2018年08月21日

井上達夫著『普遍の再生』を読んで...

井上達夫氏の著作『普遍の再生』を読みました...

普遍の再生 (岩波人文書セレクション)
普遍の再生 (岩波人文書セレクション)

著者の立場は第一章で明らかになります。以下に引用します。

私は、民主主義の美質の賞揚より、その限界の自覚を重視する古臭いリベラリズムに惚れた人間の一人である。


民主主義といえばアメリカ合衆国において顕著な思想的立場であり、個人主義と思想・表現の自由に基づく、「何事にも絶対はない」,「正解となる見解はない」などと言った相対主義の考え方などに表わされます。

日本は第二次世界大戦に負け、アメリカの占領政策を受けて民主主義が導入されました。

また、冷戦でソ連とその影響を受けた東欧圏が解体し、その後、アメリカ流の民主主義が世界で勝ち組として扱われ、いまや民主主義が絶対正義みたいになっています...

しかし、そうじゃないんだと...

個人権というものを基礎とする古典的なリベラル・デモクラシーに立ち戻るべきなんだと、著者は主張するのです。

そのポイントは、国家権力の弊害よりも、個人と国家のあいだにある共同体が生み出す集団同化圧力の弊害に着目するところにあります。

中世的システムにおいて、さまざまな中間集団がその成員たる諸個人に対して保護膜として機能したことは事柄の一面にすぎない。かかる集団は同時にそれぞれ社会権力として、内部の諸個人に対する抑圧者でもあった。……(中略)……、国家こそ封建的・身分的桎梏から個人を解放する人権の擁護者であるという観念の主たる歴史的淵源は、言うまでもなくフランス革命である。


個人権は国家権力の専横に対してだけでなく共同体的凝集力が孕む社会的専制の危険に対しても個人を保護する。リベラルな個人権概念はしばしば誤解・曲解されるように私利追求を無制約化するものではなく、むしろ全体や集団の名において個人に要求しうる正当な犠牲の限界点を設定する。


共同体的責任相互の葛藤状況において、われわれが単一の次元の共同性領域に自己を与え過ぎてしまうならば、他の領域の共同体的責任をなおざりにしてしまう。このような単一次元に自閉した共同性はわれわれの社会的成熟を促進するどころか、むしろ阻害する。


個人権はアトム的に孤立した個人の反社会的放縦を確保するためではなく、むしろ個人がここに見たような一元的・閉鎖的共同性の陥穽から脱却し、多面的・開放的な共同性を発展させるために必要なのである。


共同体論・多文化主義・フェミニズムなど、リベラリズムを批判する諸潮流が、後者がコミットしてきた普遍主義を標的にしているだけでなく、批判を受けたリベラリズムの陣営の中でも、ジョン・ロールズの政治的リベラリズムへの転向に象徴されるように、哲学的普遍主義からの退却の傾向が顕著になってきている。


非公式の社会権力によるさまざまな差別や抑圧から個人の人権を実効的に保護する上で、中間的諸権力を統御しうる主権性を備えた国家が不可欠の役割を果たすという視点は、かかる社会的差別や社会的専制が依然跋扈する現代社会においても重要な意義をもつ。換言すれば、「主権国家の危険をいかに防止するか」という関心から人権の必要性を説くだけでは十分ではない。「なぜ主権国家形成という危険な企てをあえてする必要があるのか」が問題であり、この主権国家の倫理的存在理由を与える理念こそまさに人権なのである。


社会契約というモデル自体はさまざまな難点を孕んでいるとしても、主権国家という恐るべき巨獣(リヴァイアサン)が人権を自己の創造主とすることによってのみ存在を許されるというその基本前提は、依然重要性を失わない。


また、著者は、人権と国家主権の関係についても新たな気づきを与えてくれました。

国際関係における主権国家の対等かつ独立した地位は、人権享有主体たる諸個人の平等と自律性の概念的投影である。主権はいわば大写しされた人権である。


主権を法の支配や人権と対置するのは最も有害な誤解である。政治道徳の基礎理念としての主権は、国際社会に人権原理を含む法の支配を覇権的恣意に対して貫徹する規範的な企ての一部なのである。


我々は、憲法が国家権力をしばり人権を保護するものと教えられますが、それはちょっと違うとのこと。

人権と国家権力(国家主権)は、欧米の歴史上、並行して育ってきたものだということなのです。

言われてみればそうかも...

いろいろと勉強になりました。









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2018年07月23日

NHK大河ドラマ(『西郷どん』)を見始めました...

今年のNHK大河ドラマの『西郷どん』は視聴率が低いようです。

10%台の前半を低迷しているようで、”二大人気時代”である戦国と幕末のなかからテーマ設定しているわりには振るわないようですね。

一世を風靡した感のある『篤姫』(2008年)や『龍馬伝』(2010年)とは雲泥の違いです。

理由としては、使いふるされた登場人物や、結末の見えるストーリーなのでしょうか?

主人公の西郷隆盛は、龍馬のように”駆け抜ける青春のイメージ”もなければ、維新が成るまでは悲劇の主人公というわけでもありません。

また、古い体制(江戸幕藩体制)が覆るのも、新しい時代が来るのも、最初からわかっています。

視聴者にとって、種明かし済みの手品のようなものなのかなぁ...

で、実は、わたしも見ていませんでした...

しかし、7月19日の記事に書いたように西郷隆盛に関する書籍を読んだこともあってちょっと興味が湧いたので、おととい土曜日の再放送から見てみました。

すると、これがなかなかに面白い...

調べてみると、脚本が、人気ドラマ『ドクターX』などを手がけた中園ミホさんでした。

このドラマは私が大好きなドラマでしたし、同じ脚本家の作品ということで続けて見ていくことにしました。

登場人物も、小栗旬演じる坂本龍馬なんかはなかなかに味があります。

冷静に考えてみると、脚本家だけでなく、俳優陣もそれなりにすごいんだよなぁ...

最初(1月)がちょっと泥臭いイメージがしたから見るのをやめたんですけど、政局が複雑にからむあたりから見始めていれば楽しめていたのかもなぁ...

ちょっともったいないことをしたのかもしれません...

あともうひとつの見始めた理由としては、何といってもNHKの受信料を払っている身ですから、見ないとソンだなとも思いまして...

豪華キャストの出演料やセット,そして昔の時代の衣装には多額のお金がかかっているはずで、それらは受信料から出ているはずです。

そう考えると、食わず嫌いで見ないのは、一種の機会損失といえるかも。








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2018年07月19日

『大西郷という虚像』を読んで...

原田伊織著『大西郷という虚像』を読みました。

大西郷という虚像
大西郷という虚像

著者は幕末についての著作が多くある作家さんです。

NHKでちょうど大河ドラマをやっていることもあり、流行りのテーマでありジャンルでもありますね。

西郷という男は、通常、世間に流布しているイメージとは違い、非常にアクの強い、粗暴な男だと著者は主張していて、その傍証を挙げながら、真の人物像に迫っていってます。

以下、引用です。

郡方書役助とは、年貢徴収業務を監督するような役割であるが、この頃の西郷の評判はすこぶる悪い。
……(中略)……
数々の証言が残されているが、それらを列記してみると、
度量が偏狭(度量が狭い)
簡単には人に屈しない(頑迷)
一旦人を憎むとずっと憎み続ける
好き嫌いが激しい
執念深い
好戦的で策略好き
といったもので、要するに人間性に問題があるという見方をされていたようである。


そんな西郷は、藩主斉彬公のお庭番になったことがきっかけで、影の権力を手にし、のし上がっていきます。

御庭方という役職は、制度上の身分は非常に低い。しかし、通常の手続きを踏むことなく藩主斉彬から直々に指示を受け、直接報告することになる。


京都政局を舞台として次第にその名を知られるようになり、他藩の藩主たちも斉彬へのルートを得ようとすれば、先ず西郷と接触しようとするようになる。こうして西郷は、急速に人脈を拡げていったのである。つまり、御庭方として斉彬の「パシリ」を務めたこの時期、この経験がなければ、後の西郷隆盛は存在しなかったのだ。


特に学問的素養もなく、極論すればアクの強さだけで内々の機密を扱う役割を与えられた者が、その存在を広く認知されるとどういうことになるか。当然、思い上がりともいうべき心理が生まれる。もともと粗暴である点を以て全く人望がなかった西郷が、その例外であるはずがない。


その後、主君斉彬は亡くなり、西郷はいったん島流しになりますが、幕末の政局の混迷の中、彼が必要とされ、呼び戻されることになるわけです。

旧藩主である斉彬時代につちかった他藩との人脈が求められたのでした。

が、新藩主の父である島津久光と対立してしまいます。

島から復帰させたのはやはり薩摩・誠忠組と小松帯刀であった。薩英戦争において、アームストロング砲を有する英国艦隊相手に奮戦した薩摩の主力は、誠忠組であった。西郷の弟・西郷従道や従兄弟の大山弥助(巌)たちが必死の防衛戦を繰り広げ、藩内で発言力を増していったのである。


久光と西郷の人間関係に是非論をもち込むとすれば、非は西郷にある。
……(中略)……
西郷は、久光の計画を「浮浪輩の書生論」「畳の上の水練」などと称して、君側にいて何故止めないのかと散々に叱ったのだが、これは実は側近にいっているようで、その実久光に向かっていっているのである。それが解らぬ久光でない。


西郷の活動は、基本的に小松帯刀の指示に従いながら展開されており、第一次長州征伐で参謀を務めたことも西郷単独の力で成立したことではなかったはずである。小松にしてみれば、久光という西郷を忌み嫌う主を抱きながら藩を引っ張っていくには自らがその前線に立つわけにはいかないのだ。西郷をコントロールし、久光をなだめすかして藩をまとめていかなければならない。つまり、小松こそが幕末薩摩の実質的な大黒柱であったといえる。


我が国の歴史上最大の危機ともいうべき動乱の最中に、西郷は遅れて登場してきた。そして、その人望の無さ、策謀好き、独断専行といった本性の故に常に藩内で孤立し、島津久光と憎しみ合いながら、薩摩藩という重い荷物を引っ張っていくことになるのである。


西郷は、長州再征の勅許に反撥したようである。何故なら、長州を再征するということは、第一次征長を収拾した自らの策が否定されたことになるからだ。


独断性の強い西郷という男は、自分の為したことが否定されると激しく反撥する。これはもう本性の問題であって、如何ともし難いことであろう。ここから西郷は、急速に反幕府、討幕に傾いていく。「薩長盟約」という長州との連携を明確にした薩長合意を成立させたのも、この直後のことであった。


万事最後は力、即ち、武力とするのは、それこそ西郷の本性である。



長くなるのでこのへんで割愛しますが、人望篤い人徳者という虚像は、どうも見直す必要がありそうです...









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