2017年11月05日

海賊と東インド会社とロンドンの金融街と...

昨日からの続きとなります...

国際政治情勢がもたらしたやむにやまれぬ選択とはいえ、新興のプロテスタント国であるイギリスは、カトリック国であるフランスやスペインとの宗教戦争がらみの争いに勝ち抜くために、国家をあげての海賊行為に手を染めます。

この本では触れられていませんが、かの有名なアヘン戦争も、こういう国家体質を後の世まで引きずっていたからなんじゃないかと私は思いました。

イギリスが”紳士の国”だなんて、とんとおかしいということになります。

おそらく、昔海賊行為に手を染めたという「過去の暗部」を隠すためのカモフラージュなんでしょうね。

さて、今日の記事は、海賊人脈がイギリスの社会・文化をどう形づくってきたかという点に踏み込んで記したいと思います。

まずは、有名な東インド会社の誕生の裏側について紹介します...

当時、探検家と称されたイギリス人はほぼ間違いなく海賊であったと言ってよい。高価な商品を略奪できるという実利がないのであれば、純粋な冒険心あるいは探検心だけで、生命の危険をはらんだ遠洋航海に踏み切れはしない。


最初の冒険商人会社が誕生したのが、国王ヘンリー四世下の一四〇七年。こうしたシンジケート方式の会社が、一六世紀になって東インド会社やレヴァント会社へと発展していったのである。


女王が単独で、海賊船団を編成することはない。女王が主導する国家プロジェクトであるにせよ、表面的には民間主導でシンジケートを結成させ、そこに女王が秘密裏に参加するシンジケート方式を採っていた。シンジケート(Syndicate)とは、「組合」や「出資者の集団」を意味する。


一獲千金を思い描く女王、宮廷の側近、貿易業者、金融業者などのスポンサー連中が、シンジケート組織の中心メンバーとなった。スポンサーの中には、後述する「冒険商人」と呼ばれる海賊出身の貿易業者も多数含まれている。


上流階級に属していた冒険商人が、東インド会社やレヴァント会社の設立に奔走したのであり、航海に出てスペイン船やポルトガル船に遭遇すれば、状況に応じて海賊へと変身を遂げた。


東インド会社に君臨したのが、初代会長のトマス・スミスであった。複数の貿易会社を経営していた大物海賊で、海外貿易の元締めとして知られた資産家である。


(東インド会社の)六人の執行委員全員が“女王陛下の海賊”であると同時に、冒険商人として活躍した現役の海賊であった。


なんと、中学高校の世界史の教科書に載っている「東インド会社」の経営陣の全員が海賊だったんです!

それも、現役の!!

また、元海賊が伯爵となり、東インド会社へ現物出資(所有船舶を出資)したことも明らかになっています...

「レッド・ドラゴン」はカンバーランド伯爵が提供した帆船、旧名「マラス・スカージ(恨みの天罰、悪意のムチ)」であることが判明した。伯爵と言っても、元を辿れば海賊出身者である。


それから、昨日の記事に書いたように、海賊は王室海軍の一部に組み込まれますが、人脈的にもつながっていました。

ゴンスンは、財務官に抜擢されてロンドンへ栄転となり、権力の中枢に上り詰めていた。ゴンスンには愛娘キャサリン(一八歳)がおり、この令嬢の結婚相手になったのが、海賊出身の「冒険商人」ホーキンズであった。冒険商人ホーキンズ家の御曹司と、海軍財務官の愛娘が結婚する―海賊と王室海軍が切っても切れない深い関係にあることは、こうした人間関係からも垣間見ることができよう。


国家元首である女王が海賊の黒幕なんですから、こういうこともうなづけます。

そして、イギリス上流階級の象徴ともいえるロンドンのクラブの起源もまた同じく海賊がらみ...

クラブ社会の起源を辿ってみたところ、一七世紀初頭にそれらしきものを見つけることができた。マーメイド・クラブ―大物海賊のサー・ウォルター・ローリーが一六〇三年、仲間の海賊たちと創設した海のクラブだ。


保険で有名なロイズもまた、そう...

草創期の東インド会社における幹部や船長は、例外なく大物海賊の出身者で固められており、彼らが一杯のコーヒーを飲みながらビジネス・トークをする場所がコーヒーハウスであった。中でも有名だったのがロイズ・コーヒーハウスである。ロイズといえば、世界最大の船舶保険会社として世界中の保険会社を巻き込み、巨大なネットワークを構築しているが、その起源を遡ってみると、もともとは海賊たちが立ち寄る一軒の小さなコーヒーハウスに過ぎなかった。


創業者のエドワード・ロイドは、東インド会社の関係者を呼び込むために、年中無休で二四時間の営業体制を導入し、飲み物はコーヒー、紅茶、ビール、ジンなど各種を用意、顧客の求めに応じて食事も提供した。ビジネス環境を整えるために、当時としては貴重なインクとメモ用紙を店の片隅に備え付けるとともに、常時五人のスタッフを配置して、顧客のニーズを満たす人海戦術も展開した。客の要望に応える店員を朝から晩まで「待機(ウェイト)」させたことから、これらの男性店員を「ウェイター」、そして女性店員を「ウェイトレス」と呼んでいた。


そんな海賊たちのたまり場だった喫茶店ロイズの雑談から、船舶に対する保険として生まれたのがロイズだったということのようです...

結局、こういう結論になります。

権力者、黒幕、投資家としてエリザベス女王は常に登場してくるが、これらすべての出来事に深く関与し、先兵として働いてきたのは本書の主役である海賊だ。現代において、保険会社として世界に君臨するロイズ、高級紅茶として知られるトワイニングも、かつては海賊やその末裔と切っても切れない関係にあった。


フォートナム一族が東インド会社に勤務していたのと同じように、トワイニング一族も東インド会社の社員であった。海賊たちが設立した東インド会社の存在を抜きにして、茶貿易を語ることはできない。


コーヒーハウス文化、紅茶文化、クラブ社会などは、歴史の断面を切り取ってみると、どこかで海賊ビジネスに頼っていたと言えよう。


そして、世界的な金融街”ザ・シティ”の原点もまた似たようなもの...

ザ・シティは現在、グローバル経済を動かす金融街として知られるが、もともとは冒険商人や大物海賊のたまり場として有名だったのである。


こうしてみると、現在の3大金融市場と言われるロンドン、ニューヨーク、東京のうち、前2つは海賊を原点としているのではないかと思うわけです。

なぜなら、イギリスからアメリカへ移民が本格化したのも16世紀以降のことですし、文化的にもアメリカの原点はイギリスにありますから...

”一攫千金”,”濡れ手に粟”,”なんとかドリーム”,”一旗あげる”...

こういったフレーズは、海賊的だと言わざるを得ない...

そもそも金融という職業は、ヨーロッパ中世では、賤民扱いされたユダヤ人のやることでいかがわしいものでした。

そのことは、シェイクスピア作の『ベニスの商人』を見れば明らかです。

ニューヨークのウォール街も、ユダヤ系の金融業者が昔から幅を利かせてきました...

つまるところ、海賊と賤民が結びついた怪しい業界が金融業界で、彼らにとっては海賊行為をする大海原と同じ場なのが金融市場...

そう考えればいろいろと納得がいきます...

たとえば、”ハゲタカ・ファンド”だとか、企業の乗っ取り行為だとか...

だとすれば、インデックス・ファンドによるコツコツ投資だとか、老後の年金のためにうまく運用するだとか、あんまり考えないほうがいいかも...

そんなクソまじめな投資スタンスは、海賊の末裔でもある彼らのかっこうの餌食になるやもしれませんから...


最後にまとめとなりそうな一文を引用して終わりたいと思います...

現在、グローバル・ビジネスの世界で「海賊魂」の企業と言えば、挑戦的でフロンティア精神に溢れた企業、犯罪すれすれの経済行為だが高収益を上げている企業などを意味する。金融の世界で野心的な商品開発を行ない、高飛車に金融商品を売りつけて高収益を計上すれば、「海賊バンキング」となる。長い間、世界経済を牛耳ってきたイギリスの金融街ザ・シティは、そもそも海賊出身者が金融を動かしてきた点で「海賊ビジネス」の元祖であるし、ヨーロッパ大陸の金融機関は、さしずめ海賊ビジネスの本家かもしれない。


イギリスだけでなく他のヨーロッパ諸国も、世界各地で侵略〜植民地化などをやったことは紛れもない歴史上の事実...

それが通用しなくなった現在においては、”金融市場”こそが彼らの大海原なのかもしれません...









posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

今の世界金融市場の原点は海賊スピリットか?!(『世界史をつくった海賊』を読んで)

『世界史をつくった海賊』という本を読みました...

世界史をつくった海賊 (ちくま新書) -
世界史をつくった海賊 (ちくま新書) -

著者は上智大学出身の政治学者で、現在は独協大学教授の竹田いさみさんという方。

自宅には海賊をテーマにした人気マンガ『ONE PICE』を全巻そろえているとか...

以下、”あとがき”からの引用です...

我が家を振り返っても、尾田栄一郎『ONE PICE(ワンピース)』(集英社)の全巻が鎮座しており、海賊冒険ロマンが絶大な人気を博していることに気付く。


こんな海賊に強い興味をお持ちの学者さんが、普段の専門を離れて、主に16世紀の海賊について調べて書いたというのがこの著作です。

この本が言わんとしていることは、大英帝国の礎(いしづえ)を築いたのは国をあげた海賊活動だったということ。

このことを、さまざまな歴史上の諸事実からあぶり出し、今でもその発想をイギリスやロンドンの金融街ザ・シティは引きずっているんじゃないか?、と指摘しています。

まずは16世紀のイギリスを取り巻く国際情勢を中心に見ていきましょう...

以下、引用です。

当時、イギリスの人口は四〇〇万〜四五〇万人(ロンドンの人口は約一〇万人)であるのに対して、ポルトガルを併合したときのスペイン人口は一〇〇〇万人、フランスは一六〇〇万人。スペインとフランスを相手に、イギリスが戦争を強いられれば、イギリスに勝ち目がないのは誰の目にも明らかであった。


大国スペインやポルトガルとの競争に立ち向かい、戦争に勝利できる近道はコソ泥ではなく、大泥棒になること―これこそがエリザベス女王時代の国家戦略だった。


外貨を稼げるイギリスの主な輸出品といえば羊毛や毛織物に限られ、イギリスの沿岸で豊富に獲れる魚を輸出しても、大した利益にはならなかった。


手っ取り早く資金を調達して、富国政策を推進する道を探しあぐねた末に到達した結論が、国を挙げて海賊行為に勇往邁進することであり、毛織物に依存しない海外貿易を切り開くことであった。


“教科書にはない”やり方で、豊かになろうとした国があった。一六世紀から一七世紀のイギリスである。イギリスは、海賊行為という手法で豊かさを追求し、二〇〇年以上にわたる歳月をかけて大英帝国(British Empire)を築いた。たしかに産業革命によって大英帝国は確立されたが、その元手になる資金の一部は紛れもなく海賊がもたらした略奪品、つまり“海賊マネー”であった。


後世イギリスが貿易立国になる経済的基盤は、ドレークに代表される海賊によって形成された。海賊たちの暗躍がなければ、イギリスの王室財政、ひいては国家財政さえ破綻していたことであろう。


ヨーロッパ大陸の国々が貿易に主眼をおいたのに対して、イギリス人は海賊行為においたことが特筆すべき点である。一六世紀イギリスの経済成長の原動力は、海賊行為が主エンジンであるとすると、貿易はあくまで補助エンジンに過ぎない。


イギリスが貿易立国として世界経済に君臨するのは一八〜一九世紀であり、そこに至る二〇〇年間は、“海賊マネー”に依存せざるをえなかった。


女王が海賊行為に関与する際には、海賊船団の指揮官に口頭で申し伝えるか、女王側近のウォールシンガム秘書長官(国務卿)を通じて伝達するなど、女王関与の痕跡が残らないように細心の注意が払われていた。


エリザベス女王が関与する文書は、なるべく残さないという原則があるにもかかわらず、シンジケートへの出資リストが奇跡的に、ロンドンの大英博物館資料室で一九二九年に発見された。


女王はドレークらの海賊たちを大量に動員し、活用した。そして海賊を国家の英雄に仕立て上げることで人心を掌握し、国家運営の両輪、つまり資金調達と戦争に勝利するという目的達成に大いなるはずみをつけた。


女王は連合艦隊の総司令官に、王室海軍のチャールズ・ハワード海軍卿を任命し、副司令官クラスに海賊のドレーク、ホーキンズ、マーティン・フロピシャーらを据えた。


こんなふうにエリザベス女王は、海賊を裏で動かして資金源にすると同時に、国家の正規の海軍に海賊を組み込み、かの有名なスペインの無敵艦隊にも勝利します。

その証拠も、一部は後世に見つかっているわけです...

また、海賊は奴隷貿易にも手を染めていきます。

奴隷貿易はポルトガルの専売特許であったため、カリブ海のスペイン植民地といえども、ポルトガルの言い値で黒人奴隷を購入しなければならなかった。安値で大量の黒人奴隷を調達したいというのが、スペイン植民地の本音だ。ここに目を付けたのがエリザベス女王と海賊である。


こうして非合法かつ暴力的に富をかき集め、この資金がひいては産業革命を起こした資本にもなっていったようです。

イギリスに産業革命をもたらしたジェームズ・ワットによる蒸気機関の発明(一七七五年)も、奴隷貿易と切り離して考えることができないという説がある。カリブ海での奴隷貿易や砂糖生産を通じて、多額の資金がイギリス本土にもたらされ、それらの資金が金融機関に蓄積された。この巨額の資金が、研究開発資金としてジェームズ・ワットの手に渡り、蒸気機関の発明に繋がったというのだ。


今ならマネーロンダリングで摘発されそう。

教科書には出てこない黒歴史、って感じですね。


長くなったので明日に続きます...







posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

鯛めしランチが”和”の有難みを実感させてくれる...

昨日のランチは、新橋駅から徒歩3〜4分のところにある『宇和島』さんへ行きました。

こじんまりとした和風のお店で、魚系のお料理を出すお店です。

uwajima0.jpg

ランチメニューの主力は2つ...

uwajima1.jpg

テレビにも出たことのある有名な「鯛めし」(Aランチ)を注文しました。

¥1,200円と値は張りますが、それだけの価値のあるお料理が出てきます。

uwajima2.jpg

まずは、メインの一品である鯛めし(写真右上)ですが、鯛の切り身と生卵,出汁,のり,ゴマなどが入っていて、これをご飯にかけていただきます。

ご飯のおかわりは1杯まで無料なので、ご飯2杯にて頂戴致しました。

しかし、嬉しいのは鯛めしだけでなく、付いている小皿2つです。

大根と魚のアラの煮物(写真左上)は、味が沁みた大根のほろ苦さがたまりません...

魚のアラは、ほとんど骨も食べられるほどに柔らかく煮込んであり、これもたまりません...

それから、じゃこ天(写真真ん中上)がありました。

これも魚好きにはうれしい一品です...

和のお料理の素晴らしさが詰まった定食に仕上がっていました。

11時半の開店直後に行き12時直前に店を出たので、カウンター席(1人だとカウンター席になる)でも両隣が空いていて広いスペースで食事できたので気分的にも上々でした...








posted by スイス鉄道のように at 08:00| 東京 ☀| Comment(0) | 分析・考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

にほんブログ村