2018年11月29日

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読んで(後編)

昨日からの続きの記事になります...

安倍晋三氏は政治家安倍晋太郎氏の次男として生まれ、父方の祖父も政治家、母方の祖父はあの岸信介氏です。

しかしお坊ちゃまではなく、両親からは甘やかされてないし、お小遣いもあまり持たされていなかったそうです。

「普通の家庭の団欒はなかった。父親は全然家にいなかったから。父親がいたりすると家の中がギクシャクしたほどだった」 安倍は筆者のインタビューにそう振り返ったことがある。総理秘書官の父は連日のように深夜に帰宅し、休日も仕事。母の洋子は夫の選挙のために地元の下関に張り付くことが多く、東京の家には幼い寛信・晋三兄弟がポツンと残された。


ウメが「パパが晋ちゃんを抱っこするのをほとんど見たことがない」と振り返れば、古参秘書も「晋太郎さんが子供たちの授業参観に出たという記憶がない」と話している。


「『余計な金は持たせるな』とするパパ(晋太郎)の方針で子供の頃から小遣いが少なかった。だから晋ちゃんは小さい頃からお釣りの計算も、お小遣い管理もしっかりする子だった」


性格は兄が優等生的で従順なのとは異なり、気の強い子だったようです。また、図太いところもあったようです。

兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わっていないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。


小学校時代の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。


そんな安倍晋三氏は祖父の岸信介氏が好きで、祖父の影響で政治家を目指したのだといいます。

また、どちらかといえば勉強嫌いで、安倍家伝来の東大受験をせず、エスカレーター式で大学を出て、一度アメリカへ留学しますが失敗。神戸製鋼に入社し、父の秘書になるまで普通のサラリーマンを務めます。

ニューヨーク事務所での使い走りに工場勤務と、最初は結構泥臭く仕事をしたようです。

事務所は所長のほか駐在員13人とアメリカ人女性秘書3人の総勢16人。その一員になった安倍は総務グループに配属される。駐在員の出張の同行はむろん、出張など各種費用の計算、日本からの客の送迎運転まで何でも屋、便利屋的に使われた。


安倍が送り込まれたのは、工程課厚板係。厚板は、溶鉱炉から送り出された数千度にもなる鉄塊が板状に延ばされ、ローラーの上を真っ赤に熱した状態のまま運ばれていく間に形成され出来上がる。その課程を管理するのが安倍の仕事だった。安倍がウメに「ローラーに落ちて足をなくした人もいる」と漏らしたように、危険と背中合わせの職場でもあった。


そんな中、次第に大きな仕事を任されるようになり、父から秘書になれと言われた際に反発し、最後は上司の説得で涙ながらに折れたとか。

輸出部配属から2年目の82年、仕事への意欲が加速していく頃、安倍に大きな転機が訪れる。同年11月誕生した中曽根康弘内閣で外相に就任した父・晋太郎が、突然、「会社を辞めて秘書官になれ」と言ってきたのだ。
 安倍は初めて父・晋太郎に正面からぶつかり、激しく反発する。
「こっちも何十億の商売をしているんだ。会社は辞めない!」


課長は「これが最後のつもり」で、ゆっくり安倍に語りかけた。
……(中略)……
 あんたが政治家になると決めているなら、なるべく過去に理由を残さないほうがいい。ここは人生の潮目と思って、今晩、お父ちゃんのところに行って『受けます』と言うてこいや。それで万事終りや。いいな」
 身じろぎもせず聞いていた安倍の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
 涙を拭い一呼吸置いた安倍は、深く頭を下げた。
「そこまでおっしゃっていただけるのなら決断します。ご心配かけてすみませんでした。ありがとうございました」


秘書時代は外務大臣の父に従って外国に何度も出掛け、外交好き、外交通の顔はこの時代のもののようです。

父が病没し地盤を継ぎますが、最初は非自民連立政権が樹立され、野党議員としてのスタートでした。

そんな中、祖父の影響からかタカ派的な言動をすると、若手のホープとして注目され、人脈を増やし、小泉内閣で北朝鮮との拉致問題で名を上げると総裁の後継者となっていきます。

このへんはほぼ皆さんがご存知の通り...

政治家安倍晋三をひとことで言うと(言うのは難しいですが)、祖父・岸信介氏の影響、ヒラのサラリーマン経験、外務大臣だった父の秘書時代の影響、若手のホープとしてのし上がるきっかけとなったタカ派的言動とそれに寄り集まって来たお友達、これらがその性格形成に大きな影響を与えた要素だというところでしょうか。








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2018年11月28日

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読んで(前編)

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読みました。

著者は安倍晋三首相の父である故・安倍晋太郎氏の番記者で、その後安倍晋三氏の番記者をも務めた方です(2000年に退職されています)。

安倍晋三 沈黙の仮面: その血脈と生い立ちの秘密
安倍晋三 沈黙の仮面: その血脈と生い立ちの秘密

この本は安倍晋三氏の生い立ちから始まり、この本が出た時点まで安倍氏の素顔に迫った珠玉の一冊だと思います。

かなり踏み込んだことまで書いてあり、しかも、著者が直接聞いた話と間接的に聞いた情報とをきちんと分けて書かれています。

こんな風に...

筆者は政治部記者時代、安倍の父・晋太郎の番記者を長く務めた。安倍の評伝を書くにあたっては安倍本人をはじめ岸・安倍両家の親族や関係者、安倍の子供時代の友人、恩師、会社員時代の同僚や上司、そして古参秘書や後援者らも含め重層的に取材、山口県油谷町(現・長門市)に残る晋太郎の実家や安倍が幼少期、夏休みに預けられた同市北側の日本海に浮かぶ青海島の知り合い宅まで足を延ばした。


我が子のように安倍兄弟を育てた逸話が「頭の引き出しに枚挙にいとまがないほど、ぎっしり詰まっている」と語ってくれたウメへの聞き取りメモを交えて話を進めたい。


筆者は10人近い学友に取材したが、約半数は「あいつは政治家になる気はなかったのではないか」という印象を述懐している。


晋太郎は筆者に「晋三は政治家に必要な情というものがない。あれでは、まだまだ駄目だなあ」と漏らしたことがあった。


安倍自身も筆者のインタビューで「父から『お前は人として、相手への思いやりが足りない』とよく怒られました」と明かしている。


本社勤務時代、安倍は大きな商談を任されるようになり、仕事が面白くなっていったようだ。元上司はこう話した。「彼は課長の私が『やめておけ』と言う案件を、あきらめないでこっそり商社と進めていた。『このヤロー』と思っていたら翌年に大きなビジネスになるケースが結構あった。リスクを取りながら、取引相手の事情を汲んでうまくやっていく才能があった」


安倍は筆者のインタビューに、こう述懐した。「親父に『(政治家は)大変だぞ』と言われたとき、これは後を継げということだと思った。私が生半可にせよ選挙を頑張れたのは、親父の最期の場面を見て、これは絶対に負けられないと思ったからだ。この親父の無念を……と。非常に私的なものだけれども、しかし、そういう情念が人を衝き動かすのだと思った」


「本当でしたら(北朝鮮から帰国後)小泉さんが会ってくださるのが筋だと思いました。でも安倍さんがすぐに朝来てくださった。あのときは本当に嬉しかった」と言いながら、早紀江さんは続けた。



さまざまな関係者からの聞き取り調査、そして自分自身が直接安倍氏本人から聞いたコメント、それら情報ソースを明確にしつつ、事実を踏まえて書かれています。ちなみに、ウメさんというのは安倍家の乳母ですし、早紀江さんというのは北朝鮮への拉致被害者の家族の方です。

全般的な傾向としては、よいしょ記事もなく、どちらかという辛口の内容が多い感じです。

しかし、安倍晋三氏の素顔は、意外と庶民的だし、サラリーマン時代の逸話も情に厚い人という印象を受けました。

マスコミや野党の批判を矢面に受けているどちらかというと悪いイメージを払拭してくれます。

再発見するエピソードもあれば、強硬さの一面をそのルーツより再確認することも多い...

”安倍理解”をするためには必須の一冊ですね。

明日はもっと詳細に踏み込んで内容を紹介したいと思います。






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2018年11月20日

江上剛著『怪物商人−大倉喜八郎伝―』を読んで

江上剛著『怪物商人−大倉喜八郎伝―』を読みました。

幕末に生まれ、明治維新から日清日露の戦役を経て辛亥革命に至る戦争の時代に商機を見い出し、一代で財閥を作った大倉喜八郎を描いた伝記です。

怪物商人 (PHP文芸文庫)
怪物商人 (PHP文芸文庫)

大倉喜八郎は越後の生まれで、身ひとつで江戸に出て、商売でそれなりに成功します。

が、彼が本領を発揮するのは、幕末からの激動の時代に明治政府の要人や軍部と人脈を築くとともに、戊辰戦争,西南戦争,台湾出兵,日清日露の戦役といった軍需にうまく乗っかり、また、鹿鳴館や帝国劇場建設などを引き受けて、御用商人として次々とプロジェクトを成功させていったからです。

孫文はじめとする中国国民党関係者にも食い込み、大陸でも手広く商売をしました。もっとも、大陸では利は薄かったみたいですが...

大正時代にはついに男爵に任ぜられもします。

昭和初期には、昭和天皇から勲一等旭日大綬章を受けます。これは、実業家としては初でした。

しかし、出世栄達は彼にとっては二の次で、とにかく豪快に事業に取り組みことが趣味だったような人物です。

内容はとにかく痛快です...

命の危険も何度もくぐり抜け、最終的には90歳で大往生をします。

実際にこんな人間がいたのかというほど、ドラマ性に満ちています。

動くカネも巨額で、それを惜しげもなく投じていく姿は、これぞ本物の投資家という感じ...

ちまちまとインデックス投資などをしている投資家に一度は読んで欲しい本だと思いました。









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