2017年12月19日

副島隆彦著『老人一年生』を読み、高齢による注意点を知る

経済や政治に関する鋭い切り口で有名な副島隆彦さんですが、60台の半ばになり、”老い”を実感したそうです。

それで著したのがこの本、『老人一年生』です...

老人一年生 老いるとはどういうことか (幻冬舎新書) -
老人一年生 老いるとはどういうことか (幻冬舎新書) -

「痛い!」という副島氏が声を挙げるところから始まるこの著作は、医療の建前と実態,誤った常識の暴露,西洋医学の限界を指摘し、これから高齢を迎える方、それから、いずれは高齢者になる方々への警告とアドバイスに満ち満ちています。

例えば、椎間板ヘルニアや腰痛は、骨の病気ではなく筋肉の病気なのだそうです。

以下、引用です...

どうやら腰痛も頚痛も、手足のしびれも、決して背骨の問題から来る痛みではない。手足のしびれや、お尻から太腿にかけての、いわゆる「坐骨神経痛」とこれまで世間で言われている痛みは、これは決して骨(脊柱と椎間板)からくる神経の病気ではない。骨から起きる痛みではない。どうやら、筋肉の中の血管が圧迫されて痛みが出るのである。だから、腰痛とは、文字通り「腰の筋肉の痛み」であり、だから「筋痛症」と呼ぶべきであって、骨の病気ではない。


どうも、ほとんどの腰や背骨の痛みの病気は、筋肉の痛みのようだ。筋肉が受ける刺激とか、筋肉が固まっている、とかいろいろ言い方があるのだろうけど、そういうものであって、決して骨の異常ではない。


ケネディ大統領は大変きつい腰痛持ちで、手術でも症状がよくならなかったと言われていた。ところがその後、このトラベル医師の診断とトリガー・ポイントブロック注射の治療を受けて、症状が改善して元気になったそうである。


トリガー・ポイントブロック治療では、そのトリガー・ポイントに筋肉注射をぶすりと打ち込む。私に筋膜注射をしてくれた医師によれば、注射の中身(液体の内容)はほとんど生理食塩水に近いもので、薬剤をわずかに入れているだけということだ。


やはり「筋肉を包んでいる膜が硬くなっているので、そこに注射する」をしてくれる医者がいい、と私はあえてここで書いておく。


整形外科医の方たちが手術をするのは間違いなので、ヤメておけ、だそうです。

整形外科医たちは骨の異常しか見えないから、腰や首の痛みを骨の病気だと信じている。レントゲンやMRIやCTスキャンには筋肉は写らない。本当は姿勢の歪みによる筋肉の病気なのだ。


それから、歯のインプラント治療も、眼のレーシック術も、ヤメておけ...

氏はそのように語ります...

実験台にされるようなものだから、と...

”痛み”については...

私は鍼灸師が一番いいと今は思っている。


鍼灸術は、中国4000年の、人体を研究し尽くしたところから生まれた。近代西洋500年の医学では、どうにも治せない病気が増えてきたから、みんなが頼る。


なんだそうな...

言われてみれば確かにその通りかな、という感じがします。

もちろん、氏は西洋医学のすべてを否定しているわけではなく、細菌の研究や対感染症については西洋医学を高く評価すべきだと言っています。

要は、なんでもかんでも西洋医学と高学歴で偉そうにしている日本の医者たちを信用するな、と...

もっと、自分自身のからだに聞いた素直な自己診断と古来からの民間療法を見なおせよ、と...

そういうことを語っておりました。

一理あってタメになる内容でした。そして、氏の語り口調が相変わらず面白い...

おススメの一冊だと思います。







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2017年11月29日

『経済で読み解く織田信長』を読んで...

上念司著『経済で読み解く織田信長』を読みました。

経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する -
経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する -

内容は、タイトルとは少し違ってて、室町時代の寺社勢力の経済力や経済活動、そして中国との貿易(日明貿易)の実態が中心です。

全部で8章あるんですが、1〜6章が信長前の経済状況、7章と8章が信長にあてられています。

つまり、信長以前についてのほうがページがたくさん割り当てられています...

いうなれば、閉そくした日本経済を長々と描くことで、いかに信長がそれをすっきりさせたか、という書き方になっているわけです。

信長までは、朝廷と公家、寺社勢力、幕府、有力大名といった多くの既得権者がいるなかで、特に古くからの寺社勢力が関所や貿易の利権を握ることで日本の経済的な支配を行っていました...

以下、引用です...

寺社勢力こそが支那との貿易の担い手でした。留学僧が仏教の勉強をしていたというのはとても一面的な理解であって、むしろ「貿易のほうが本業だった」と思っていいかもしれません。


奈良における興福寺のパワーはあまりにも強く、鎌倉、室町時代を通じて、幕府は守護を置くことができませんでした。もうここまでくると、宗教団体というよりは地方軍閥に近い存在だったと言えるでしょう。


比叡山の主な収入源は関所と金融と荘園でした。琵琶湖は北陸の物資を畿内に届けるための「シーレーン」だったので、比叡山は「湖上関」という関所をいくつも設けて膨大な通行料を徴収していました。


寺社勢力は実質的には日本の中央銀行であったということです。実は、奈良時代から天台宗(比叡山)など旧仏教勢力が強力なパワーを持っていた理由はまさにこれでした。それが、鎌倉時代になると新興の臨済宗が幕府のバックアップを受けてこの利権に割り込みました。


比叡山には近江地方を中心とした巨大な荘園が存在しました。度重なる焼き討ちと徹底した破壊でその全容はつかめていませんが、最もパワフルだった鎌倉時代末期には6万石の寺領を有したと言われています。下級僧侶が武装し、いわゆる僧兵になったのはまさにこの寺領を自衛するためでした。


鎌倉五山は幕府に便宜を図ってもらうことでマーケットを広げ、その見返りとしてその収益の一部をキックバックします。つまり、臨済宗などの寺社勢力と幕府の実質的な関係は「お代官様と越後屋」だったのです。


義満の時代の政治の安定の真相は、五山の経済的なパワーの強化に他なりませんでした。義満が室町幕府最強の将軍でいられたのは、五山の強大化を黙認し、政治的なバランスを取りながら自分をサポートさせたからなのです。


荘園の数は南禅寺だけで加賀を中心に29か所、東福寺だけで22か所もありました。


五山のひとつ天龍寺は31か所の荘園から年間で「米穀で二千四百二石、銭貨で五千七百二十一貫文」を収納していました。


こういう状況のなか、応仁の乱が起こり、その後の混乱のなかから本願寺などの新興の宗教勢力も生まれ、そして成長していきます...

本願寺は比叡山や五山と違い、荘園を持たずに信徒からの喜捨によって資金を集めていました。そのため、堅田の町が物流で栄えると、信徒が儲かって寺への寄付金も増えます。門前町が経済的に栄えれば栄えるほど、相対的に寄付金も増えていく仕組みです。


本願寺が近江の金森、堅田、北陸の吉崎で展開した寺院と町をセットにした都市計画のことを「寺内町」と言います。


この寺内町こそ、比叡山や五山とは異なる本願寺の新たなビジネスモデルだったのです。


宗教という「コンテンツ」を使って人を集め、集まった人のニーズに合わせた商売がそこで展開される。これはまさに現代のショッピングモールが映画やヒーローショーやライブなどで集客してセールスを伸ばそうとするのと同じです。そして、人がたくさん集まるほど、そこでの商売も大きくなり、本願寺への喜捨の金額も増えていくわけです。


極限状態で町衆が暮らしていくためには自ら武装し、街区を釘貫とよばれる堅牢なゲートとバリケードによって防衛するしかありませんでした。日蓮宗の信徒たちはこのような身近な治安維持活動を通じて日常的に軍事能力を高めていったのです。


京都では情報が錯綜し、一旦は(細川)晴元討ち死にというニュースが流れます。この時点で晴元のめぼしい家臣は摂津守護代薬師寺国長だけとなり、法華一揆が京都の実質的な「大名」になってしまいました。


8月7日、本国寺に集結した3000〜4000人の自衛軍は鬨の声を上げて市内を練り歩く軍事パレード(打廻り)を行いました。法華一揆の登場でした。この日から、1536年7月27日までの約4年間、晴元不在の京都の治安を維持し、一向一揆などの外敵から守っていたのは法華一揆です。


奈良時代・平安時代以来からの比叡山延暦寺や奈良の興福寺...

鎌倉時代以来の幕府と結びついた五山(南禅寺、円覚寺など)...

応仁の乱以後の混乱の中から出てきた本願寺に法華宗...

信長まではこういった勢力が日本経済を支配していた...

こういった古い体質の経済構造をいったん清算し、世俗権力主導の国民経済を誕生させた政治家として織田信長を描いています。

信長の業績は、その後、豊臣秀吉と徳川家康に受け継がれました。

秀吉政権および江戸幕府は寺社勢力を削減し、そしてまた室町時代までの地方分権社会を克服し、貨幣の発行と流通を軸に中央集権化を果たします。

再び、引用です。

中央銀行と不動産ディベロッパーと商工ファンドを兼任して巨大な力を持っていた寺社勢力から経済政策の主導権を奪い返した点は高く評価できるでしょう。信長は安全保障上の理由からノーチョイスでそうせざるを得なかっただけかもしれませんが、結果として、秀吉、家康にこの経済の主導権は引き継がれていきました。


信長のやり方を踏襲した秀吉がこのインフラを拡張し、家康以降は河村瑞賢がこのインフラをベースに更なる改善を行いました。


こうしてみると、織田信長こそが中世を打破し、近世の扉を開いた人物だということがわかります。

その信長の実態は、中小企業の経営者...

合理的で、経営資源を無駄に使わず、成功事例の徹底的な真似が、彼の成功の秘訣でした。

自分の政策に反対する者には容赦がありませんでしたが、多少なりとも譲歩すればそれなりの対応で報いています。それはある意味で余計なリソースを使わないという戦術です。信長は9年かかった尾張統一で苦労した経験から、限られたリソースを有効に配分する「経営術」を学んだのではないでしょうか。


成功しているやり方は徹底的に真似して、オリジナル以上の精度で再現し、逆に失敗しているやり方は絶対に採用しない、これこそが成功への近道です。


信長よりも前に近江石寺で六角氏が、駿河富士大宮で今川氏が楽市楽座を開いています。むしろ、寺内町の繁昌やこれら2つの先行事例の成功を知って信長が積極的にパクったと考えて然るべきだと私は思います。


寺内町などの成功事例を知っていた信長は、交通の要衝に居城を構え、大きな城下町を作ることで商業を盛んにしました。そうすることで戦争に必要な物資の調達も楽になり、おまけに領地が経済的に発展することになります。しかも、本拠地につながる道路などの交通インフラは軍事仕様でしっかりと整備されていました。優れたリーダーは一つの政策で一石二鳥、三鳥の効果を生むように仕組みます。信長の軍事と経済の政策は表裏一体だったのです。


本願寺が考えた寺内町というビジネスモデルは一部では真似されていましたが、信長ほど意図して大々的にパクった人はいなかったのではないでしょうか。


等身大の信長が見えてくる感じもしますね...

その他、信長以前の室町時代までの日本経済の現場も細々と明瞭に記されていますので、その点、勉強にもなりました。

おススメの一冊だと思います。








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2017年11月22日

無料の博物展示を見てきました

昨日、神田駅から徒歩10分弱くらいのところにある天理ギャラリーという博物館に行ってきました。

通常のオフィス・ビルの9階にある、10畳くらいのスペースの小さなミュージアムです。

初めての訪問でしたが、事前に調べたところ、ここは奈良県にある天理大学のミュージアムの分館的な位置づけにあるようです。

今、ここでは、「ササン朝ペルシャ展」が開催されているんです...

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”ササン朝ペルシャ”というのは3世紀から7世紀頃まで中東で栄えた王国で、その文物ははるかシルクロードを伝って、日本にまでやって来ています。

正倉院や天皇陵、さらには最近世界遺産登録で有名になった福岡県の沖ノ島からも発掘されているようです。

今回の展示では、日本や中国などから入手した天理ギャラリーが独自に収集した所蔵品が飾られていました。

なお、入場料は無料になっております。
25日までなので、ご興味がある方はお急ぎください。


さて、古代ペルシャという地域は、人類の文明発祥の地でもあるメソポタミア地域に隣接し、広い意味で、ビジネス(商業)が生まれ育まれた土地でもあります。

そのため、展示の説明用パネルにも、文物の説明ではあるのだけれども、我々にも役に立つ有意義な説明書きが記されていました。

写真撮影はこういう博物館ではどこでも禁止なので、手帳に書き写しました。

以下に引用致します。

T.日常の価値
様々なニーズに合わせたモノを作り、それらを交換し合うことで社会は成立する。そうした日常性は優れて機能的なモノを作り出すとともに、しだいに身近な「日常の価値」すなわち宝物を生みだして行く。ササン朝では銀貨、カットガラスなどがそれに当たる。努力すれば誰もが手にすることのできる「日常の価値」は平等で水平的な価値と言える。


U.特別な価値
水平的な「日常の価値」とは対象的に垂直方向に高度化した価値が「特別な価値」である。これは国家的な価値とも言え、保有することで階級、階層と関連づけられる。誰もが作れるわけではなく、また持てるわけでもない。それに相応しいと考えられる地位にある者のみが作れ、そして手にすることができた。「特別な価値」の模倣品も現れた。ここではそうした模造品もこの分類に入れている。ササン朝では特に銀器がその位置にある。


人間社会で生産され産み出される”モノ”というものは、一般庶民が努力すれば手にできる価値と、王や貴族など特権階級のみが手にできる価値との二種類を表象する...

あらためて価値論の原点に触れた気がしました。
啓発されました...








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