2018年01月07日

新年会でおおいに飲み食いしました...

昨日の夜は、私がかつて通っていた神学講座の卒業生同士での新年会でした。

場所は、都内の某修道院のキッチン付きの集会室です。

お料理は御婦人方が作ってくれたものが出ます。

お酒はご年配の男性陣が差し入れたもの中心...

会費はわずか¥500円...

お料理の材料費への充当と、余れば修道院への寄付となります。

18時開始のところ、やや遅れて到着しました。

ご挨拶をして、さっそく腹ごしらえです...

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これ以外にも、ケーキ,サンドイッチ,お寿司,お菓子がたくさんありました。

会もたけなわとなると、こんな状態に...

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旧交を温め、雑談を交わし、帰りたくなったため、途中退席しました。

教会関連の会合・活動等は個人の意志を尊重することが徹底しているので、普通の日本人的な束縛を伴ったつきあいという感じは新年会に限らずありません...

今回の新年会もまた、自由で束縛のないいい飲み会でした。







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2017年12月31日

今年一年、感謝,感謝,感謝...

いよいよ今年も今日で終わりですね...

私は大阪の実家に帰省する予定でして、朝から新幹線に乗ることにしておりますので、この投稿は予約投稿になっております。

今年一年、いろいろなことがありました...

いろいろなものに、そして多くの方に感謝いたします。

一年間、無事で充実していたし...

おいしいものもたくさん食べることができたし...

読みたい本もたくさん読めたし...

乃木坂46や欅坂46のライブにも行けたし...
(乃木坂46の皆さん、レコード大賞獲得おめでとう!)

行きたいところに旅行にも行けたし...

通っている大学院の卒業のメドもたったし...

何よりも大きな病気をせずに一年間を過ごせたし...

投資もまずまず、うまくいっているし...

仕事務めをやめて、はや一年半強となりますが、日々充実していて忙しいなか、楽しみもたくさんあるという、豊かで明るい毎日を送ることができています。

来年もまた一日一日を大事に頑張っていきたいと思います...

皆さんもどうぞお元気に年末年始をお過ごしください...







P.S.
美しくもたおやかな現在の”美”の象徴たち...




ほんとにほんとに、おめでとう!



その通りですね...
芸能界もいわばシビアなビジネスの原理が働く競争社会...

”差別化”こそ成功のキーポイントですね。



たくさんの人を巻き込むことこそ、成功の鍵ですね...



枝野さんも応援ありがとうございます。

味方が多いことって幸せにつながりますね...

いやぁ、今年の最後を良いニュースで締めくくれました...




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2017年12月25日

メリークリスマス!

皆さん、メリークリスマス!

12月17日の記事をご覧になっていた方はうすうすわかっていらっしゃったかもしれませんが、私はカトリック信者です...

昨日は朝から教会に行ってミサに参式しておりました。

上智大学の隣にあるカトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)の朝の様子です。

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昨日はやや曇りがちのお天気でしたが、日曜の朝はやはり清々しいですね...

知り合いにもチラッと会ったし、式によって心が洗われた感じがしましたし、いい一日の始まりとなりました。

そして、精神的にストレスなく、悩み事もなく、毎日おいしい食事をして明るく楽しく生きていることに改めて感謝,感謝です...

なお、私は、別に宗教に救いを求めて信者になったわけではなく、”神学”という学問が入り口でした。

キリスト教文学やユダヤ教文学、あるいは、ボブディランやビリージョエルのようなユダヤ系のミュージシャンの曲の歌詞 → ・・・ → カトリック神学、みたいな流れで興味を持って勉強したのがきっかけでした。

カトリック神学は、もろもろの悩み事やストレスをすべて取り去ってくれるし、世の中の将来に対して希望を抱かせてくれた上、自分自身の生活の規律、そしてモラルの維持・向上にも寄与してくれます。

今の充実した生活も、身を持ち崩すような危険からの回避も、その他の様々な恩恵も、これがため...

まさに、カネで買えないご利益をもたらしてくれました。

ありがたや、ありがたや、です...

特に感銘を受けたのは13世紀の神学者トマス・アクィナスの神学でした。

以下、『トマス・アクィナス肯定の哲学』(慶応義塾大学出版会)からの引用です。

トマスは、アリストテレスを解釈しなおすことによって、キリスト教をも解釈しなおしている。


若き日のトマスにおける「アリストテレス」と「キリスト教」との出会いは、トマスという一個人においてたまたま起こった出来事にすぎないのではなく、それよりもはるかに広く深い射程を有する世界史的な出来事であった。そこで生まれてきた知的結実は、キリスト教徒か否かを問わず、現代に生きる我々の心を照らし出す知恵と洞察に充ち満ちている。


トマスはキリスト教からいったん離れて、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの論理学によって思索します...

神学者というよりは哲学者として、人間心理や人としての生きる道を探り続けた聖トマスの成果は、現代に生きる我々にも時空を超えて働きかけてくれます。

すべてを肯定して生きるという生き方が人として生きる理想の道である、というのが彼の提唱する神学であり哲学です...

トマスの全体系を貫いて通奏低音のように鳴り響いている一つの根源的な旋律がある。それは、存在するもの全体に対する肯定と讃美の旋律であり、一見否定的な事柄をも巻きこみながらその全体を肯定していく人間の状況打開力と自己肯定力の強調である。


 私たちは、悲しいときに、泣くことによって、悲しみが癒やされ和らげられることがある。それに対して、嬉しいときに、笑うことによって、嬉しさが弱まりはしない。それどころか、笑うことによって嬉しさはより増幅する。
 悲しみと喜びという相反する感情に関するこの興味深い事実は、西洋中世の哲学者トマス・アクィナスがその主著『神学大全』のなかで言及しているものである。
 人間心理のこのような描写から浮き彫りになってくるのは、人間精神の柔軟な回復力、更に踏みこんで言えば、人間精神の根源的な肯定性とでも名づけるものである。


あらゆる神学は人間学と表裏一体だ。「神」と呼ばれてきたものを信じる人であれ信じない人であれ、神について論じてきた神学的な言説から、神に関してではなく、人間に関して多くのことを学びうる。


「愛」は、何らかのものの魅力(善)に心を打たれること、つまり「気に入ること(complacentia)」によって生まれてくる。そして、何かを好きになると、それを手に入れようとする「欲望」が生じてくる。魅力的な対象の獲得によって、その「欲望」が満たされると、最後に、「喜び」が生じてくる。これが、トマスが「欲求の運動の第一の経過」と名づけている、三つの肯定的な感情の発生の順序である。だが、この連鎖はそれで終わりではない。


 たとえば、商店街を歩いている人の目に、魅力的なコートが、ショーウィンドー越しに目に入ってくる。そのコートの魅力に心を打たれた―「愛」を抱いた―その人は、それを手に入れたいという「欲望」を抱き、金銭を貯めて、無事にそのコートを獲得すると、「欲望」は一段落して、「喜び」が生まれてくる。とはいえ、肯定的な感情の連鎖は、これで終わりになるわけではない。その人は、「喜び」という魅力的なもの(善)を与えてくれるものとして、ますますそのコートを愛するようになる。その意味で「喜びが愛を引き起こす」のだ。
 そして、「喜び」によって引き起こされた「愛」の向かう先は、その一つのコートに尽きるわけではない。それまではファッションにたいして関心を抱いていなかったその人は、一つのコートが与えてくれた「喜び」を通じて、そうした喜びを与えてくれるファッションの世界自体に対する「愛」を呼び起こされうる。それは、ささやかなことかもしれないが、この世界において生き続けていくことを支えてくれる、この世界との肯定的なつながりを、新たな仕方で与えてくれる出来事なのだ。


この世界が悪に充ち満ちていると嘆くとき、我々は、あるべき善き秩序の存在を暗黙的に認めているのであり、また、自らの生がもはや回復不可能なほどに絶望的で悪しきものになってしまったと嘆息するとき、我々は、これこそ生きるに値する善き生だという生の理想像を暗黙的に肯定していることになる。


哲学を専門にしているか否か、キリスト教に関心があるか否かという狭い枠組みを超えて、この世界を肯定的に受けとめて生き抜く実践的な生の技法を万人に提案している書物として、トマスの主著である『神学大全』を読みなおしてみたい。


生れてきた否定的な感情から眼を逸らすことなく直面し、それを通してその感情を生む原因となった否定的な現実に対しても心を開いて直面すること自体のなかに、否定的な感情を抱えながらもそれに打ち負かし尽くされない肯定的な精神の力が発現してくる。


神学は、神についての洞察を与えるのみではなく、人間のことのみを考えていては見えにくいような仕方で、人間に関する洞察を与えてくれる学問でもある。


2017年の終わりを迎えるにあたって、この先すべての困難に私たちが打ち勝ち、良き世の中になりますよう祈ります...

多くの人に幸あれ!







トマス・アクィナス 肯定の哲学 -
トマス・アクィナス 肯定の哲学 -


以下、Amazonの書評からの引用です...

トマスはいわゆる学問のための学問をしているのではなく、わたしたち人間の根底には「否定」ではなく「肯定」があることを綿密に解き明かそうとしたのだということを学びました。


キリスト教に興味や知識がない人でもわかりやすく読めると思います。いつも多忙で、疲れていて、あらゆることが面倒くさくて、イライラしたり、全てを諦めたり、自分中心で生きている現代人にとって、必要な本です。原点に立ち返る意味で、全ての人に読んで頂きたい本です。


神学の知識は前提されない。トマスが誰かを知らなくてもよい。むしろ、人生が、我々に日々教えてくれることと、感情が告げ知らせてくれることに耳を傾けることが求められている。用語の説明は平易、具体例は身近。理で読むより、海に飛びこむように、感じることを大切にして読む。


神学って現実離れした空虚な言葉遊びでしょ。そもそも前提が無理ゲーっぽいし。っていう。
そんな神学観・トマス観にNOをつきつける一冊が出ました。山本芳久の手によるこの書物は、トマス・アクィナスの『神学大全』を創造的に分析し、現代に生きる人間に生の活力を与える「肯定の哲学」とすることを目指したものです。





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