2018年02月22日

岡部牧夫著『出処進退について』感想(前編)

故・岡部牧夫氏の著作『出処進退について』を読みました。

著者は、第二次世界大戦期の昭和天皇の侍従である岡部長章氏の息子です。

岡部長章氏は江戸時代の岸和田藩主の家系で、明治維新後は華族様ですから、いいところのお坊ちゃんだったようです。

以下、引用です。

私の父岡部長章は、一九三六年三月から四六年四月まで、侍従の地位にあった。……(中略)…… 当時の日本社会で宮内官の子であるということは、特権的身分制度の枠内に育つことを意味した。戦時下の物資の乏しい時代、私の家庭は、飽食するほど恵まれてはいなかったにしろ、父が時折「御所」から持ち帰る艶やかな白いロールパンの味を今も忘れられない程度には、平均的国民の窮乏には遠い暮らしであった。もっと別の家に生まれていたら、当時の乳幼児死亡率の高さからみて、私が今ある確率はずっと少なかっただろう。極端に言えば、私の現在は天皇制のおかげである。物質存在としての私は、それに大いに感謝している。


しかしそんな生い立ちにもかかわらず、大人になり、政治学の研究者になってからは、反戦平和主義の立場で著述をしたためます。

氏はこの著作の中で、日本軍の残虐な行為を徹底的に指弾したり、天皇の戦争責任に踏み込んだりしていますが、それは氏が自虐史観の系譜に連なる学派の一人であるということを示すのではなくて、伝わってくることとしては、史実は史実として目をそむけず直視しつつも、未来へ向かって誠実に日本人のあるべき姿を訴えかける姿勢です。

この方の開明性,合理性,論理性には大いに参考にすべきところがあると思いました。

再び、引用を続けます...

私は世界市民として徹底的な共和主義者であると同時に、極端なまでの軍縮論者であるが、軍事費がひろく世界経済を活性化させ、テクノロジーを発展させる効果には、目をつぶることができない。しかし、狭義の君主制維持費のおよぶ範囲は、伝統工芸の細工師だの、時代ばなれした技芸職人だの、儀礼にともなう資源供給業だの、ごく限られた分野にとどまる。


君主制は少数の例外を除いて、その維持に莫大な経費を要するのが普通である。近代国民国家の経済合理性から考えて、非生産的な君主制維持費は、ある意味で、反戦論者が槍玉にあげる軍事費以上に実効のない、空虚なむだづかいでしかない。


古代中世のころならいざ知らず、少なくとも近代社会では、特定の家系が政治的権威を世襲で伝世する君主制は、不合理でむだな体制だと私は信じている。


問題は、ひとり明治憲法が十九世紀も末になってこのような近代法の常識に背を向け、世界的普遍性の全くない一民族の架空の建国神話と、皇統の一系性という歴史の偽造とを法源として作られたことにある。


克服されなかった前近代的非合理性は、ヨーロッパに台頭した近代的非合理主義のファシズムに表面的な親近感を覚えて共鳴を起こし、一九三〇年代に軍国主義と侵略戦争に走った。


日清戦争から十五年戦争期まで、五十年にわたる日本の中国侵略の実情。この時期に幼児だった私などの世代は、歴史の事実に責任がないだろうか。とんでもない。私たちの両親や祖父母は、中国支配にもとづく輸入大豆を食べ、大豆粕を肥料とする米を食べて生きていた。日本人の肉体は、好むと好まざるとにかかわらず、中国侵略を前提とした物質循環の一部であった。人間も生物だから、生殖のプロセスをへて、物質は親から子に伝わる。私たちは誰一人、この現実から逃れられない。卑屈になることはないが、直視する必要はある。


軍参謀長鈴木宗作は「敵性と判断したものは即時厳重処分せよ」と指示し、この作戦の本質は掃蕩であると説明した。憲兵隊と歩兵二個大隊の補助憲兵からなる昭南警備隊は、この軍命令をもとに二月中に二回にわたって華人の「敵性」の判別(検証)を行い、過去に抗日活動の経歴のあったもの、またそうではないかと思われるものを、一切の法的手続きを経ずに殺戮した。


満洲では軍隊・警察の討伐で一九三二―四〇年に抗日ゲリラ六万六千人が戦死したとされるが、多くは投降後に殺害されている。「満州国」はゲリラ兵士を反徒・盗匪と見なし、逮捕の場で殺すことを法制上認めたのである。


ハーグ条約は、戦争は必要悪として認めざるを得ないにしても、それを少しでも人道的に行うようにしようというのが趣旨であるから、陸戦規定の要件を満たさない戦闘員に、通常の捕虜としての待遇を与える義務を要求していないからといって、有無を言わさず殺してよいとするのは明らかに条約の精神に反する。


戦犯裁判があろうとなかろうと、またそれが公平であろうとなかろうと、私たち日本人はこれに対していやおうなしに何らかの責任を負わされている。責任のとりかたはさまざまであろうが、その最低限の原則は、日本人自身が自国の歴史を、よい面も悪い面も含めて客観的に認識し、それを後世に伝える努力を続けることである。そうしなければ、世界中の被害者・被害民族の糾弾に対して対等に、人間的に答えることができないし、アメリカの原爆投下やソ連軍の暴行・掠奪を倫理的に批判する根拠も失うことになる。


米軍上陸後、ルソン島バタンガス州(マニラ南方)に展開していた藤兵団(歩兵第一七連隊基幹。兵団長は藤重正従)の一部による、リパ市近郊の住民殺害の事実は、友清高志『狂気―ルソン住民虐殺の真相』(徳間書店、一九八三)が克明に紹介している。……(中略)…… 戦後三十年たって、彼はこの本を書いた。またその間たびたびリパを訪れ、今は同地にソバの栽培を普及しようと努力している。彼はかつての自分の役割を隠さずにフィリピン人と交際しようと努めた。フィリピン人は少なくとも彼にかんする限り、その行為を忘れなくても、許そうという気持になっているように見える。日本人がこれから東アジア世界で、何らかの地歩をかためてゆこうとするならば、この著者のような率直で誠実な人間的交際から出発する以外にないだろう。


ここ数年のあいだ私が天皇について、天皇の名において遂行された侵略戦争について、また、その戦争にともなう数々の非人道的な残虐行為について、一人の日本国民として、さらには歴史研究を事とする一個の著述家として、折々に書き綴ってきた断章が改めて成書になることは、まことに感慨深いものがある。これは言わば、私の〈昭和葬送曲〉であろうか。


最近、憲法を改正し自衛隊の存在を書き込むといったことや、来年の天皇退位と改元の問題など、日本の国の形に関するニュース・トピックが話題になっております...

そんななかにあって、氏の著作は、いろんな側面に合理的に切り込みつつ、気づかなかった点に目を見開かせてもくれ、読んで非常に有意義だと感じました。

”平和の祭典”オリンピックも開催中ですが、世界の平和を願うわれわれ一般市民としては、過去の戦争についてその原因を見つめ、真摯に反省し、悲劇が二度と起きないように心がけないといけないと思います。


明日は、氏のこの著作の内容のうち、明治憲法体制について論じている興味深い箇所を取り上げたいと思います。








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2018年02月04日

有名ホテルの地下にあるカフェのケーキ...

地下鉄日比谷駅から直結のホテル・ペニンシュラ...

言わずと知れた高級ホテルです。

ホテルの公式サイトはコチラ...
↓↓↓
http://tokyo.peninsula.com/ja/default

そんな一流ホテルの地下にオシャレなカフェがあります。

penin_1.jpg

ここで売ってるケーキがなかなかの味だというんで、買って食べてみました。

ちょっとお高めですけど、店員さんの対応は丁寧で(ホテルの一部だから当たり前か)、包装もしっかりしています。

penin_2.jpg

そして私がお店に入って、う〜んと考えて、買って、出るまでの10分弱のあいだに、5〜6人ほどの人が入れ替わり立ち替わりやって来て買っていきました。

やっぱり、人気があるんだなぁ...

イートインのコーナーもありましたが、ドリンクを注文するとさらにお高くなってしまうので、家に帰ってゆっくり食べました...

penin_3.jpg

2点で約¥1,100円ほどもしましたが、おいしかったですし、何か精神的に付加価値みたいなものも感じました。

”一流ホテルのサービスの一部を味わっているんだぞ”的な...

ちょっとした、”プチ・ぜいたく”ってヤツですね。

東京に住んでいるとこういう恩恵、というか有難みもあります...








ザ・ペニンシュラ ブティック&カフェカフェ / 日比谷駅有楽町駅銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5




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2018年01月26日

『まゆゆきりん往復書簡』を読んで...

昨年の紅白歌合戦でAKBを卒業した渡辺麻友さん...

彼女と同期生の柏木由紀さんとのやりとりを書籍化した『まゆゆきりん往復書簡』を読みました。

渡辺麻友さんの愛称が「まゆゆ」で、柏木由紀さんの愛称が「ゆきりん」なので、合わせて「まゆゆきりん」とファンのあいだでは呼ばれていました。

まゆゆきりん「往復書簡」〜一文字、一文字に想いを込めて〜 -
まゆゆきりん「往復書簡」〜一文字、一文字に想いを込めて〜 -

2人はAKBの3期生でして、2006年末にオーディションに合格し、2007年にデビュー...

そのときすでに、2005年に発足と同時に加入した1期生、翌2006年に加入した2期生という、2期にわたる先輩方がおりました。

AKBはチーム制を取っているアイドルグループでして、当初は、1期生はチームA、2期生はチームK、3期生はチームBでそれぞれ別に活動を行なっていました。

チームBでは、渡辺麻友さんと柏木由紀さんの2人の人気がうなぎ上り...
のちに、2人はAKBの主力メンバーとなっていきます...

AKBはやがて「国民的アイドル」と呼ばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の芸能界を席巻...
レコード大賞も2年連続で取るまでになります(2011年,2012年)...

しかしその後、徐々に勢いを落とし、現在では”坂道シリーズ”と呼ばれる、乃木坂46,欅坂46に遅れをとっているという状況です。

なぜ、AKBは落ち目になってしまったのか???

この本にその原因のひとつが隠されていました...

先に述べたように、1期生,2期生,3期生は各チームに分かれて活動していました。

そのため、3期生であった渡辺麻友さん、柏木由紀さんの2人は、AKB全体の選抜チーム(これがテレビなどのメディアにも出る)内でしか先輩たちと接する機会がありませんでした。

そして、その場(選抜チームという場)でも、先輩との距離はあまり縮まらなかったみたいです。

この本ではそのあたりの事情が次のようにつづられています...

・自信を持てたのは12年間のなかで2回だけ。オーディションに合格した時と総選挙で1位になったとき(渡辺麻友)
・力もないし、取り柄も無いし、才能も無いし、コミュニケーション力も無い(渡辺麻友)
・麻友は最初の頃、おびえていた(柏木由紀)
・先輩たちの輪の中に2人とも入れなかった。壁は高いまま残ってしまって卒業するまで崩れませんでした(渡辺麻友)
・先輩とは距離を置くけれど、後輩とは親しくできるゆきりんがうらやましかった(渡辺麻友)

特に、後輩とは交流できていた柏木由紀さんと違って、渡辺麻友さんは、人とのコミュニケーションが苦手だったようです。

そんななか、1期生や2期生たちが続々と卒業してゆきます...

AKBをその黎明期から支えてきた1期生と2期生の主力メンバーが徐々にいなくなっていった後、おそらく3期生のツートップである2人(渡辺麻友、柏木由紀)は、AKBをリーダーシップを持って引っ張っていけなかった...

これがAKBが徐々に落ち目になっていった一因ではないかと...

そう思いました。

ビジネスの世界でも「唐様で貸し家と書く三代目」と言います。

これは、創業者の一代目、創業者を助けて支えてきた二代目のうちは店は大丈夫だが、苦労知らずで芯の座ってない三代目は”家”をつぶすという意味です。

AKBを売れない時代からブレイクするまで引っぱってきた1期生と2期生のがむしゃらさに比べ、人見知りや遠慮することで周りとの間に壁をつくってしまった3期生の2人は、必死さや全力でのがんばりが足りなかったのかなぁ、というのが私の感想です。








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