しつけるのが、無条件にいいとは言い切れまい。



また、初めて聞いた話しとして、こんなことも...

毎年、一一月一一日には、パリ在住の日本人は第一次世界大戦の戦勝国の一員として胸を張ることができる。凱旋門の下で行なわれる式典には、日本大使も連合国の主要メンバーとして参列できるわけだ。


日本が「戦争に勝った国」として扱われる場所・日付けがあるんですね!

これは、”目から鱗”...

いろいろと考えさせられる一冊でした...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月01日

『林原家 ―同族経営への警鐘―』を読んで...

『林原家 ―同族経営への警鐘―』を読みました。

岡山県にあった同族経営の会社の破たん劇の裏側を描いた、元社長みずから書かれた一冊です。

林原家 同族経営への警鐘 -
林原家 同族経営への警鐘 -

株式会社林原は、はるか昔にさかのぼれば、大名池田家に仕え、士分を捨てた御用商人にルーツがあります。

長男至上主義のもとスパルタ教育で男子を育て、家を継がせるという、今は珍しくなった古き日本の一族という感じ...

明治時代に水飴の製造販売を始め、戦後の貧しい世相の中に起こった甘味料ブームに乗って発展します。

不動産投資、キャラメルメーカー(カバヤ)の設立、M&A、などで地方財閥化。

さらには、美術館・博物館建設、チンパンジー等類人猿の研究所設立、岡山の歴史資料や骨董品収集(岡山城の堀あとも買収し、のちに寄贈もします)なども社長家は行い、地元の名士となります。

しかし、2011年、粉飾決算がバレて金融機関が騒ぎ、ついには会社更生法の適用となり、林原家は経営陣から退き、長瀬産業の子会社となりました。

波乱万丈という感じですね...

というわけで、内容はとても面白いです。

一読の価値はありますよ...

面白そうな箇所を引用しつつ、この会社が辿った経緯を描いてみましょう...


小さな飴屋だった林原商店は、克太郎から息子の保次郎、そして孫の一郎へと時代が下ったとき、大きな発展を遂げる。父、一郎は事業家と研究者、両面の能力に秀でていた。


父も母も、社員に大きな愛情を注いでいた。昔は豪傑な経営者が多かったというが、正月に何千人ものグループ社員を全員呼んで宴会をする経営者がほかにいただろうか。


西日本有数の不動産王となった父は、関東で巨大西武グループをつくり上げた企業家と並べられ、「西の堤康次郎」と呼ばれた。


岡山製紙のように過半数の株式を取得して林原グループに取り込んだケースもあれば、カバヤ食品のように自ら設立した会社もある。父が設立、買収、出資した企業は36社に及んだという。


父はこう話したという。
「営業でいくら巨利を得たとしても課税の対象となるので思うように蓄積はできない。これが最も容易なのは不動産と骨董品だ」


当時カバヤ食品は短期間で老舗の明治製菓を抜き去り、森永製菓に次ぐ2番手のキャラメルメーカーに急成長を遂げた。


そんな中、著者の父(林原一郎氏)はがんで急死し、著者が後を継ぎます。

父の葬儀には、政財界から7000人も参列した。


父の死後、カバヤ食品は経営権を巡って紛糾する。カバヤ食品は番頭たちの手に渡ってしまった。


私は人間不信になる代わりに、人間は本質的に欲望に生きるものだという考え方、良く言えば他人のことを全肯定する価値観、悪く言えば人間に対するある種の諦念をこのときに身に付けた。


砂糖に引きずられる形で、ぶどう糖も65年頃に最安値を付けた。しかも父の置き土産となった酵素糖化法によるぶどう糖の生産技術は、特許を取得していなかった。


1966年、全社員を前にこう宣言した。
「林原は今後、水飴とぶどう糖の既存事業を漸次縮小し、でんぶん化学メーカーとして生き残りを懸けます。この改革を、私はワンマン経営で推し進めます」


私が社長に就いてから、社員の約半分が会社に見切りをつけて辞めていった。


試行錯誤をする中で、68年に出来上がったのがマルトースだった。マルトースそのものは昔から存在していたが、純度が100%近い状態で作り出す新技術を林原が確立した。


このマルトースがヒットする。ぶどう糖は1キロ100円で売っていたが、マルトースは1キロ5000円で売れた。


マルトースの成功を機に、研究部門を「林原生物化学研究所」として別会社にした。


林原はこの研究所建設によって、甘味料メーカーからバイオ企業に名実共に転換を果たしたといえる。


独自研究に力点を置く経営手法は、80年代に量産技術を確立したインターフェロン、90年代のトレハロース、2000年代から急拡大したプルランなどの成功によって、さらに私の中で確固たるものになる。


トレハロースはその特性とコストパフォーマンスから、菓子や化粧品などさまざまな商品に採用されていった。実に約7000社に使われ、約1万種類の商品に入るまでになった。


「夢の抗がん剤」として期待されていたインターフェロンの量産技術を一介の地方中小企業が開発したことは、日本のみならず世界に対して相当なインパクトがあった。


特許部の設置は72年だから、地方の中小企業にしてはかなり先駆的だ。


1980年代後半のバブル期には含み資産がぐんぐん膨れ上がり、林原の不動産評価額は1兆円近いともいわれた。


テレビ番組「カンブリア宮殿」にも弟と一緒に出演した。


しかし、血を分けたこの弟とのコミュニケーションに問題があったようです。それは水面下で問題をはらんでゆきます...

弟は、私一人で経営方針について決めることにも不満があったようだ。甘味料業界が逆風にさらされる中、私の改革が手ぬるいと見えたらしい。


トレハロース事業が軌道に乗り、弟の尽力で米カーギル社とトレハロースの販売で提携した2000年頃が、私たち兄弟が会社分割に向けて始動するには良いタイミングだと思った。しかし、弟は会社に勢いがある時期だからこそ、逆に林原に未練を持ったようだ。


さらに、バブルの崩壊...

バブル崩壊後、大型小売店の撤退や工場の閉鎖などが相次ぎ、10分の1にも下落した。バブルのピーク期に1兆円近くあるだろうといわれた林原の不動産も、1000億円程度になったと思われる。


そして、研究偏重の経営...

林原では取締役会を開かず、社長の私が資金を自由に使っていた。その中には林原グループにとって利益をもたらすものもあれば、直接的にはそうでないものもある。会社が潰れるかもしれないというリスクを冒してまで資金を使う気は毛頭なかったが、財務のことは一切関知していなかったので、歯止めがかからなかった。


10の資産があれば、3を研究に振り向ける。残りの7をしっかり手元に確保しておけば万が一、3が0に終わっても会社は持ちこたえられる。この7に相当するものが不動産の賃貸収入、特許のロイヤルティー収入、そして、市場占有率が高い糖関係の製品群から得られる高利益率の販売収入だった。


最終的に社員約600人(中核4社合計)のうち、半数の約300人を研究者で占めた。


会社に朝9時から夕方6時までいたからといって、人に丸投げしている限り、結果は同じだったはずだ。社内にいる時間が短くても、資金繰りをチェックすることはできる。監査法人を入れれば二重三重にチェックできる。その仕組みを作ることを私は怠ったのだ。


結局、こんな杜撰な管理で借金が膨らみ、財務面で債務超過の疑いをメインバンクからかけられ、秘かに解決しようとしたものの、マスコミに情報がリークされて騒がれ、会社更生法の適用を申請せざるを得なくなります。

ちなみに、財務・経理を任せていたのは弟でした。この弟は、兄を裏切らなかったものの、コミュニケーション不足により、いよいよという状況になるまで大事な情報を隠していたのです。

しかし、最終的には債務の弁済率が非常に高い稀有な例となりました...

林原の更生処理は進み、林原家の私財提供とスポンサーとなった長瀬産業からの7000億円などを加え、最終的に弁済率は93%に達した。会社更生法の適用を受けた企業の一般更生債権の弁済率は、ほとんどが10%を切るという。


まさに波乱万丈ですね...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☔| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

大戸屋で築地仕入れの魚のランチ...

昨日のお昼は、御徒町駅南口すぐのところにある大戸屋さんでランチをしました。

実は、前々から、「築地仕入れの魚で限定ランチ」という、店の前に出ている看板に魅せられていたんです...

この日のメニューはコチラでした...

ootoya1.jpg

お店に入ったのは、11時15分頃...

5〜6組のお客さん(ほぼ1人客)がいるだけで、まだ席には空きがありました。

”いさきの塩焼き定食”を注文します...

ご飯は五穀米にでき、しかも大盛り無料ということで、そうします。

注文後、5〜6分でやって来ました。

ootoya2.jpg

尾頭付きで丸々一匹のいさきに、ひじきと大豆の煮もの、茶わん蒸し、おしんこ、お味噌汁、が付いておりました。

税込みで¥1,480円もしましたが、それだけの価値はあると思います。

たまにはいいんじゃないでしょうか。

そして、朝は軽く済ませていたので、お腹もいっぱいにもなり、満足できました。

今週は、月曜日からいい出だしだな、という感じです。

また、お会計はSuiCaで出来ました。

SuiCaで別途5千円をチャージ...

もうすぐ、ポイント交換や...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☁| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

にほんブログ村