2019年01月26日

橘玲著『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』を読んで...

投資家ならよく知っている方で橘玲さんという方がいらっしゃいますが、その方の書いた『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』を読みました。

タイトルの通り、日本のリベラル派を批判した内容になっています。

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある
「リベラル」がうさんくさいのには理由がある

沖縄の旧日本軍の自決指示をめぐる裁判、慰安婦問題の海外での反応、同一労働同一賃金をめぐる問題など、リベラル派の言説と保守派の言説とを比べながら中道的かつ冷静な視点でよく見られているなと思いました。

しかし、政治的な議論以外にも、経済的な側面で有益な情報も閑話休題的に散りばめられていました。

ここでいくつか紹介しておきたいと思います。


金利の下限はどこにあるのでしょうか。スイス銀行はこれをマイナス1・25%とし、そこまで短期金利を誘導しようとしています。


マイナス金利に政策として限界があるのは、現金という代替手段があるからです。


マイナス金利の下限値と、タンス預金という対抗手段が民衆側にあるためこの政策には限度があるということがわかりました。

後者については他の本でも学んで知っていましたが、あらためて認識できました。



EU諸国など高率の消費税を課している国の多くで軽減税率が導入されていますが、政策を評価した経済学者らの結論は、「こんなバカなこと、やらなきゃよかった」です。消費税の欠陥として貧しいひとの実質税率が高くなる逆進性が指摘されますが、単純な軽減税率では高級食材を買う富裕層の利益の方が大きくなります。


新聞への軽減税率が決まったのも、保守系の二紙が安保体制を熱烈に支持したことへの論功行賞なのは明らかです。こちらも憲法改正への布石で、アメを与えることでさらなる協力を確約させる、というのも理に適っています。
安倍政権をきびしく批判していたリベラルな新聞にも軽減税率の恩恵が及びますが、じつはこれも計略のうちで、案の定、ネットなどの批判は「権力」に向かってキャンキャン吠えるふりをしておいて、じつは懸命に尻尾を振っていた新聞社に集中しています。そう考えれば、見事な深謀遠慮というほかありません。


政治家が軽減税率を好むのは、権力を行使する範囲が広がるからです。


軽減税率がヨーロッパで批判的なことは、なんでもかんでも欧米のマネを追いがちな日本人一般にはためになる情報ではないでしょうか。

今後どうなるかはわかりませんが、消費税率10%が迫って来ているなか、我々はあらためてよく考えるべきなのです。



ゼンショーは食の安全に早くから取り組み、すべての食材を徹底的に検査するほか、野菜を仕入れるときはその畑ばかりか、隣の畑や近くに流れている川、その川の源流まで調べるといいます。また北海道には自前の牧場を持ち、子牛から育てて牛肉にするまでの過程を検証し、牛肉のリスクや安全性をすべて把握しようとしてもいます。
ゼンショーの独特にビジネスモデルは、「安全な食事を低価格で提供する」という革命家の発想から生まれたものでした。そのための武器は徹底した効率化で、米国海兵隊の洗脳法を導入し軍隊をもしのぐ超管理体制で社員やクルーの生産性を極限まで高め、外食産業のトップに立つまでに急成長を遂げたのです。


ゼンショーと「すき屋」を見直しました。



日本では、「中国産食材=汚染・危険」と誰もが思っていますが、意外なことに専門家のなかでは「国産より中国産が安全」との声も聞かれます。


厚労省の「輸入食品監視統計」を見ても、中国産は輸入量(検査数量)が多いので違反数量はトップですが、違反割合は0・22%で平均を下回り、アメリカからの輸入食材(0・81%)の約4分の1です(平成24年度)。また厚労省が国産品と輸入品の残留農薬を検査したところ、国産品(0・34%)の方が輸入品(0.21%)より基準値を超える農薬が検出される割合が高かったというデータもあります(2003年)。


賢い消費者は、偏見のお陰で安く売られている「安全な」中国産食材を使って美味しい食事を楽しめばいいのです。


意外なことに、中国産食材が節約生活には有効だとのこと。

これはためになる知識でした。

今後は中国産食材を再評価し、トライしていきたいと思いました。


いやぁ〜...
”本”ってやっぱり勉強になりますね。

また、タイトルだけで判断してもいけないってことも学びました。












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2018年11月29日

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読んで(後編)

昨日からの続きの記事になります...

安倍晋三氏は政治家安倍晋太郎氏の次男として生まれ、父方の祖父も政治家、母方の祖父はあの岸信介氏です。

しかしお坊ちゃまではなく、両親からは甘やかされてないし、お小遣いもあまり持たされていなかったそうです。

「普通の家庭の団欒はなかった。父親は全然家にいなかったから。父親がいたりすると家の中がギクシャクしたほどだった」 安倍は筆者のインタビューにそう振り返ったことがある。総理秘書官の父は連日のように深夜に帰宅し、休日も仕事。母の洋子は夫の選挙のために地元の下関に張り付くことが多く、東京の家には幼い寛信・晋三兄弟がポツンと残された。


ウメが「パパが晋ちゃんを抱っこするのをほとんど見たことがない」と振り返れば、古参秘書も「晋太郎さんが子供たちの授業参観に出たという記憶がない」と話している。


「『余計な金は持たせるな』とするパパ(晋太郎)の方針で子供の頃から小遣いが少なかった。だから晋ちゃんは小さい頃からお釣りの計算も、お小遣い管理もしっかりする子だった」


性格は兄が優等生的で従順なのとは異なり、気の強い子だったようです。また、図太いところもあったようです。

兄弟の行動は対照的だった。兄は宿題が終わっていないと涙顔になった。だが、晋三は違った。
「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。


小学校時代の級友達に聞いて回っても、宿題を忘れたり遅刻をしたりして「またか」と先生に叱られたとき、安倍は「へこむ」ことはなかったという。


そんな安倍晋三氏は祖父の岸信介氏が好きで、祖父の影響で政治家を目指したのだといいます。

また、どちらかといえば勉強嫌いで、安倍家伝来の東大受験をせず、エスカレーター式で大学を出て、一度アメリカへ留学しますが失敗。神戸製鋼に入社し、父の秘書になるまで普通のサラリーマンを務めます。

ニューヨーク事務所での使い走りに工場勤務と、最初は結構泥臭く仕事をしたようです。

事務所は所長のほか駐在員13人とアメリカ人女性秘書3人の総勢16人。その一員になった安倍は総務グループに配属される。駐在員の出張の同行はむろん、出張など各種費用の計算、日本からの客の送迎運転まで何でも屋、便利屋的に使われた。


安倍が送り込まれたのは、工程課厚板係。厚板は、溶鉱炉から送り出された数千度にもなる鉄塊が板状に延ばされ、ローラーの上を真っ赤に熱した状態のまま運ばれていく間に形成され出来上がる。その課程を管理するのが安倍の仕事だった。安倍がウメに「ローラーに落ちて足をなくした人もいる」と漏らしたように、危険と背中合わせの職場でもあった。


そんな中、次第に大きな仕事を任されるようになり、父から秘書になれと言われた際に反発し、最後は上司の説得で涙ながらに折れたとか。

輸出部配属から2年目の82年、仕事への意欲が加速していく頃、安倍に大きな転機が訪れる。同年11月誕生した中曽根康弘内閣で外相に就任した父・晋太郎が、突然、「会社を辞めて秘書官になれ」と言ってきたのだ。
 安倍は初めて父・晋太郎に正面からぶつかり、激しく反発する。
「こっちも何十億の商売をしているんだ。会社は辞めない!」


課長は「これが最後のつもり」で、ゆっくり安倍に語りかけた。
……(中略)……
 あんたが政治家になると決めているなら、なるべく過去に理由を残さないほうがいい。ここは人生の潮目と思って、今晩、お父ちゃんのところに行って『受けます』と言うてこいや。それで万事終りや。いいな」
 身じろぎもせず聞いていた安倍の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
 涙を拭い一呼吸置いた安倍は、深く頭を下げた。
「そこまでおっしゃっていただけるのなら決断します。ご心配かけてすみませんでした。ありがとうございました」


秘書時代は外務大臣の父に従って外国に何度も出掛け、外交好き、外交通の顔はこの時代のもののようです。

父が病没し地盤を継ぎますが、最初は非自民連立政権が樹立され、野党議員としてのスタートでした。

そんな中、祖父の影響からかタカ派的な言動をすると、若手のホープとして注目され、人脈を増やし、小泉内閣で北朝鮮との拉致問題で名を上げると総裁の後継者となっていきます。

このへんはほぼ皆さんがご存知の通り...

政治家安倍晋三をひとことで言うと(言うのは難しいですが)、祖父・岸信介氏の影響、ヒラのサラリーマン経験、外務大臣だった父の秘書時代の影響、若手のホープとしてのし上がるきっかけとなったタカ派的言動とそれに寄り集まって来たお友達、これらがその性格形成に大きな影響を与えた要素だというところでしょうか。








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2018年11月28日

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読んで(前編)

野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面』を読みました。

著者は安倍晋三首相の父である故・安倍晋太郎氏の番記者で、その後安倍晋三氏の番記者をも務めた方です(2000年に退職されています)。

安倍晋三 沈黙の仮面: その血脈と生い立ちの秘密
安倍晋三 沈黙の仮面: その血脈と生い立ちの秘密

この本は安倍晋三氏の生い立ちから始まり、この本が出た時点まで安倍氏の素顔に迫った珠玉の一冊だと思います。

かなり踏み込んだことまで書いてあり、しかも、著者が直接聞いた話と間接的に聞いた情報とをきちんと分けて書かれています。

こんな風に...

筆者は政治部記者時代、安倍の父・晋太郎の番記者を長く務めた。安倍の評伝を書くにあたっては安倍本人をはじめ岸・安倍両家の親族や関係者、安倍の子供時代の友人、恩師、会社員時代の同僚や上司、そして古参秘書や後援者らも含め重層的に取材、山口県油谷町(現・長門市)に残る晋太郎の実家や安倍が幼少期、夏休みに預けられた同市北側の日本海に浮かぶ青海島の知り合い宅まで足を延ばした。


我が子のように安倍兄弟を育てた逸話が「頭の引き出しに枚挙にいとまがないほど、ぎっしり詰まっている」と語ってくれたウメへの聞き取りメモを交えて話を進めたい。


筆者は10人近い学友に取材したが、約半数は「あいつは政治家になる気はなかったのではないか」という印象を述懐している。


晋太郎は筆者に「晋三は政治家に必要な情というものがない。あれでは、まだまだ駄目だなあ」と漏らしたことがあった。


安倍自身も筆者のインタビューで「父から『お前は人として、相手への思いやりが足りない』とよく怒られました」と明かしている。


本社勤務時代、安倍は大きな商談を任されるようになり、仕事が面白くなっていったようだ。元上司はこう話した。「彼は課長の私が『やめておけ』と言う案件を、あきらめないでこっそり商社と進めていた。『このヤロー』と思っていたら翌年に大きなビジネスになるケースが結構あった。リスクを取りながら、取引相手の事情を汲んでうまくやっていく才能があった」


安倍は筆者のインタビューに、こう述懐した。「親父に『(政治家は)大変だぞ』と言われたとき、これは後を継げということだと思った。私が生半可にせよ選挙を頑張れたのは、親父の最期の場面を見て、これは絶対に負けられないと思ったからだ。この親父の無念を……と。非常に私的なものだけれども、しかし、そういう情念が人を衝き動かすのだと思った」


「本当でしたら(北朝鮮から帰国後)小泉さんが会ってくださるのが筋だと思いました。でも安倍さんがすぐに朝来てくださった。あのときは本当に嬉しかった」と言いながら、早紀江さんは続けた。



さまざまな関係者からの聞き取り調査、そして自分自身が直接安倍氏本人から聞いたコメント、それら情報ソースを明確にしつつ、事実を踏まえて書かれています。ちなみに、ウメさんというのは安倍家の乳母ですし、早紀江さんというのは北朝鮮への拉致被害者の家族の方です。

全般的な傾向としては、よいしょ記事もなく、どちらかという辛口の内容が多い感じです。

しかし、安倍晋三氏の素顔は、意外と庶民的だし、サラリーマン時代の逸話も情に厚い人という印象を受けました。

マスコミや野党の批判を矢面に受けているどちらかというと悪いイメージを払拭してくれます。

再発見するエピソードもあれば、強硬さの一面をそのルーツより再確認することも多い...

”安倍理解”をするためには必須の一冊ですね。

明日はもっと詳細に踏み込んで内容を紹介したいと思います。






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