2017年09月06日

安くて安全安心の『葉°す多家』でランチ

昨日のランチは、御徒町駅前の『葉°す多家』さんでスパゲティをリーズナブルにとりました。

pastaya1.jpg

ホームページはこちら...
↓↓↓
http://www.hoso-foods.co.jp/pastaya/

ホームページ上の情報を見ればわかる通り、素材が国産で安全安心のものを使ってるようです。

それでいて安い...

量がたっぷりあるスパゲティが¥650〜となっております。

私が行ったのは11時半すぎで、今回が初めての訪問でした。

看板メニューの「とり塩炒めパスタ(税込で¥650円)」を注文しました。

お店は、調理とサービス全般を若い男性1人と女性1人の計2人で切り盛りしているようでした...

注文後して2〜3分でやって来ました。

pastaya3.jpg

テーブルの上には、粉チーズのビンが置いてあって取り放題。

その他、タバスコもありました。もちろん、かけ放題です。

お味は、普通とオイシイのあいだくらい...

値段を考えれば、この量と味だと、もちろん満足です。

おススメです...







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2017年09月05日

倉都康行著『金融v.s国家』の感想(後編)

昨日の記事からの続きとなります...

2日目の今日は、”マネー”,”資本”,そして、日本の金融の未来についてまとめたいと思います。


まずは、”マネー”...

ジョン・ローは「貨幣の価値とは財と交換されることではなく、財の交換を媒介することにおいて現れる」とその本質を喝破した。これが現代に至る「信用にもとづくお金」の原点でもある。日銀券は日本銀行の信用にもとづいている、というのは教科書流の説明であり、現実にはそのお金で「スーパーで買い物ができる」「ガス料金が払える」と皆が信じているから流通しているのである。


国家財政のひっ迫とともに、日本円は大暴落するのではないかとか、米ドルも大暴落するのではないかとか、ネットや各種書籍ではそういう情報がときにあるかもしれませんが、そうじゃない...

結局は、人と人との合意によって、お金はお金であるのだと...

そういうことなんですね...

そもそも遠隔地貿易の際に利用されたのは為替手形であった。


通貨は、それを利用することで利便性が得られるという期待感によって選好される。そしてその結果が期待どおりであれば、さらにその利用意欲が高まる。


基軸通貨というのは、まず経済的な利便性の問題であった。


将来的にどの通貨で決済しようがそれほど問題ではなくなるだろう。新興国が資本不足でドルを求めるという時代でもない。彼らは逆に、ドルをもてあましているのが現状だ。


結局、通貨(決済用マネー)というものは、”信用”と”利便性”が基盤となっているということですね。

上に引用したように、中世ヨーロッパでは貨幣の量がそもそも少なく、為替手形を通貨代わりに使用し、その差額を市場で決済したというのが実態でした。

そこで求められている役割は利便性です...

もし日本やアメリカが国家財政の大赤字から破たんしても、円や米ドルの数字を記した為替手形が通貨の代わりに流通するように思います。

つまり、通貨を発行する国家の財政状態は直接は関係ないんです...

交換・取引の単位や尺度としての通貨というのが”マネー”の最も重要な機能なんです...


次に、”資本”について...

大半の人は、資金と資本の区別がつかないのではないのかもしれない。たとえば財布に入っている1000札は、資金である。


経済的な意味での資本になるのは、株式や社債、貸金などの形で資本主義のシステムに投じられた瞬間である。喩えていえば、ガソリンスタンドに貯蔵されているガソリンが、その時点ではエネルギーとはいえないのと似ている。


金融の初期段階において、資金が資本に転換される形態は金貸しであり、それがクロスボーダー取引となって国際資本市場が生まれる。


資本主義の「資本」とは何かというと、工場,オフィス,機械,通信機器といった固定資産および運転資本(在庫、短期決済用預金残高など)のことです。

つまり、事業を遂行するために投入されている、”お金が形を変えたもの”。

これが、”資本”...

大学の経済学や会計学などでは習いますが、大半の人はわかっていない...

投資家が持っている預貯金は、今の日本のゼロ金利ならびにそれを受け入れた金融機関が日本国債を買っているという状況のもとでは、単なる資金ですね。

事業に投入されていないから...

ここでは、”資本”という言葉の意味を改めて再認識させてくれます。


最後に、著者は、日本の金融の未来を描いています...

英米型金融は、格付けという一種の偶像崇拝を利用し、リスク資産価格の算定モデルを拡大解釈しながら、自己利益を公益に優先させるという間違いを犯して大打撃を被った。


日本の金融は資本収益率が相対的に低いという見方はたしかに否定できない。だがそれは経済史という重い歴史を背負った事実からの演繹であり、経営努力だけで数年間で改善できるものではないことを、金融史的な視点から捉える必要もある。


いかに市場機能を使って資本調達と資本運用を結びつけるか、いかに眠った資金を資本化するか、いかに効率的な資本運用を行うか、それだけのことである。むしろ資本主義に倫理観や社会観が問われ始めたなかで、そうした原点に立ち返る、適切な金融制度と金融市場、そして金融経営が求められている。


金融の卑しい面だけをことさら強調して批判するのは、経済成長の重要な源泉を捨てるに等しい。その風潮を変革するには、民間の力だけでは足りない。国家による適切な金融プロジェクトの計画と実行、そして管理が必要である。


ものづくりと同様にマネー・ビジネスもまた重要な仕事になっている現実を直視しないままでは、日本は永遠に米国と中国との間を漂流する「ものづくりGDPマシーン」の域を脱することはできないのではないだろうか。


金融を国家プロジェクトとして捉え直すことが必要である。


民間と歩調をあわせてアジア金融のインフラを設計するような「国際金融の胴元」へと踏み出すことが必要である。それが軍事力を放棄した日本外交のひとつの在り方だろう。


金融は、市場機能が最も輝く場であるとともに、重要な国家プロジェクトでもある。軍事力の代替手段として、あるいは国際経済の安定的成長手段として、日本の貴重な武器になる潜在性をも秘めている。


昨日の記事に書いた、英米の金融市場を作り上げてきた歴史を踏まえながら、日本独自の金融インフラ構築の青写真を国家と民間が力を合わせて築き上げよ...

これが筆者の結論でした...








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2017年09月04日

倉都康行著『金融v.s国家』の感想(前編)

『金融v.s国家』という本を読みました。

金融vs.国家 (ちくま新書) -
金融vs.国家 (ちくま新書) -

著者は倉都康行さんという方で、この方の別の著作はこのブログで過去にも紹介しております(2015年12月5日の記事)。

この方は学者さんではなく元・実務家だった人で、現在は独立して講師などをしておられるようです。

参考)
PRテック株式会社
http://www.rptech.co.jp/

金融について、実務経験をふまえた幅広い知識と経験に加え、歴史の知識・観点から斬り込む独特の視点が非常に参考になります。

今回の著作では、2回に分けて参考になる箇所を紹介したいと思います。

まず、今日は、”市場機能”についてです。

旧ソ連と東欧諸国が崩壊し、中国が「社会主義市場経済」を標ぼうした20世紀末以来、現在は、”自由主義市場経済”の時代であると言われます。

では、”市場(market)”とは何でしょうか?

私たちは、この言葉を、ただ単に”取引を行う場所”という意味だけで普通名詞的に使ってはいないでしょうか?

しかし、歴史的に見れば、”市場”とは、欧米社会が作り上げてきた世界市場とそのルールのことを指す固有名詞なのです。

特に、”金融市場”とは、大英帝国とそれを継承したアメリカ合衆国が世界貿易の決済にかかわってきた歴史と経験から来る、目に見えない伝統と慣習をも含んだ「場」なんだと...

著者はそう語ります。

例によって、引用します。

目を凝らすと金融と教会や国家との意外な接点が見えたりもする。


国際金融という力学の場には宗教や国家といった権威を裏づけとする政治的あるいは制度的な磁力が大きく影響する。それは中世イタリアから21世紀の現代に至るまで、それほど変化していない。


金融が必要としたのは市場だけではない。同時に権威という成長の土壌も金融に不可欠な要素であった。


実は、国際金融もそもそも軍事と同じように、共同体や国家あるいは教会など、政治的権力を背景としたプロジェクトとして始まったものである。


ローマ教皇との結びつきは、メディチ家に行政トップの地位をもたらし、「政治・外交と金融」という両輪で覇権を確立させたひとつのビジネス・モデルを呈示しているといってよいだろう。


古代の政治権力がもつ軍事力は搾取によって支えられたものであったが、徐々にそれは献金や借入金によって賄われるようになる。なかには14世紀の英国エドワード3世のように何度も債務不履行を起こした国王もいた。


欧州における戦火のなかで英国が勝ち残った背景に、国内で戦費調達の仕組みが整っていたことが挙げられる。物流の裏側に金融が隠れているように、当時の政治や戦争の裏側には中央銀行の役割が隠れていたのであった。


18〜19世紀はまず国家財政のためのファイナンスが最重要であり、国際金融はそれを手助けするマネー・インフラだったのである。


英国金融は貿易に即して生まれ、市場機能をもとに世界経済の潤滑油としての体制をつくった。米国金融は、それを下敷きに軍事力と金融力というパワーで世界の政治経済を圧倒する地位を築いた。


基軸通貨をもつ米国にとって、金融力は軍事力に劣らぬ、あるいは核兵器よりも威力を発揮しうる力である。


ここで著者が言わんとしていることは、金融というものは、そもそも戦費調達の側面から発達してきたという色合いが強いのだということ。

そこが原点であって、七つの海を支配すると言われた大英帝国も、第二次世界大戦後のアメリカの覇権も、金融市場の整備と運用に深く関わっている...

とはいえ、軍事と国家権力の必要性から生まれ、そして発達してきた金融市場は、民間の経済を発展させるためにも流用されます。

この点は、もともとが軍事技術として開発されたインターネットの技術が、冷戦後に民間に解放されたのに似ているわけです。

引用を続けます...

金融帝国の設立を可能にしたのが、国や州が「事実上の生みの親」となった株式会社の制度であり、またそれを応用した持ち株会社の制度だったのである。


中世の金融資本の成長はローマ教皇の権威にすがったものであり、現代の株式会社形態も国家の権威にもとづいて誕生したものであった。そもそも金融はソブリンと密接に関係しあい、ソブリンは金融を利用してきたのである。


金融は、その一般的なイメージと違って必ずしも世界均質な市場ではない。


BISが世界各国の銀行を通じた資金の流れを分析した調査は、国際的金融力競争が大西洋間の争いであることを裏づけるものである。


国際金融とは、資本化、市場化、資本吸引などの国家プロジェクトに成功した「大西洋を主軸とするマーケット」なのである。


英米という2カ国が金融競争力で優位に立った背景に、両国家が資本を活性化するために「金融市場機能」の重要性を発見したことを挙げることもできるだろう。


資本市場は、資金が資本化される必要性から発達した。それが大西洋金融システムの始点であった。


現代の国際金融は、米国と英国が暗黙の合意のもとで、ある程度の「棲み分け」を行なっているということができるだろう。それは19世紀以降、大西洋両岸に蓄積した資本を増殖させるための有効な方法論でもあった。このシステムを、日本などの新興勢力が利用し始める。英国市場を資金調達に、米国市場を資本運用に使うという「使い分け」である。


通俗的に、金融ビジネスはアングロ・サクソン的だといわれることも多いが、その特徴のひとつの表れが、この市場機能の発見、あるいは市場の重要性の認識である。


外交政策の基本がリアリズムであるといわれるように、金融もまたリアリズムで対応すべき世界であるが、日本には国際金融が「力学の場」であることへの認識が薄いのかもしれない。


日本株市場は日本人社会であるが、日本株オプションなどデリバティブズ市場は外国人社会である。大手証券は例外だが、他の証券では外国人社会に入り込む余力がない。株に限らず、デリバティブズは英米市場だからである。日本のスワップ市場も、米銀が香港で始めたために慌てて邦銀がそれを真似したという経緯もある。国際金融における商品開発や市場情報などは基本的に英語が媒体となっているのである。


軍事的な必要性、株式会社という制度の発明、金融市場の制度設計とその運用...

すなわち、金融市場とは、抽象的なものや普通名詞でもなく、具体的な生きた歴史の帰結であり、また、固有名詞でもある...

勉強になりました...


明日は別の視点からの有益な情報を掲載したいと思います。








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