2018年12月09日

『戦国日本と大航海時代』を読みました

平川新著『戦国日本と大航海時代』を読みました。

戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書 2481)
戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書 2481)

戦国時代から江戸時代初期における海外交流につき、新しい視点から掘り下げた内容になっていました。

テーマは2つ...

1.豊臣秀吉の朝鮮出兵の影響の再評価
2.伊達政宗の遣欧使節の位置づけ
です。


1は、豊臣秀吉の朝鮮出兵があったからこそ、スペインを始めとする西欧諸国は日本を植民地化しようとするのをためらったこと。

つまり、秀吉の軍事行動は一種の抑止力になっていたということの検証です。

重要なことは、軍事力の国家的な集中がおこなわれたことである。二度の朝鮮出兵における総計三〇万人の動員態勢は、まさにこの集中的編成を実現したものであった。かくして秀吉や家康政権期に、日本は世界屈指の軍事大国としての姿を、くっきりと世界史のなかに現した。秀吉と家康が”Emperador”や”Emperor”と呼ばれ、日本が”Imperio”や”Empire”と称されるようになった歴史的前提である。


秀吉による朝鮮出兵は、失敗したとはいえ、スペイン勢力に対して日本の軍事力の強大さを否応なく知らせることになった。


イギリスもオランダも海洋大国である。これら両国が唯々諾々と幕府の指示に従ったのは、幕府が強大な軍事力を有していたからであった。東南アジアや南北アメリカ、それにアフリカなど、ヨーロッパ列強に征服された地域には国家的な軍事組織がないか、あったとしても弱かった。そのためにヨーロッパ列強の植民地にされたり、交易の主導権を握られてしまった。そこが日本との大きな違いになった。


朝鮮出兵や明の征服計画を誇示し、さらにマニラ服属要求などを突きつけてくるのだから、スペイン側はメキシコやペルーなどのように簡単に日本を征服できないことを次第に認識していくことになる。つまり秀吉の国際的な軍事行動や強硬外交は、スペインの日本征服計画を強烈に牽制し、抑止する効果を発揮したのであった。


幕末の一八五三年にペリーが将軍宛に持参したアメリカ大統領親書には、”His Majesty, The Emperor of Japan”(日本皇帝陛下)とあった。翌年の日米和親条約の前文にも、”THE United States of America and the Emperor of Japan”(アメリカ合衆国と日本帝国)とある。これをみると、江戸時代の日本は欧米から一貫して、「皇帝」が統べる「帝国」とみなされていたということができる。


「帝国」の遺産と幕府による必死の外交があったからこそ、一九世紀の植民地化の時代にも、日本は欧米の植民地にならずにすんだという解釈が可能だろう。


秀吉の誇大妄想だとか、晩年は狂気に陥っていたゆえの失政とも言われる朝鮮出兵ですが、思わぬポジティブな効果をもたらしていたようです。


2は、従来、伊達政宗は外国と組んで討幕の野望を持っていたとか言われていたのをそうではないとし、政宗は幕府と折り合いをつけたうえでスペインとの交易を開始しようとしており、その交換条件として伊達藩領内にのみキリスト教布教を認める布教特区を設けようという外交的意図だったという真相を解いています。

結局、教科書にも載っている有名な政宗の遣欧使節派遣事業は、豊臣家がまだ大坂に健在な中、貿易のうま味で釣っての伊達家懐柔と、スペイン取り込みの一石二鳥を図った家康のアイデアだったとのことです。

少しでも航海距離が長くなれば海難リスクを高めるために、それを嫌った外国商人たちは仙台湾まで船を差し向けることがなかった。しかも、人口も少なく市場性の低い奥州にあえて貿易船を向かわせる必要はなかった。それは江戸も同じことである。家康は、江戸湾の入り口にある相州三浦郡浦賀を国際貿易港にしようとしていた。


家康は、フィリピン総督に何度も関東への来航を求めていた。だが、難所の多い日本列島沿いの航路は海難の危険が高く、船長たちは行きたがらなかった。加えて、開府間もない江戸の人口は一五万人程度であったから、なかなか江戸湾に商船が来航しなかったのは当然だった。


政宗は、マニラ・メキシコ航路が仙台沖を走ることに着目し、食糧や薪水を供給する寄港地として、あるいはメキシコとの直接貿易地として、みずからの立地を活かそうとしていた。


外洋船まで造っていたことからすると、家康の構想はスペインが開発した太平洋横断航路を巧みに利用し、新たな太平洋貿易システムを日本の側から積極的に構築しようとするものだったということができる。


豊臣家と対抗するために家康は政宗と手を組んだ。それが政宗の言い分を認めた遣欧使節の派遣へとつながった。


幕府が、外洋大型船サン・ファン・バウティスタ号の建造を認め、幕府の外交方針とは異なる遣欧使節の派遣を了解した背景に、政宗の要望を容認せざるをえない両者の力関係があったと考えてよい。家康は政宗に配慮せざるをえない地政学的関係にあったのである。


政宗だけが貿易のうま味を味わうのでは家康も面白くない。であれば、貿易船を江戸湾に回航させればよい。これによって家康もまたメキシコ貿易を実現することが可能になるからである。


支倉使節の派遣にあたって、政宗と家康は伊達領を布教特区とすることで貿易船の誘致ができるかもしれないと考えていた。幕府の禁教姿勢と政宗の容教姿勢とが折り合いをつけて、スペインとの交渉に臨む奇策だったといってよい。


幕府の禁教令が出されているなかで、仙台領は支倉の帰国まで禁教令が布達されていなかった。幕府容認で支倉使節を送り出した以上、幕府も支倉の交渉結果を待っていたとみてよいだろう。


結果的に失敗には終わったものの、遣欧使節は政宗単独外交ではなく家康と政宗との合策であり、豊臣家滅亡ともあいまって、このあとは江戸幕府による貿易一元化と天下掌握へと時代は進んでいくことになります。

なお、サブ・エピソードとして、松平忠輝改易処分の真相と政宗の娘で忠輝の嫁でもある五郎八姫の離縁の真相をも解いてくれていました。

私は無類の歴史好きなのですが、思わぬ新しい視点を提示してくれて非常に面白かったです。









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2018年12月06日

横浜馬車道のトンカツの名店

昨日、横浜に行く用事があって、ランチを馬車道の名店で摂りました。

トンカツの『勝烈庵』さんです。

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戦前からの老舗のようで、店構えに風格を感じます。

12時過ぎに入店すると、多少混んではいましたが、お値段がお高めだからか超混雑はしておらず、待たずに座れました。

最安の”勝烈定食(¥1,600円)”を注文します。

5分ほどで出てきました。

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お味噌汁の具はしじみです。

ご飯とキャベツはおかわり自由となっておりました。

キャベツを1回、おかわり致しました。

カツのほうですが、やや固めの仕上がり...

そして、どうやって揚げているのかわかりませんが、油っぽくなく、あとで胸にもたれず、口に入れて噛んで呑み込むと胃に優しい感じがしました。

お値段相応の一品、という感じかな。

食べログで2018年度の「百名店」のマークが付いていましたが、その通り、一度は行っておいてソンはないと思います。









勝烈庵 馬車道総本店とんかつ / 関内駅馬車道駅桜木町駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5









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2018年12月05日

乃木坂46の新人たちの雄姿を武道館で見届けたぞ!

おとといのことなんですが、武道館に行ってきました。

今をときめくトップアイドルグループ乃木坂46の4期生のお披露目会が開催されたんです。

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”お見立て会”という名前で開かれたこの日のイベントでは、自己紹介,バラエティコーナー(クイズ),ミニライブ,握手会(抽選で当たった人のみ)が行なわれました。

こんな盛りだくさんの内容で、料金はたった¥1,000円でした!
(チケット発行のための手数料除く)

しかも場所は武道館でして、こんなお得なイベントは初めてでしたね。

それにしても、新人のお披露目を武道館でマスコミを招いて行うなんて、乃木坂46というグループはまさに国民的アイドルグループにのしあがったな、と感じました。

もう、完全にAKBを抜き去ったように思います。

加入者も個性豊かな才能あふれる子ばかりで、さすがに日本全国約13万人のなかから選ばれただけありました。

そして、通常のライブではないレアーなイベントがとても安い料金で見れたということに、すごい得した気分になりました。

いい一夜になりました。








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