2017年07月23日

武井壮さんの税金に関するつぶやき...

いまや芸能人としての成功者といってもよい武井壮さんが税金についてつぶやいていますね...



39歳まで公共インフラにさんざんお世話になってきたのだから、収入に余裕ができた今はちゃんと払うよって...

いやぁ、同感しますし、偉いな、とも思います。

私は、酷税には反対ですが、適切な額の税金はやはり必要だと思いますね〜...

だから、武井さんの見解に共感します...

確かに、税金の無駄遣いや、政治家や官僚の政策の悪さもときにはあったりしますが、それはまた別の議論にすべきではないでしょうか...

社会のために最低限負担しなければならない”責任”ってあると思うんですよ。

そして、その責任を果たすためには、金(カネ)か労力の提供(=ボランティア活動等)かのどちらかになるわけです。

で、どちらが楽かというと、楽なのは前者のはずです...

そう考えると、カネさえ出して、それで社会的責任を果たしたことになるシステムというのは、捨てたもんじゃない...

また、その適正額を自発的に出すのは、良き一般市民としての意識の醸成にもなるはずです。

武井さんのツイートの内容が、それを表わしているように思います。

問題なのは、私たちが出したお金が、途中で変てこなことになるってこと。

日本が、オランダのような、市民が権利意識と適切な政治的権利を行使するような市民社会になるのはいつのことなのか...

先は長いですなぁ...







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2017年07月20日

『人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか』を読んで...

『人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか』という本を読みました。

人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡(祥伝社新書284) -
人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡(祥伝社新書284) -

ここにいう”街”とは、スペインのサン・セバスチャンという小都市のことです。

以下、引用です...

人口わずか一八万人の小さな街サン・セバスチャン(バスク語での町名・ドノスティア)。渋谷区の人口より少ない大西洋に面したスペイン・バスク自治州にあるこの街を目指して、いま世界中の美食家が集まってきます。というのも、この小さな街に、ミシュランの三ツ星レストランが三店、二つ星レストランが二店、一つ星レストランが四店もあるからです。


サン・セバスチャンの人たちは、他の地域のスペイン人たちと大きく異なります。スペイン人の前にバスク人である彼らの特徴かもしれませんが、日本人に負けないくらい、生真面目な人が多くいます。


サン・セバスチャンの年間降雨量は一四〇〇ミリを超えます。これは東京とほぼ同じです。


サン・セバスチャンの一流のレストランに行く際の服装は、日常的な服装が好まれます。


「世界のベストレストラン50」のトップ10のうちの二軒(ムガリッツ、アルサック)が、小さな街サン・セバスチャンにあるのです。


”スペイン”というと、ラテン系,陽気,シエスタ(昼寝),乾燥気候,闘牛,激しやすい国民性といったイメージが連想で思い浮かびますが、北東部に、民族の違うバスク地方という地域があって、
国民性も、気候も、雰囲気も、スペインの他の地域とずいぶん違うようです。

そして、この町が美食の町として、いま有名になっているんだそうです。

いやぁ、一度行ってみたいなぁ...

スペイン北部には、かの有名な、”サンチャゴ・デ・コンポステーラ”もあるもんな...


この本には、この他にもいろいろとタメになる情報が掲載されておりました。

産業や投資に関係のある情報としては、例えばこんなものが...

アメリカがハリウッド映画を世界に輸出したように、スペインはいま国家として「食」を世界に輸出する計画を持っているのです。


最近は「グリーン・スペイン(Espana Verde)」と名付けた観光キャンペーンを展開しています。イベリア半島最西端に位置するガリシア州から東に向かって、アストゥリアス州、カンタブリア州、バスク州の四つの州がこの名前で呼ばれ、あたらしい地域スローガンとして観光キャンペーンに使用されています。


二十一世紀における最大の産業は「観光産業」です。自動車産業でも航空宇宙産業でもありません。雇用の面でも売り上げの点でも、観光産業に匹敵する産業は見当たりません。UNWTO(世界観光機関)によると、一九九三年の時点で、すでにその規模は自動車産業を抜いています。


自動車関連株を買うよりも、観光産業関連の株を買ったほうが、将来、上がるのかもしませんね!

”目からウロコ!”でした...


また、欧州へ旅行にいく人にとって有用な情報としては...

最近、旅慣れた人の間では、欧州便はフィンランドのヘルシンキ空港乗り換えが好評で、それはヘルシンキ経由で行くと最短時間で行ける欧州主要都市が多いことと、ヘルシンキは乗り換え時間が短くとても便利で、フィンエアー(フィンランド航空)が圧倒的に定時運航するからだと思います。


パリのシャルル・ド・ゴール国際空港は、ヘルシンキ、ロンドン、パリの三つの空港の中ではもっともおすすめできません。乗り換えがとても大変なのです。


ロンドンには五つの空港(ヒースロー、ガトウィック、シティ、スタンステッド、ルートン)があり、ローコストキャリア(LCC)に乗り継いで行く場合、空港間の移動がかなりあって、これが予想以上に大変です。


いろんな情報を収集することって、大事ですよね。
人生をうまく生きるためにも、また、楽しむためにも...

今回、いろいろと勉強になりましたし、タメにもなりました...







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2017年06月11日

『蔣介石の密使 辻政信』を読んで...

最近、第二次世界大戦の際の裏事情を分析、解説した本にハマっています。

5月30日の記事で紹介した『日米開戦 陸軍の勝算』と『負けるはずがなかった!大東亜戦争』しかり...

本日紹介する『蔣介石の密使 辻政信』しかり...

3月22日の記事で書いた『自民党の正体』なんかも、日本政治の裏事情と国際関係とのからみが見えてくる優れ本です...

さて、今日取り上げるのは、大日本帝国陸軍参謀の辻政信氏...

いや、そうなんだけど、それだけじゃぁない...

もっとスケールの大きな話です...

しかし、辻政信氏を主に語っているのがこの本の内容ですので、まずはそれを紹介します。

辻氏は、かの有名なノモンハン事件に関わり、マレー作戦〜シンガポール陥落,ガダルカナル島の戦い等に参戦し、戦後はなぜか戦犯指定をうまく逃れ、国会議員にもなった傑物です。

実は、彼は、2005年に公開されたCIA文書によると、終戦直後から蔣介石のスパイになっていたそうです。

戦犯指定をうまく逃れたのも、そのせいだとか...

さらに驚くべきことに、読売グループを大発展させた正力松太郎氏がアメリカのスパイだったことも、CIAの公開文書は示しているそうです。

以下、引用です。

正力は「podam(ポダム)」というコード名をCIAから与えられた正真正銘のエージェントであり、親アメリカ政策(たとえば、原子力政策の推進)を、自ら率いる読売グループを使って現実化しようとしたのである。


こういう話を聞くと、表の情報だけでは世の中というものを理解できないことが改めて思い知らされます。

しかし、こういう情報はマスコミは大々的には報道しないですね...

やっぱり...ってことでしょうか。

話を元に戻すと、蔣介石は辻以外にも旧帝国陸軍軍人複数とつながっていた他、大陸を追われた後、台湾軍再建にも彼らを利用したのだとか...

その背景には、第二次世界大戦後半における国民党軍の苦戦と、アメリカが彼を見放したことにあるようです。

再び、引用です...

大陸打通作戦で中国軍が総崩れに陥っている昭和十九年九月十九日、ルーズベルトは蔣介石に対し、厳しい調子で蔣介石と中国軍の体たらくを非難する長文の電報を送った。


電報の中でルーズベルトは、中国での軍事的指揮権の全権を、スティルウェルに譲るように指示した。


彼(蔣介石)はまず、アメリカがもはや自分を見限ろうとしていることを、はっきりと意識した。彼はこれまでの政治的人生のパターンに従って、自分が戦うべき敵と、自分に引き入れるべき味方を入れ替える時期に来ていることに気づいたのだ。ここで蔣介石の恐るべき単独行動が始まる。執務室で泣き終わった瞬間から、蔣介石の内部では、中国は連合国のメンバーから自主的にはずれたといってよい。


日本軍の大陸打通作戦は見事に連合軍の団結を分裂させ、立案者の服部たちが思いもつかない形で、日本を逆に巻き込む遠大な蔣介石の策謀を呼び込むことになったのである。


ルーズベルトは、ほとんど最大ともいえる恥辱を蔣介石に与えることになる。翌昭和二十年(一九四五)二月のヤルタでの連合国首脳会談に、中国首脳(蔣介石)を招致しなかったばかりか、蔣介石に何の相談もなしに、ソ連の対日参戦と、中国北部でのソ連の優越的地位を保証することを、このヤルタ会談で決定してしまった。


蔣介石はすでに自らの策謀を開始していた。アメリカはもはや頼りにならないのは明らかである。そして中国は連合国グループから実質的に離脱しつつあって、もはや遠慮する必要などない。では、どこの国を新たに頼りにすべきか。こうして蔣介石が思いついた新しい依存対象は、敗戦寸前に追いやられていた敵国の日本なのであった。


実際は辻は蔣介石の諜報ネットワークの作成という目的のために中国国民党に雇われたのだった。そしてその後の日本への辻の帰国も、国民党の諜報作戦指令によるものであった。


CIA機密文書の公開によって、吉田茂の政治顧問で戦後自衛隊建設計画のプランナーであった辰巳栄一も、この蔣介石の政策によって生かされ、情報部員として日本に送り込まれた人物であることが判明している。


戦後日本政治の中枢の情報は、蔣介石にダダ漏れになるようにネットワーク化されていたのだった。


岡村寧次や服部卓四郎なども、中国で終戦を迎え、不思議な赦され方をして帰国したが、彼らもまた、すなわち蔣介石のスパイ網を形成した面々であった。


蔣介石という人物は大変な奸雄であって、ナチスドイツやスターリンともつながり援助をもらい、英米とも接触して援助をもらい、敵だった旧帝国陸軍軍人とも手を結ぶという、マキャベリズムの権化みたいな存在だったようです。

私は、ヤルタ会談になぜ蔣介石が呼ばれなかったのかということが中学・高校の歴史の教科書以来ずっと不思議に思っていましたが、その点も納得できました。

今の国際政治情勢も裏では我々の予想もつかないことがあるんだろうな...

そして、日本の政治情勢もまた、国際政治と裏では予想外のリンクをしているんでしょう...






蒋介石の密使 辻政信(祥伝社新書) (祥伝社新書 344) -
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