2018年11月20日

江上剛著『怪物商人−大倉喜八郎伝―』を読んで

江上剛著『怪物商人−大倉喜八郎伝―』を読みました。

幕末に生まれ、明治維新から日清日露の戦役を経て辛亥革命に至る戦争の時代に商機を見い出し、一代で財閥を作った大倉喜八郎を描いた伝記です。

怪物商人 (PHP文芸文庫)
怪物商人 (PHP文芸文庫)

大倉喜八郎は越後の生まれで、身ひとつで江戸に出て、商売でそれなりに成功します。

が、彼が本領を発揮するのは、幕末からの激動の時代に明治政府の要人や軍部と人脈を築くとともに、戊辰戦争,西南戦争,台湾出兵,日清日露の戦役といった軍需にうまく乗っかり、また、鹿鳴館や帝国劇場建設などを引き受けて、御用商人として次々とプロジェクトを成功させていったからです。

孫文はじめとする中国国民党関係者にも食い込み、大陸でも手広く商売をしました。もっとも、大陸では利は薄かったみたいですが...

大正時代にはついに男爵に任ぜられもします。

昭和初期には、昭和天皇から勲一等旭日大綬章を受けます。これは、実業家としては初でした。

しかし、出世栄達は彼にとっては二の次で、とにかく豪快に事業に取り組みことが趣味だったような人物です。

内容はとにかく痛快です...

命の危険も何度もくぐり抜け、最終的には90歳で大往生をします。

実際にこんな人間がいたのかというほど、ドラマ性に満ちています。

動くカネも巨額で、それを惜しげもなく投じていく姿は、これぞ本物の投資家という感じ...

ちまちまとインデックス投資などをしている投資家に一度は読んで欲しい本だと思いました。









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2018年11月13日

更科功著『絶滅の人類史』を読んでの感想(後編)

昨日の記事からの続きとなります。

『絶滅の人類史』の最後のほうの章で語られている驚愕の事実とは、最新の科学的成果によって浮かびあがって来た次の事実です。

ネアンデルタール人は分布を広げ、西はスペイン南端のジブラルタルから、東はシベリアのアルタイ山脈にまで達したようだ。


ネアンデルタール人の肌の色は、白かったと考えられている。
……(中略)……
低緯度地域では1日に数分ぐらい日光浴をすれば十分らしいが、高緯度地域だと1日に何時間も日光浴をしないと足りないようだ。そこで高緯度地域に住んでいると肌のメラニン色素が減って色が白くなり、たくさん紫外線を吸収できるようになるのである。


スペインのエル・シドロン洞窟から見つかったネアンデルタール人の骨からは、DNAが抽出されている。そして、メラニン色素の産出に関わる遺伝子(MC1R)の塩基配列が決定され、ネアンデルタール人に特有の突然変異が見つかった。その結果、ネアンデルタール人では、この遺伝子の活性が低下していることが明らかになった。これは、ネアンデルタール人がメラニン色素をほとんど作らず、肌が白かったことを示している。


ヨーロッパからシベリアにかけて分布していたネアンデルタール人は、”白人”だったようなんです。

この事実は、現在の人類のうちの白人の故郷がこのあたりであるという事実とも一致しています。

そして...

技術が進んで、化石中の核DNAを解析できるようになると、驚くべき結果が報告された。
 クロアチアは、アドリア海を挟んでイタリアの東にある国である。そのクロアチアのビンデジャ洞窟から、ネアンデルタール人の骨が発掘された。その骨から核DNAが抽出され、塩基配列が決定された。そして2010年には、ゲノムの約60パーセントが決定された。その結果から、ついにネアンデルタール人とホモ・サピエンスが交雑していたことが明らかになったのである。


ネアンデルタール人は、現在のホモ・サピエンスのうち、アフリカ人とはDNAの変異を共有していなかった。一方、現在の中国人やフランス人とは、DNAの変異を共有していた。これはホモ・サピエンスが、アフリカを出てからネアンデルタール人と交雑したことを意味している。交雑が起きた場所はおそらく中東で、アフリカ人以外のホモ・サピエンスのDNAの約2パーセントは、ネアンデルタール人に由来していた。


体色や体毛に関する遺伝子は、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスに高い頻度で受け継がれている。おそらくこれは、寒い環境に適応させる遺伝子だ。ネアンデルタール人が数万年かけて進化させたのだろう。


驚くべきことに、我々人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人は混血していたということです。

白人と黄色人種には、ネアンデルタール人の遺伝子が数%、今も存在しているんだそう。

一方で、黒人にはネアンデルタール人の遺伝子が混じっていません。

そうすると、現在社会を悩ましている人種差別の問題にも新たな光が当てられることになります。

白人・黄色人種と黒人とは遺伝子的に微妙に違うわけですから、それはある意味、”種”としての本能的なものと言えるのかもしれません。

他に特筆すべき事実を挙げると...

ネアンデルタール人の脳は約1550ccで、1万年ぐらい前までのホモ・サピエンスの脳は約1450ccだ。ちなみに現在のホモ・サピエンスは約1350ccである。


中東のレバントが寒冷化したとき、姿を消したのはネアンデルタール人ではなく、ホモ・サピエンスだった。


ネアンデルタール人のほうがホモ・サピエンス(我々)よりも脳が大きく、頭が良かったかもしれないこと。

ホモ・サピエンスがアフリカを出てユーラシア大陸に最初に足を踏み入れる場所は中東なわけですが、この中東が、その出会いの際に一時的に寒冷化してネアンデルタール人が優勢になったらしいこと。

この2つの事実と、現代文明が中東に始まったこととは、関係があるのかもしれません。

今後の科学的成果によってもっと新たな事実が判明することに期待したいと思いました。









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2018年11月12日

更科功著『絶滅の人類史』を読んでの感想(前編)

更科功著『絶滅の人類史』を読みました...

絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)
絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)

著者は、人類が霊長類と共通の祖先から分かれて進化してきた歴史につき、最新の科学的成果を紹介しつつ語っておられます。

いわば、人類最初の文明が中東で開始される以前の人類の歴史、という感じでしょうか。

まずは、この本の「はじめに」から引用してみましょう。

きっと人類だって、ずっと森林に住んでいたかったのだ。でも、アフリカで乾燥化が進み、森林が減ってしまった。そのとき、力が弱くて木登りが下手だった人類の祖先は、類人猿に負けて森林から追い出されたのだろう。そして、追い出された私たちの祖先のほとんどは、おそらく死んでしまったに違いない。なにしろ疎林や草原は、不便で危険な場所なのだから。
 でもその中で、生き残った者がいた。なんでも食べられてどこでも生きていける者が、かろうじて生き残った。私たちの祖先は弱かったけれど、いや弱かったがために、類人猿にはない特徴を進化させて、生き残った。その末裔が、私たちホモ・サピエンスだ。


食物が豊富で、危険な野獣がやって来られない樹上生活ができる熱帯の密林から、イジメられ追い出されたのが我々の祖先であった...

強い者が生き残るという俗説が誤りだということが改めて認識させられます(進化論を説いたダーウィンも、「変化に対応できる者が生き残る」と言っています)。

その他にも、進化上のセオリーがいくつも語られ、なかには新たに気づかされることも多かったです。

個体数が少ない場合は、自然選択よりも遺伝的浮動という偶然の効果が強くなる。自然選択は、有利な個体を増やして進化を進めることもあるけれど、不利な個体を除いて生物を現状のまま維持させる。つまり進化を止めることの方がずっと多い。したがって、自然選択というブレーキが弱くなれば、進化速度は速くなるのだ。


四足歩行と直立二足歩行の中間の歩き方は、猫背でヨタヨタとした歩き方だっただろう。四足歩行よりも直立二足歩行よりも歩くのが下手だったに違いない。こんな生物がいたら、すぐに肉食獣に食べられて絶滅してしまう。中間型は生きていけないのだ。四足歩行と直立二足歩行は適応的だが、その中間型は不利で適応的ではない。それでも現実には直立二足歩行が進化したのだから、人類は運よく中間型の時期を素早く通り抜けたのだろう。


つい私たちは、進化において「優れたものが勝ち残る」と思ってしまう。でも、実際はそうではなくて、進化では「子供を多く残した方が生き残る」のである。


化石から大きな進化傾向を読み取ることはできる。それは、脳が大きくなってから石器を使い始めたのではなく、石器を使い始めてから脳が大きくなった、ということだ。


ホモ・エレクトゥスの時代に奇跡が起きた。
……(中略)……
ホモ・エレクトゥスが走ったとすれば、私たちの体に毛がほとんどないことも説明できるかもしれない。暑い日中にアフリカの草原を走ると体温が上がる。上がった体温を下げるために汗をかいて、その汗を蒸発させることによって体温を下げる。しかし体毛があると、その下に汗を出しても蒸発しないので、体温を下げられない。そのため、人類の体からは、毛がなくなった可能性があるのだ。


ハッと目を見開かされることが多く、最後までとても楽しみながら読み進められました。

でも、一番驚いたのは、この本の最後のほうに待っておりました。

その驚愕の事実とは?...

続きは明日に。









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