2016年07月17日

『バランスシートで読みとく世界経済史』を読んで...(前編)

『バランスシートで読みとく世界経済史』という本を読みました。

バランスシートで読みとく世界経済史 -
バランスシートで読みとく世界経済史 -

”経済”というものが、いや、”文明”というものが、会計帳簿とともに進化してきたという内容です...

文明の始まりは、皆さん学校で習ったと思いますが、メソポタミア、つまり今のイラクの地ですね...

この地で人類は狩猟採集で生計を立てることをやめ、農業を始めたということが考古学的にも証明されております。

そして、農業の収穫物の量を記号で記したのが文字の始まりだということが最近わかってきたとのこと。

つまり、文字よりも数字のほうが先だったんですな。
貨幣の発明はまだまだ先だけれど、粘土板上の物量記録=会計帳簿、さらに文字へ進化、という形で文明が始まっていったらしいです。

・・・

さらに時代がくだり、ヨーロッパの中世...

キリスト教会は、強欲を否定し、利子を否定し、儲けることに否定的でした。

そこで商人は、儲け過ぎていないということを証明するために「複式簿記」を発明し、利用したとのこと。

以下、引用です。

中世の商人は複式簿記を、商業活動のために修辞学的に利用したことになる。すなわち、自分の商売が正直で道徳的に問題がなければ、利益を手にすることは倫理的に正当であることを「聴衆」に納得してもらうための道具ということだ。
 なぜ、説得する必要があったのだろうか。それは、教会が高利貸しを禁じるなかで、利益を追求する商売を正当化しなければならなかったからだ。きちんとつけられた帳簿は、商売の公正さと利益の正当性を主張するためのものである。


まさに逆説ですね...

現在でも使われている利益計算のための道具(複式簿記)が、利益を上げ過ぎていないということを証明するための道具だったなんて...(あくまでも著者の説ですが...)

・・・

さらに近代...

以下、引用です。

複式簿記のない資本主義はあり得ない。両者はちょうど型と中身のようなものである。
 ―ヴェルナー・ゾンバルト『近世資本主義』(1902年)


資本主義という概念もまた複式簿記から来ているようだ。フランスの社会学者エヴ・シャペロは、当時の社会科学者たちが資本主義という考えを思いついたとき、その背景に19世紀の帳簿があったと考えている。その定義が、複式簿記における分類や手順に深く関係しているからだ。


ウェーバーは、ゾンバルトほど極端な意見ではなかったものの、自分の資本主義論の中心に複式簿記を据え、16世紀にシモン・ステヴィンが寄与した資本勘定の発展に資本主義を見い出している


どうやら複式簿記の処理の手続きや仕方から、”資本主義”という概念が生まれたらしいです。

さらに、さらに...

マルクスが資本主義の限界を予見し、共産主義を考えついたのも、友人エンゲルスの実家が経営する工場での原価計算などの帳簿処理からだということです。

また、ケインズが考えたGNP(国民総生産)という概念が現在のGDPにつながっているわけですが、ケインズもまた複式簿記をヒントにしています。

ケインズは複式簿記にもとづいて、はじめてイギリスの国民勘定のしくみをつくり、「国家資源予算」として付録に掲載した。この予算は『一般理論』の総需要と総供給を貨幣価値に変換し、構成要素ごとに分類したものである。このときケインズは複式簿記を使い、両列それぞれの合計がバランスするようにした。



このように、人類の文明の歴史の裏には常に「会計帳簿」という用具の存在がありました。

その精神とは、身近な周囲のものをすべて数値化して管理したいという欲求であると著者は指摘しています。

つまり、すべての叡智、すべての技術、すべての科学の基礎は、”数学”ということですね...

それにしても、”文明”をたったひと言のファクターで言い表すなんて...

この著者は、すご過ぎです...


長くなったので明日へ続きます...






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2016年07月10日

マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』

マイケル・サンデル氏が書いた少し前のベストセラー、『これからの「正義」の話をしよう』を読みました。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) -
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) -

日本語版は2011年刊行ということですが、当時、書店では山積みになっていたことを思い出します。

著者はアメリカ人で、ハーヴァード大学の教授...
哲学者であり、社会学者でもあります...

本書の内容は大学での学生とのディスカッションの中から生まれたということで、古代の哲学者であるアリストテレスから、近代の哲学者であるカント、ベンサム、ミル、さらには、現代アメリカの思想であるリバタリアニズム、ロールズ氏の正義論など、さまざまな考え方を挙げながら、現在のマネー資本主義の”訂正”を試みます...

短い文章でその内容すべてをカバーするのは困難ですが、
”金(カネ)”がすべてではないだろう...
チャンスは全員平等には与えられてはいないだろう...
人種別の不公平さをただしすぎるのも問題だろう...
市場だけに任せておいては社会はうまくいかないだろう...
などといった現代社会に対する問題提起をしたうえで、
”共同体主義”(コミュニタリズム)をかかげます...

コミュニタリズムとは、各人が自己の属する共同体のために善なる行為をこころがけて生きるべし、という考え方...

サンデル氏はこれを、”共通善”で自己を律する生き方、と呼んでいます。

反自由主義とまでは言わないまでも、無制限の自由に歯止めをかけるべし...

良きアメリカ国民とは何か、良き市民とか何か、よく考えたうえで自ら自制して生きよという...

要するに、「自由の国」アメリカに対する改善要求を挙げています...

まあ、絶対的な真理などを探究する内容ではなく、現在の行き過ぎた自由主義に対する対処療法の提案というところでしょうか。

私には物足りませんでしたし、あらたな気づきは残念ながら大きくはありませんでした。

”共通善”という考え方は、中世の神学者がすでに提示してるところなんだよね...

ただ、この行き過ぎた自由はどこから出てきたかという起源については、再認識させてくれます...

現在のグローバル資本主義は、ほぼアメリカの価値観だというところは誰もが何となく感じているわけですが、その発想の大元は19世紀の自由主義です。

例によって引用してみましょう...

ミルの『自由論』(一八五九年)は、英語圏における個人的自由の擁護論の古典となっている。『自由論』の中心原理は、人間は他人に危害を及ぼさないかぎり、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだというものだ。


ベンサムの功利主義と、ミルのこの自由主義...

この発想が、各人が自由に働き、自由に儲け、自由に投資し、自由に消費し楽しむ、というアメリカン・スタイルの生き方につながっていくんでしょうな...

つまり、19世紀後半からの第一次金融グローバリゼーション(6月19日の記事参照)でアメリカ経済が本格的に立ち上がり、さらに第二次世界大戦で勝利した後、アメリカが世界一の経済大国となり大繁栄を迎えたことで、この考え方が正しいんだということになっていった...

しかし、貧富の格差の増大や、マイノリティ優遇によって逆に白人の恵まれない層が苦労したりと、最近のアメリカ社会はさまざまな問題を抱えてしまった...

そのへんがうかがわれる作品だと思いました...






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2016年07月04日

『刑事コロンボ13の事件簿』を読んで...

図書館でなにげに本棚の間を歩いていると、ふと目に留まったのが『刑事コロンボ13の事件簿』でした...

”刑事コロンボ・シリーズ”というと、私が子供の頃に一世を風靡した刑事もののテレビドラマで、主人公コロンボのキャラクターとその倒叙形式のストーリーが...
とりわけ徐々に犯人を追い詰めていって最後にチェックメイトする展開がとても特徴的でした...

最初はかつてのコロンボものの書籍版だと思っていたんですが、いかにも新しそうな装丁に手を取ってみると、新作じゃあ、ありませんか!

著者は”刑事コロンボ・シリーズ”を生み出したコンビのうちの1人...
ウィリアム・リンク氏でした...

すぐに借りて帰って、一気に読みました...

刑事コロンボ 13の事件簿―黒衣のリハーサル (論創海外ミステリ) -
刑事コロンボ 13の事件簿―黒衣のリハーサル (論創海外ミステリ) -

内容は短編集ですが、コロンボが現代に舞台を移して活躍します。

携帯を使ったり、トム・クルーズの映画を見に行ったり、カミさんはウォルマートでコーヒー沸かしを買ったりするんです。

被害者もトヨタのディーラーで車を買う話をしたりするんです...

まるでコロンボが生き返った感じがしました...

お世辞にも文学作品とは言えず、ドラマの脚本みたいですが、著者はその方面の人なのでこれは仕方がないのかな、と...

現代のロサンゼルスを中心にして捜査をするコロンボがとても親近感があって、読んでいて気分がほっこりもしました...

また、作品内容が明るさと闇が同居したアメリカ社会の縮図であるというのは、昔の作品通り...

犯人は自分の都合で人を殺めますが、必ず最後にはお縄になります。

この勧善懲悪というストーリーも、アメリカだけでなく日本でも人気を博した原因のひとつかな...

しかし、この作品に込められたメッセージは正義の追求ということだけではないんですよね...

犯人はたいてい金持ちか遺産目当ての親族なんですが、金(カネ)と地位と名誉を保とうとしても、あるいは得ても、それは幸せには直接的にはつながらないんだよという教訓が含まれているんです...

WASPが支配層と呼ばれるアメリカにあって、コロンボの設定はイタリア系のカトリック信者です...
(なお、かつてのテレビ・シリーズでコロンボを演じたピーター・フォークはユダヤ系です...)

そしてトレードマークは、ヨレヨレのレインコートに、ボロボロの車...

そう... コロンボは貧しいイタリア系移民の末裔なんです。

しかし、カミさんと幸せな出会いをして、恋愛して、幸せな家庭を築いている...

一方の犯人側はビバリーヒルズなどに豪邸を構えて住んでいるが、夫婦仲は冷え切っていたり、離婚済みだったり...

金はあるけど、幸せはないんじゃないの?、という感じなんですよね...

そして、貧しき者(=コロンボ)が金持ちを逮捕するというこのドラマの設定は、新約聖書の「金持ちが天の国に入るには、ラクダが針の穴を通るより難しい」を連想させます。

成功とは何か、人生の幸せとは何か...

世界最大の経済大国アメリカを舞台に、人生や愛,正義といったテーマを考えさせられる作品でもあります...







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