2018年11月12日

更科功著『絶滅の人類史』を読んでの感想(前編)

更科功著『絶滅の人類史』を読みました...

絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)
絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)

著者は、人類が霊長類と共通の祖先から分かれて進化してきた歴史につき、最新の科学的成果を紹介しつつ語っておられます。

いわば、人類最初の文明が中東で開始される以前の人類の歴史、という感じでしょうか。

まずは、この本の「はじめに」から引用してみましょう。

きっと人類だって、ずっと森林に住んでいたかったのだ。でも、アフリカで乾燥化が進み、森林が減ってしまった。そのとき、力が弱くて木登りが下手だった人類の祖先は、類人猿に負けて森林から追い出されたのだろう。そして、追い出された私たちの祖先のほとんどは、おそらく死んでしまったに違いない。なにしろ疎林や草原は、不便で危険な場所なのだから。
 でもその中で、生き残った者がいた。なんでも食べられてどこでも生きていける者が、かろうじて生き残った。私たちの祖先は弱かったけれど、いや弱かったがために、類人猿にはない特徴を進化させて、生き残った。その末裔が、私たちホモ・サピエンスだ。


食物が豊富で、危険な野獣がやって来られない樹上生活ができる熱帯の密林から、イジメられ追い出されたのが我々の祖先であった...

強い者が生き残るという俗説が誤りだということが改めて認識させられます(進化論を説いたダーウィンも、「変化に対応できる者が生き残る」と言っています)。

その他にも、進化上のセオリーがいくつも語られ、なかには新たに気づかされることも多かったです。

個体数が少ない場合は、自然選択よりも遺伝的浮動という偶然の効果が強くなる。自然選択は、有利な個体を増やして進化を進めることもあるけれど、不利な個体を除いて生物を現状のまま維持させる。つまり進化を止めることの方がずっと多い。したがって、自然選択というブレーキが弱くなれば、進化速度は速くなるのだ。


四足歩行と直立二足歩行の中間の歩き方は、猫背でヨタヨタとした歩き方だっただろう。四足歩行よりも直立二足歩行よりも歩くのが下手だったに違いない。こんな生物がいたら、すぐに肉食獣に食べられて絶滅してしまう。中間型は生きていけないのだ。四足歩行と直立二足歩行は適応的だが、その中間型は不利で適応的ではない。それでも現実には直立二足歩行が進化したのだから、人類は運よく中間型の時期を素早く通り抜けたのだろう。


つい私たちは、進化において「優れたものが勝ち残る」と思ってしまう。でも、実際はそうではなくて、進化では「子供を多く残した方が生き残る」のである。


化石から大きな進化傾向を読み取ることはできる。それは、脳が大きくなってから石器を使い始めたのではなく、石器を使い始めてから脳が大きくなった、ということだ。


ホモ・エレクトゥスの時代に奇跡が起きた。
……(中略)……
ホモ・エレクトゥスが走ったとすれば、私たちの体に毛がほとんどないことも説明できるかもしれない。暑い日中にアフリカの草原を走ると体温が上がる。上がった体温を下げるために汗をかいて、その汗を蒸発させることによって体温を下げる。しかし体毛があると、その下に汗を出しても蒸発しないので、体温を下げられない。そのため、人類の体からは、毛がなくなった可能性があるのだ。


ハッと目を見開かされることが多く、最後までとても楽しみながら読み進められました。

でも、一番驚いたのは、この本の最後のほうに待っておりました。

その驚愕の事実とは?...

続きは明日に。









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2018年09月04日

ヤマザキ・マリ著『国境のない生き方』を読んで...

ヤマザキ・マリ著『国境のない生き方』を読みました。

国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)
国境のない生き方: 私をつくった本と旅 (小学館新書)

著者は、映画化もされた漫画『テルマエ・ロマエ』の作者さんです。

母子家庭で生まれ、音楽家の母に自由奔放に育てられ、そのせいか型にハマった生き方に嫌気がさして十七歳で絵の勉強をしにイタリアへ留学し、その後シングルマザー、外国人と結婚、シリアやポルトガルにも住み、漫画家としても活躍するという波乱万丈の人生を歩んだ彼女の自叙伝になっております。

一人息子がいるそうですが、彼に向かって言ったこのひとことが秀逸でした。

「何よりも地球に愛される人間になりなさい。地球が、お前には生きていてほしいと思うような人間、そういう生き物にならなきゃいけない。そうすれば、きっと自然がお前を守ってくれるよ」


こんなセリフを言える母親が、今の日本には、いや世界に、何人いることでしょう(笑)。

このくだり以外にも、めったに聞けないような面白いエピソードや、三島由紀夫論など、ユニークな彼女の語りが最終ページまでぐいぐいと読者を引っ張っていってくれます。

テルマエ・ロマエやこの本以外にも彼女の著作をもっと読みたいと思いました。









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2018年08月27日

『日本は誰と戦ったのか』を読んで(後編)

昨日の記事からの続きとなります...

今日は、旧ソ連の工作員の具体的な活動について記したいと思います(あくまでの本に書いてある内容です)。

本書では、アメリカの反共保守派による「日米戦争」に関する最新研究を、著名な作家であるM・スタントン・エヴァンズとハーバート・ロマースタイン著『Stalin’s Secret Agents: The Subversion of Roosevelt’s Government(スターリンの秘密工作員:ルーズヴェルト政権の破壊活動)』(Threshold Editions,2012,未邦訳)を軸に紹介することにしました。この『スターリンの秘密工作員』は、日米戦争を始めたのは日本であったとしても、その背後で、日米を戦争へと追い込んだのが実はソ連・コミンテルンの工作員・協力者たちであったことを暴いています。


「ヴェノナ文書」の公開とその研究によって、次のような「側近たち」がソ連の工作員であることがほぼ確定しているのです。
 カバーネーム 本名 主な役職
 Jurist・Ales アルジャー・ヒス 財務長官補佐官
 Lawyer   ハリー・デクスター・ホワイト 財務次官補
 Page    ラフリン・カリー 大統領上級行政職補佐官
ハリー・ホプキンスと、オーウェン・ラティモアも「ヴェノナ文書」では確認できていないだけで、アメリカの保守派からは、ソ連の「協力者」であると見なされています。


エヴァンズらは、スターリンが日米を開戦に追い込むために、複数の情報機関を使って日本、アメリカ、中国(蔣介石政権)の三方面で同時並行的に三つの大掛かりな工作を行ったと指摘しています。
 一、【対日工作】ゾルゲ機関による政治工作。赤軍情報部の工作員リヒャルト・ゾルゲが指揮する組織が、軍略上の日本の国策を「対ソ警戒の北進論」ではなく、「英米と対立する南進論」に誘導した。
 二、【対米工作】情報機関NKVD(内務人民委員部の略称。KGBの前身)による「雪」作戦。NKVDの幹部ヴィクター・パブロフの指示により、アメリカの財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトが日米の和解を徹底的に妨害した。
 三、【対中・対米工作】ソ連の工作員ラフリン・カリーにより蔣介石の顧問として送り込まれたオーウェン・ラティモアが日米交渉を妨害した。


一九四一年の日米開戦までの間に、ソ連は、日本の軍略上の政策を、「対ソ警戒の北進論」ではなく、「英米との対立を引き起こす南進論」へと誘導するよう政治工作を仕掛けました。実際にその政治工作を担当した首謀者はリヒャルト・ゾルゲというドイツ人の共産党員であり、赤軍情報部の工作員でした。


対米工作を指令したのはソ連のNKVD(内務人民委員部の略称で、KGBの前身)のアメリカ部門トップのヴィタリー・パブロフです。そしてパブロフの指令を受けて積極工作を実行したのは、アメリカ財務省の次官補、ハリー・デクスタ―・ホワイトでした。アメリカが日本に突きつけて日米開戦の直接の引き金になったとされる「ハル・ノート」の原案をホワイトが書いたことは、今ではかなり知られているのですが、実際にはその原案は、ソ連の諜報機関NKVDがホワイトに指示して作成されたものだったのです。


まさに目から鱗(うろこ)です...

我々が学生時代に習った対日最後通牒「ハル・ノート」は、実は、旧ソ連の工作員が原案を作ったものだったんですね。

なぜそうなったのかというと、第二次世界大戦におけるアメリカ大統領ルーズヴェルトは、晩年、病状が悪化し、廃人寸前になっていたようで、側近(実は旧ソ連の工作員)によってロボットとして動かされてたんだとか。

以下、引用です...

ルーズヴェルトが死んだ一九四五年四月十二日までの数ヶ月間、ルーズヴェルト政権は事実上、大統領の役割を「誰か」に委ねる摂政制だったというのが実態なのです。


一九四五年二月のヤルタ会談では明らかに病人で、職務遂行能力を失っていました。英国外務次官アレクサンダー・カドガンは、ルーズヴェルト大統領について「会議を主宰するよう呼ばれても掌握も先導もできず、ずっと、黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」と述べ、また、アメリカ国務省のジェームズ・バーンズは「大統領は会議の準備をほとんどしていなかった」と述べています。


ルーズヴェルト政権には、ホワイトハウスも含めて数百人のソ連工作員が浸透していたのです。


世界の命運を決したヤルタ会談に参加したアメリカ政府代表団のトップ、ルーズヴェルト大統領は病気で職務遂行能力がなく、国際連合創設のためスターリンの同意を得ることに関心が集中していました。最側近のハリ―・ホプキンスは工作員だった疑いがある親ソ派です。国務長官は何も知識がないお神輿でした。そのお神輿を担いで、実質的に取り仕切ったのは、アルジャー・ヒスであったのです。


ルーズヴェルト大統領の死後、ソ連に警戒心を抱くトルーマン民主党政権下で、政権内部に入り込んだ「ソ連の工作員たち」は次々とあぶり出され、アメリカ外交を壟断していたことが明らかになりました。戦後、東欧とアジアが共産化したことに危機感を抱いた連邦議会も公聴会を開催し、政権内部で暗躍していた「ソ連の工作員たち」の活動を徹底的に追及しました。その結果、「ヤルタ密約」は全否定されることになったのです。


いやぁ〜...悔しいですねぇ...

旧ソ連にまんまとやられてしまったわけですね、日米とも。

それにしても、大統領選挙によって人員が大幅に入れ替わるアメリカのホワイトハウスって、結構、危ないですね。







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