2019年11月21日

柄谷行人著『世界史の構造』を読んで(後編)

昨日の記事からの続きとなります...

”知の巨人”・柄谷行人氏の『世界史の構造』が語る世界史というよりも人類史の分析・考察について紹介していきたいと思います。

彼はまず、「交換様式」というものに着目します。

なぜなら、それは、人と人とをつなぐものであり、人間関係の基礎であると同時に、ひいては社会関係をも定めていくことに通じるからです。

このように...

人類学者マルセル・モースは、未開社会において、食物、財産、女性、土地、奉仕、労働、儀礼等、さまざまなものが贈与され、返礼される互酬的システムに、社会構成体を形成する原理を見出した。


国家の本質は暴力の独占にある、とマックス・ウェーバーは述べている。しかし、それが意味するのは、たんに国家が暴力wにもとづくということではない。国家は、国家以外の暴力を禁じることで、服従する者たちを暴力から保護する。つまり、国家が成立するのは、被支配者にとって、服従することによって安全や安寧を与えられるような一種の交換を意味するときである。


国家の法を強いる力も、一種の交換に根ざしている。そのことを最初に見出したのがホッブズである。彼は国家の根底に、「恐怖に強要された契約」を見た。それによって「一方は生命を得、他方は金と労働を得るという契約」である。


基礎的な「交換様式」の類型は4つあり、以下の通りとなります。

交換様式A 互酬      ネーション
交換様式B 略取と再分配  国家
交換様式C 商品交換    資本
交換様式D ???


交換様式Dは、交換様式Aへの回帰ではなく、それを否定しつつ、高次元において回復するものである。それは先ず、交換様式BとCが支配的となった古代帝国の段階で、普遍宗教として開示された。交換様式Dを端的に示すのは、キリスト教であれ仏教であれ、普遍宗教の創始期に存在した、共産主義的集団である。それ以後も、社会主義的な運動は宗教的な形態をとってきた。……(中略)……交換様式Dおよびそれに由来する社会構成体を、たとえば、社会主義、共産主義、アナーキズム、評議会コミュニズム、アソシエーショニズム……といった名で呼んでもよい。



そして、この「交換様式」のうちどれが支配的かであるかによって社会のあり方が変わってくると氏は言います。

まさにこれは刮目です...

社会構成体の歴史において重要なのは、それを抜本的に変えてしまうような、支配的交換様式の移行である。


歴史的に、どんな社会構成体も、複数の交換様式の結合として存在する。


部族社会では互酬的交換様式Aがドミナントである。しかし、それはBやCが存在しないことを意味するのではない。たとえば、戦争や交易はつねに存在する。が、BやCのような要素は互酬原理によって抑制されるため、Bがドミナントであるような社会、つまり、国家社会には転化しないのである。一方、Bがドミナントな社会においても、Aは別なかたちをとって存続した。たとえば農民共同体として。また、交換様式Cも発展した、たとえば都市として。だが、資本制以前の社会構成体では、こうした要素は国家によって上から管理・統合されている。


部族連合体の延長に、首長制国家(chiefdom)を置くことができよう。それは国家のすぐ手前にある。しかし、ここでもあくまで国家に抗する互酬の原理が働く。国家が出現するのは、互酬的でない交換様式が支配的になるときである。


国家(王権)は部族社会の首長制の延長として生まれたのではない。それは元来、略取―再分配という交換様式Bにもとづくのである。


国家がたんに共同体の発展として成立することはありえない。互酬原理にもとづく共同体では、いかに内部に矛盾が生じても、贈与と再分配によって解消されるからだ。


封建制を専制貢納国家から区別するのは、何よりも、支配階級の間に共同体の互酬原理が存続したことである。封建制は、主君と家臣の双務(互酬)的な契約によって成り立っている。


資本主義的な社会構成体は、商品交換様式が主要であるような社会構成体であり、それに合わせて、他の交換様式も変容される。


商品交換様式Cでは、まさに債務が生じるがゆえに、債務感情は生じないのである。それはむしろ、互酬的な関係に由来する債務感情からの解放、すなわち、人間関係をビジネスライクに扱うことを可能にするのだ。


マルクスはかつて唯物史観を唱え、これに同調する多数の賛同者が生まれ世界的な一大ブームを起こしましたが、柄谷行人氏の「唯交換様式史観」はマルクスを克服し、かつ超己するものです。

だからスゴいんです!

紙幅の関係ですべてをここで紹介することは無理ですが、私にとって世界史の見方が根本的に変わりました。

歴史に興味を持つ人はもちろん、経済や社会に対する知識・教養を求める方にとっても必読の一書、だと思います。

おススメの一冊です。







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2019年11月20日

柄谷行人著『世界史の構造』を読んで(前編)

柄谷行人著『世界史の構造』を読みました。

約500ページに渡る大作で、内容も読みごたえがあり、歴史を学んできた者にとっての上級レベルの一品だといえます。

最初は単行本で出たみたいですが、今では文庫化されていてとてもとっつきやすいですし、携帯に便利で外出先でもちょくちょく読み進められて良かったです。

世界史の構造 (岩波現代文庫)
世界史の構造 (岩波現代文庫)

内容としては、あのマルクスの唯物史観を超越した新しいものの見方を提示しています。

この人すごいっ!!、って思いました。

以下、ポイントとなるところを引用してみますね。

マルクスは青年期に、ヘーゲル法哲学の批判から知的活動を開始した。その際、彼は、資本=ネーション=ステートを至上の地位におくヘーゲルの体系に対して、国家やネーションは観念的な上部構造であり、市民社会(資本主義経済)こそが基礎的な下部構造であると考えた。


プルードンも初期マルクスも、近代国家を市民社会の自己疎外としてとらえた。すなわち、そこでは、公共的なものが国家として疎外され、市民社会は私的なブルジョワ世界となる。


マルクスの考えでは、国家によってアソシエーションを育てるのではなく、アソシエーションの発展によって国家を解消することこそが課題であった。


マルクスは、経済的な階級対立が揚棄されるならば上部構造である国家は自然に消滅するだろう、という観点をとりつづけた。そして、そのことがのちに、社会主義にとって致命的な結果をもたらすことになったのである。


マルクスが絶対的に受け入れなかったのは、ラッサ―ルの「国家社会主義」である。……(中略)……ラッサ―ルがヘーゲルにならって国家を理性的なものとみなしているのに、マルクスは国家を消滅すべきものとして見ていた。


われわれは、カントはヘーゲルによって乗り越えられ、ヘーゲルはマルクスによって乗り越えられたというような通念を斥けなければならない。


「万国の労働者よ、団結せよ」というスローガンに代表されるように、世界的な労働者の蜂起と権力奪取によって国家はなくなるだろうと予想したマルクスの考えには致命的な欠陥があった...

それは、ネーション(国民感情)というものの存在を軽視していたことです。

ネーションは、近代において、国家(ステート)および資本と結びつき、”近代国家”というものを形成し、この仕組みが非常に強固であると同時に、それが無い場所では求められるという結果をもたらしたのです。

注目すべきことは、一八世紀後半のヨーロッパに、アンダーソンがいうような「想像された共同体」が形成されただけではなく、まさに「想像力」そのものが特殊な意義をおびて出現したということである。ネーションが成立するのと、哲学史において想像力が感性と悟性を媒介するような地位におかれるのとは同じ時期である。


ネーションとは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復にほかならない。ネーションは、いわば、資本=国家に欠けていた「感情」をそこに吹きこんだのである。


私は最初に、いわゆるネーション=ステートは、資本=ネーション=国家として見るべきであると述べた。それは、資本主義経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれているということである。


ネーションにおいては、支配の装置である国家とは異なる、互酬的な共同体が想像されている。その意味で、ネーションは、平等主義的な要求があり、国家や資本への批判とプロテストをはらんでいる。だが、同時に、ネーションは、資本=国家がもたらす矛盾を想像的に解決することによって、それが破綻することを防いでいる。


国民感情(実際にはそんなものはなく、一種の共同幻想)は人と人とをつなぎ、同朋意識と助け合いを生み、弱者や虐げられた者に対して手を差し伸べる機運を醸成し、社会主義的な政策を政府にとらせてプロレタリアート革命を防ぎ、国家(ステート)の強化に寄与したのです。

国家は資本主義を支持しつつ、富裕層から集めた税金を貧者に再分配するという「分配の正義」を実施し、社会はうまく回ることになります。

こうして醸成され強められた愛国心は、第一次世界大戦の勃発によって「第一インターナショナル」という世界初の国際左翼勢力に瓦解をもたらします。

さらに20世紀後半にさしかかると、この流れは福祉の充実に結びつき、社会主義国家や共産主義革命を目指す左翼勢力は現実性を失い、解体するか穏健な社会民主主義へと変質してゆきます。

一九九〇年以後、先進国の左翼は、旧来のような革命を完全に放棄した。市場経済を認め、それがもたらす諸矛盾を、民主的手続きによる公共的合意、さらに、再分配によって解決していこうという考えに達した。つまり、福祉国家主義あるいは社会民主主義に落ち着いたのだ。


う〜ん、世界史の一連の流れをよく見て分析しているな、この人。と思いました。

すべてがジグゾーパズルがピタっと合わさるように国家や左翼勢力の興亡の理屈が理解されますから。

他にも目を見開らかせられる見方が多々ありました。

それを引き続き紹介したいと思いますが、長くなりましたので明日へと続きます...






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2019年11月15日

無保険車に当てられた場合でも補償を受けられる

『ザ・ナニワ金融道』(第8巻)を読みました。

今回の主人公は母親を介護しながら働くクリーニング店を経営する零細事業者です...

ザ・ナニワ金融道 8 (ヤングジャンプコミックス)
ザ・ナニワ金融道 8 (ヤングジャンプコミックス)

あるとき、無保険車(自賠責保険切れ)に当てられ、骨折し、仕事ができなくなったうえに、自賠責保険から補償を受けられない状況に陥ります。

そこから物語が展開してゆくのですが、メインストーリーはネタバレになってしまうのでここでは明かさないこととして、ひとつだけタメになる知識が語られていましたのでここで紹介しておきたいと思います。

国土交通省が行なっている政府救済事業のひとつとして、”ひき逃げ・無保険事故の被害者の救済”というものがあるそうです。

公式サイト上の説明記事はコチラ...
↓↓↓
「損害補償を受けるときは?」


こういう仕組みがあるということを初めて知りました。

これで万が一、無保険車にはねられた場合でも最悪何とかなりそうですね(もっとも怪我はしないほうがいいのはもちろんですが)。

いい勉強になりました!







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